第2話 ブレイクタイム
僕たちが待ち合わせた駅の小さな改札出口は、どんどんと人を吐き出し続けている。街に流れる人波をちょっと外れた出口の隅で出会った僕たちは、ほんの少しの間、お互いを確かめ合うように、挨拶と多少の言葉を交わしていた。
彼女と会話をつなぐ短い時間に、僕は改めて彼女を見つめる。
身長は言われてたほど大きく感じない、猫背?あー、身長の低い僕に合わせて低い靴を履いてきてくれた?気を使ってくれたのかな?スタイルは服装からは判断できないけど、おデブちゃんじゃなさそうだ。これはうれしいな。
髪は肩口あたりまで伸びて黒々と光っている。染めてないんだな、珍しいかも。
そのマスク外してくれないかな、顔がわからん。でもパーツは整ってる。今日は当たりだ、それも結構な当たり。
物事をコスパで考えるのは好きではないけれど、やはり対価以上と感じるものを手に入れられると思うと嬉しくなる。矛盾しているとは思うけれどこれは素直な気持ち。
まあ待て、まだ性格がわかってないぞ、とんだ擦れた子かも知れない。期待しすぎるな。僕は浮ついた気持ちを引き締める。
後から思えば、まるで商品を見定める上から目線。自分が一番嫌いな考え方。
でも正直に言うと、最初に彼女を見て僕が感じた印象はこんなことだった。
自分が相手にどう思われたかも、おじさんとしては気になるところだ。
爪は切った、髪も整えた。清潔に見える服を選んだ。身長とスタイルは仕方がない。
恋愛経験がとても少ない僕は、ネットで拾った情報を積み重ねた。
こんなこと誰にも聞けなかった。
まあ、こんな関係なんだし、生理的にだめとかじゃなければ許容してほしいな。
多分大丈夫だろう、悩んでも仕方ないことは思いきるしかない。
「ところであんみつとパフェどっちが食べたい?」
一緒に横断歩道を渡りながら、掲示板で交わしたデザートをごちそうする約束を口に出す。会ってから選んでもらおうと思ってお店は決めていなかった。
「う〜ん、パフェかな。」
おっと、移動がめんどくさい方をご所望か。
「じゃあ一駅離れているから、戻って電車に乗ろう」
調べ物は僕の得意分野で、すでに数か所の喫茶店を調査済だった。
通信速度が128kb時代から過ごしてきたおじさんは、情報戦に強いのだよ。
調べをつけていたお店に向うため、僕たちは青信号を待って横断歩道を渡り、再び小さな改札へと向かった。
ついさっき初めて出会った女性と、1分後には一緒に電車に乗ろうとしている。
そんなシチュエーション考えてなかったな。衆人環視の中で何を話せばいいんだ?
一駅とは言え、無言に絶えられない僕は小さな声で話しかけた。
「ここら辺にはよく来るの?」
何を喋ったらいいのかわからないので、まずは定型文から入る。おじさんの強い味方、定型文。
「うん、そうだね」
短い返事。タメ口は好きだ。自分が若くなったように感じる。
電車はすぐ目的の駅に着き、僕たちは一緒に駅を出た。
「ここに入ってるはず、お、あった」
駅チカデパートの一階、よくある和風のコンセプトカフェだった。
「只今満席でして、15分ほどお待ちいただきます」
うわ、タイミングが悪いな。仕方ない。
「満席らしいや、ちょっとテナント見て回ろうか」
「うん」
戸惑うことのない素直な返事。素直な子だな、嫌な顔しないんだ。嬉しいね。
たった2文字の音節が僕の心をぎゅっと掴んだ。
僕は、自分の気持ちが澄んでいくのを感じていた。
喫茶店を出ようとしたところで、店員の女性に呼び止められる。
「お客様、待合席が空きましたので、店内でお待ちいただけますよ。」
さて、自分は座って待つほうが話しもできて良いけれど、この界隈、男と2人で多くの視線にさらされるのは女性的にはどうなんだろうか?
「どうする?」
「お店の中で良いよ」
再びの彼女の素直な返事を受け入れて、僕たちは店内に戻った。
テナント側から喫茶店に入ると、見えるお客は20人位すべて女性だ。
うわ、苦手なパターン。ぐるっと回り込み奥に案内されると、大通りに面した側にかわいい椅子がいくつか並んでいた。
どうやらこちらが店の表玄関のようだ。入店待ちのお客を座らせてショーウインドウのように見せる狙いが透けて見える。
「ここで大丈夫?」
「うん、大丈夫」
僕たちは上着と荷物をおろして、その小さな椅子に腰掛けた。
彼女ががマスクをゆっくりとはずしていく。凄く可愛い。なんて表現すれば良いんだろう。陳腐だけれど、ひまわりのような笑顔をしそうな顔とでも言うんだろうか。
愛想が良さそうな丸い顔。邪気のないきれいなアーモンド型の瞳。ちょこんとした丸い鼻に、意志の強そうなちょっと厚めだけれど形の良い唇。
とてもこの界隈にいそうなタイプには見えない。
澄ましたその表情を見ていると、男としての欲望より、素敵な女性に出会ったことの期待感と好奇心が大きく上回るのを感じた。
女性との出会いに何を求めるのかは人それぞれだけれど、僕は知らない女性と仲良くなって、色々なことを話したい気持ちが先に立つタイプだ。
ここからが会話の本番。さあ、一体何を話せば良いんだろうか?
何がきっかけだったのか、僕は自分の仕事の話をしはじめた。
多分、自信を持てる話がそれしかなかったんだと思う。
趣味は読書、恋愛は初心者。営業トークは得意だったが、いざ女性と2人きりで話すとなると、なんてつまらない話題しか出せないのだろうと、話をしながら考えていた。
「なんで、そんな話をきかされないといけないの?」
急に不機嫌な顔で叱られた。
「そんな話、今聞きたくないよ」
冷や汗、動機、頭がスパーク。やってしまった。またやってしまった。
昔からそうだった。緊張するとよく喋る僕は、あまり考えなしに発言して、相手を不快にすることがままあった。
それが原因で、会話ができなくなった時期もある。
緊張していたこと、初めて会った女性だったこと、自身を持てるのが仕事くらいだったこと。色々理由はあるが、相手を不快にさせたことは間違いない。僕は素直に謝った。
「ごめんね、もうしない」
「…うん、わかった」
その後は何を話したのかも覚えていない。始まる前に終わっちゃった?これ。
叫びたい気持ちを抑えながら、その後は必死に会話をしていた気がする。
「お席が空きました、こちらにどうぞ」
店員さんの一声が、焦りまくっていた僕を助けてくれた。
案内されたのは、丸い大きな鳥かごをイメージした、扉のついた部屋のような席だった。
かごなので隙間だらけだけど、多少の目隠しにはなっているようだ。
なるほど人の目が気になるカップルはこの席に案内するのか。でもこれ会話は筒抜けだな、気をつけないと。
必死に上滑りする会話を続けた気がするが、少したってかごの外から声がかった。
「ご注文のお品です」
姿も見えてるのに外から声をかけるのね。そこまで気を使わなくても、と思いつつ隙間だらけの扉を開ける。
大きなパフェとコーヒーが届くと、お相手から小さな歓声が聞こえた気がした。
多少は気持ちを持ち直してくれたなら助かるな。
スマートフォンで写真を撮ろうとしていたので、僕は横に一歩動いた。
「大丈夫、写らないから。うまく撮るよ」
いや、俺の体が写ろうが気にしないけどね。せっかくの写真なんだからきれいに撮らせてあげたいじゃないか。
僕の余計な心配をよそに、彼女は数回シャッターを押してから、早速パフェの攻略に取り掛かった。
ひとさじパフェを口に入れると、おいしいとの一言。
女性の笑顔を見ていると本当に癒やされる。これだけ可愛い子なら尚更だ。
その笑顔をずっと見ていたいと思わされる。
先に喫茶店に誘って本当に良かった。
恋愛弱者の自分には、いきなりホテルとかはちょっと厳しい。
この界隈の女性からすれば、さっさと済ませてバイバイしたいのが本音なんだろうけど。
嬉しそうにパフェを食べ続ける笑顔を見つめながら、この子は何を考えているんだろうな。そんなにパフェを食べたかったんだろうか?と益体もないことを考えながら、ずっと彼女を見つめ続けていた。
ふと、彼女の食べる手が止まっていることに気付いた。
「お腹いっぱい?」
「歯に染みるの、神経過敏で」
「無理しないで残せばいいのに」
「ううん、残したら悪いし」
最近だとめずらしい感覚じゃなかろうか、お嬢様なんだろうか?
少ししてパフェを食べ終わると、彼女は丁寧に両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「気に入ってもらえたみたいで良かった」
「うん、美味しかった」
ほころぶ笑顔。反則だ、これ、どんな男でも一発ノックアウトだろ。
出会って2時間以内なら一目惚れって適用されるんだろうか?
だめだ、おじさんのプライドにかけて落ち着いていかねばいかん。
そろそろいい頃合いだ、ここは自分が率先して行動しないといけない。
「そろそろ行こうか」
「うん」
出会ってからすでに2時間近くが経っていた。この界隈、時短地雷なんて単語も聞くけれど、彼女からそんな雰囲気はかけらも感じ取れない。
気持ち先行派の僕としては、当たりなんてもんじゃない、大当たりを突き抜けたたビッグチャンスを手に入れたんじゃないだろうか?
「3200円になります。」
まあ、高いけど、パフェとコーヒーで3,000円とか高いけど。今日はなんでも許せる気分になっている。後で後悔するんだろうけど。
「お待たせ」
会計を済ませ、2人連れだって駅に向かう。
駅に着くまでの道のりに会話はほとんどなかったけれど、喫茶店での時間が2人の空気を多少和やかにしてくれたように思う。
最初の失敗を少しは取り戻せたかな?経験が少なすぎて自信は全くないが、ここまできて縮こまっても仕方がない。ええい、男は平常心だ。
はやる気持ちを抑えつつ、足取りは意識しながらゆっくりと、僕たちは最終目的地に向けて足を進めたのだった。
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