第3話 初めての承認

平日、帰宅する会社員であふれる電車内。

最終目的地に向かう僕たちは、周りにどんな風にみられているんだろう。

こんな時は後ろめたい気持ちから、どうしても自意識過剰になってしまう。父娘には見えないよね、それとも勝手に想像しながら横目で眺めているんだろうか、と思いながらあたりを軽く見廻してしまう。

まあ、少し前の自分もそうだったように、みんな自分のことに精一杯で、実際は誰も見てないんだろうなぁ。自分の昔の境遇を思い出して、心の中で独り言ちる。

この子も平然としてるように見えるけど、おじさんと一緒にいると思われたら嫌だろうなやっぱり。なんで初めて会うのにホテルでの待ち合わせじゃなく、街中の喫茶店での食事なんかOKしてくれたんだろう?謎だ。


目的の駅に着くと、彼女から声がかかった。

「コンビニ寄って良い?」

「いいよ、ついでに飲み物でも買っていこう」

「ここのコンビニ便利なんだよね、こっちが酒場コーナーで」

「好きなもの入れなよ、まとめて買うから」

「いいの?」

「?いいよ」

え、何?この界隈、こんな時にお金出さない男っているの?

僕が新鮮な驚きを感じていると、彼女はひょいひょい、と僕の持っているかごにお酒やつまみを入れていく。いやいや、気持ちいい入れっぷりだね。

「先に出てて」

彼女にお店を出てもらい、狭い店内を苦労しながら移動し、レジで精算を済ませて外に出る。顔を伏せて待っている彼女の姿がとてもしおらしく見えた。

「いこっか」

「うん」

荷物で結構ふくらんだ、コンビニのビニール袋を手にぶら下げながら、僕らはホテル街に向かった。気恥ずかしくて手を握ることもできなかったけれど、ここまでドキドキうきうきしたのは本当に何年ぶりだろう。

事前に調べたから知ってはいたけれど、駅を降りたら建物がほとんどホテル、ホテル。この街はそのために作られたんだろうなあ。

変な感慨にふけっていると、彼女がすたすたと歩きだし、慌てて僕が大股で追いかける。

僕はこういう時、事前に下見をして事知識を頭に入れておく派だ。

今回も本当は下見をしておきたかったが、本気で会おうと決めたのが昨日だったため、何も準備ができていなかった。

むう、相手がその道のプロとは言え、後からついていく羽目になるなんて不本意だ。


「ここ入ってみていい?」

「いいよ、どこでも」

はじめて入るラブホテル。最近はファッションホテルって言うんだよね。

不審に思われない程度にロビーを見回す。

部屋の空き状況を示す大きなパネルと、申し訳程度の待ち合わせ用ソファ。白を基調としたきれいな設えがさみしく見える無人のスペース。フロントも視界に入ったが、人の姿は見えなかった。

いわゆる風俗街のホテルとはかなり雰囲気が違うなと感じた。

「いっぱいだぁ」

部屋パネルをみた彼女が小さな声で告げた。

ここがお気に入りだったんだろうか?

「行こう」

踵を返し、さっさとホテルを出る彼女をまた追いかけることになる。

僕はあれか?初体験を前にして男について歩く女子高生か?かっこ悪すぎないか?

僕は自分の緊張をほぐすために、出てすぐ隣のホテルを指さした。

「ここでもいいんじゃないの?」

ロビーだけでも入ってみようと足を向ける。

「いいの?ここ8000円するよ?」

僕の持ち上げた足が空中でピタッと止まった。

予算的には問題ないし、ここでさらっと入ったほうがかっこいいんだろうが、根が小市民のため固まってしまった。だめだ、ここから入ってもかっこ悪すぎる。

「つ、次行こうか」

コンビニで好きなものを買ってあげるより、こういう時にさらっと入れたほうがどれほどかっこいいか僕は学んだ。

今日はもうだめじゃん。

テンションがかなり下がった僕は、もう素直に彼女の後をついていくことにしたのだった。


「ここは和室なんだよね」

「へぇ、色々あるんだ」

「ここはあんまりよくないの。こっちのがまし。」

「なるほど」

まるで観光ガイドのようにすらすらとホテルの説明をしてくれる。

いやいや、すげープロ?と言うか、百戦錬磨の猛者って感じするんですけど。

過去の自分の戦歴を説明してるのと一緒ですよね?

街の説明に多少げんなりしてきたが、僕のテンションが下がることはなかった。

あれだ、買い物は買うまでが一番楽しいってやつだ。

それにしても、入るとこ全部満室ってどういうことだ?

みんな愛を語り合う時間が早すぎやしないか?平日だよ?まだ晩飯の時間だよね?

なに、みんなそんなに暇な人多いの?ホテル一杯あるのにこの街おかしくない?

2人でホテル街を歩き回りながら、自分自身への盛大なブーメラン思考をおかしいとも気付かず、僕は頭の中で呪詛を吐き出し続けていた。

「あった」

ホテル街をほぼぐるっと一回り。10件近く回って、僕らはようやく明るく光る部屋パネルを見つけた。


「やっと着いた」

部屋の鍵を開けた僕は、ひと仕事終えたような解放感を感じていた。

部屋にたどり着くまでに疲れてしまい、余裕なんて残ってはいなかった。

相手への気遣いが過ぎていたとか、心が疲れた理由はいっぱい思い当たるけれど、今思えば、多分一番大きかったのは彼女の魅力に参っていたことが原因なんだと思う。

もちろん彼女の顔とかスタイルも良いと思うけれど、何よりその笑顔とパワフルな行動に魅了されていた。

魅力に満ちあふれた人物といると、人あたりとでも言うんだろうか、圧倒されてしまい、一緒にいるだけで疲れてしまうことがある。

気付かないうちに彼女にあたってしまっていた僕は、ため息とともに荷物をテーブルに置いてソファーに沈み込んだ。

ぼうっとしてる僕を横目に、彼女はコンビニの袋から手際よく飲み物を取り出して広げ始めた。

どこから持ってきたのか、つまみを白いお皿に並べている。

「お皿なんかあったんだ」

「フォークもあるよ」

視線の先を見ると、入り口わきの棚の上に、カトラリーや白い小鉢なんかが一緒に置いてある。

「至れり尽くせりだな、こりゃ」

「便利だよね」

普通のラブホテルって便利なもんだな。

僕の知る風俗街のホテルはそのためだけの設備しかなく、その違いに関心していた。

初めて知るホテルの面白さとか、自分の情けなさとか色々なものが心の中で入り混じって、でも期待感でいっぱいで僕は体がふわふわと浮き上がりそうな気分になっていた。


小さなテーブルに宴会の準備を整え、缶ビールのプルタブを空ける。

「じゃ、とりあえず乾杯」

「乾杯」

色々なことを話したと思う。

途中仕事の電話がかかってきたり、その場で書類を手直しして送信したりとちょっとしたトラブルもあったが、純粋にかわいい女の子と2人きりで飲みながら話すという贅沢な時間。

飲むとあちらの機能に支障をきたすという話が頭をよぎったが、今までそんな覚えもなかったし、ちょっとだけ控えようと思いながら酒宴を楽しんでいた。

1時間ばかり話していただろうか。お酒も回り体が火照ってきたこともあって、僕はシャツのボタンを空けていった。

それを合図と受け取ったのだろう、彼女がもそもそと上着を脱ぎ始めた。

敏い子だ。リラックスしているように見えているが、常に相手の動向を見逃さないようにしているのだろう。

気遣いや危機回避、色々理由はあるのだろうけれど、高揚する意識の端で僕は彼女の行動に感銘を受けていた。


やわらかそうなセーター1枚になった彼女は、なお一層魅力的に見えた。

掲示板に3サイズは記載してあったが、なるほど嘘ではないらしい。

女性らしいふくらみや、柔らかくしなやかなその肢体は、僕に獣性を思い出させた。

幾分上気した顔をみた瞬間、とても彼女がいとおしく感じて、傍に寄って座ったままの彼女を抱きしめた。

彼女の頭を胸に抱きかかえる。

いいにおいがした。柔らかくいつまでも抱きしめたいたいと思わせるからだだった。

少しして腕の力を緩めると、僕の腕の中からうるんだ瞳で見上げる彼女の顔が見えた。

僕は彼女を再び、強く抱きしめた。


「今日はありがとう。またよろしくね」

「今日はありがとう。こちらこそよろしくお願いします」

2人で濃密な時間を過ごした後、帰りの電車で掲示板に入りお礼をかわす。

さらっとしたやりとり。この界隈ではこんなものなのだろうか。

少し物足りなさも感じたが、お礼に返事がもらえた嬉しさで僕の心はとても暖かくなった。

次に会った時にはSNSの連絡先を教えると約束してくれた。

僕はうれしくて、なんども念押ししてしまったが、後から思い出すと赤面ものだ。

いい年のおじさんが、若い女性の連絡先を教えてもらうのに必死になっている。

まあ、本当にうれしいので仕方ないのだけれど、その時の僕は威厳だのプライドだのは一切頭に浮かばず、本能のまま行動していたように思う。


幸せだった。

自分が受け入れられた気がした。

もちろんこの界隈の話である。風俗となんら変わりないと言う人も多い。

でも、それでも僕は、彼女の対応に真摯さを感じていた。

僕は性欲が人一倍多いと自負している。だから、恋愛初心者とはいっても、風俗には数多く通った。色恋営業と言われる行為も理解している。

事情はともかく風俗通いは男としてどうかとも思うが、そんな僕だからこそ、彼女の表情、しぐさ、そのすべてが嘘だけではないことが分かった。

奇跡だった。

あんなに若くて奇麗な子が、本当におじさん好きなのだ。

馬鹿だけど、大馬鹿だけど、これに心揺さぶられないおじさんがいるわけがない。


僕はついぞ女性と愛し合った覚えがなかった。

女性から男性として向けられる愛情を感じたことがなかった。

もてない男なら当たり前と言われそうだが、当たり前だからと言って悲しくないわけではないのだ。心から愛情を求めていた。

本は大好きで山のように読んできた。そこにはたくさんの愛情が描かれてはいたが、でもそれらをこの身に感じたことはなかった。

女性を本気で好きになったことは何度もある。真剣に恋愛したつもりだ。

相手のことを一生懸命考えて、行動して、もちろん体を重ねることもあったが、愛情は感じられなかった。

もしかして自分の受け取り方がおかしいだけで、実は愛されていたのだろうか。それとも本当に愛されたことがないのだろうかと真剣に悩んだ時期もある。


自分を認めてほしい。そのままで良いんだよと受け入れてほしい。

世間ではこう言った感情を承認欲求と言うらしい。なるほどその通りだ。

今日、僕は承認されたのだ。それも若く魅力あふれる女性に。

年を取り、代償を払って疑似的な愛情を手に入れようと思った男が承認されたのだ。

中世の騎士が、戦国時代の武士が、愛する女性に剣を捧げる気持ちが多少わかる気がした。

彼らは、自らの矜持と愛のために剣を捧げると言うのが一般的解釈であるらしいが、僕の感想はちょっと違う。

人は聖人足り得ない。それはもうすでに神の領域であると思う。

昔から男女の恋と愛の違いを熱心に説く人々もいるが、そんなはっきりとした違いなどあってたまるものか。

人は恋と愛の狭間で悩み、苦しみ、選択を間違え、時にはすべてを傷つける。

たまたま運よく幸せな結末を迎えたのが愛。苦しみぬいて、それでも掌からこぼれていったのが恋。僕はそう思う。


紛うことなく、今日、僕は恋に落ちたのだ。

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