ワリキリ
@mitsuba99
第1話 はじまった物語
その出会いは、桜も散った春、日も沈みかけた肌寒い夕方のことだった。
心地よく感じる風が僕の頬を撫でているはずだけれど、初めて会うドキドキで顔が火照ってあまり感じられない。
出会い掲示板で知り合って、会話して、その相手と実際に会う。
何度か経験したことではあるけれど、相手を待つこの時間は、いつも変わらず僕の心をわくわくさせる。まぁ、おじさんのわくわくが誰得ってのは置いておくとして。
変わった娘でなければいいなぁ、今の正直な気持ち。
生まれてから半世紀、世の誰もがそうであるように、僕は一生懸命生きてきたと思う。その大半は仕事に捧げたが、後悔はない。昨年、ひょんなことから会社を離れて今は一人で仕事をしているが、過去に酷使してきた心と体のメンテナンスをするのにちょうどいい機会だと思い、色々なことにチャレンジすることを決めた。
ジム通いと、今まで皆無に等しい女性との出会い。
気が付けばおじさんになってはいたが、僕は希望を胸に、ひとつひとつ今まで出来なかったことを実行に移していった。
掲示板でのやりとり自体は多少強引なところもあったけれど、ちゃんと話せていたし不安はなかった。でも、万が一で性格の悪い女性が来ることもあるのがこの界隈の常識。
まあ、楽しく時間が過ごせればいいよね。僕は自分で自分を説得し、軽い気持ちで会うことを決めたのだった。
「その日は遠方の移動があるから夕方になるけどいいの?」
「いいよ、18時以降なら大丈夫。」
「それなら大丈夫、場所はどこがいいかな。」
初めてのやり取りは新鮮で、心躍るもので、僕の心を否応なしに高揚させた。
年齢が自分の半分以下の女性と会うのだ、外見や応対に変な期待はしないことにしているが、色々な女性がいるのは経験で知っている。
今日のお相手はおじさん好きとのこと。
ホントかな?と思わないでもなかったが、懐が多少暖かかったこともあった。
まぁリップサービスであったとしても、やっぱり若い女の子との楽しい時間を過ごせるのは貴重だ。それが例え何かで賄ったものであっても。
列車事故を知らせるアナウンス、外国人観光客の大きな話し声。
大きな構内に色々なざわめきが行き交う中、僕は駅の片隅で携帯電話の表示をずっと追い続ける。
「ちゃんとダイレクトメールに返信してくれないと、やり取りがすごくわかりづらいよ。」
「こう言うこと?これでいいの?」
「そうそう、これなら大丈夫、わかるよ。」
掲示板での待ち合わせのやり取りがもどかしい。多彩な機能がうまく使えず、行き違いのコメントが画面を過ぎ去っていく。
あぁ、また自分がすれ違いのコメントを返している、お相手にだめだコイツと思われてしまっただろうか。
約束の時間ちょうどに携帯の画面に到着の書き込みが表示され、僕の心臓がドキンと跳ねる。
続けて、北口改札と文字が続いた。
ありゃあ、逆の出口に出たのか、ちょっと遠いけど仕方ない、迎えに行くのも男の役割か。
多少の庇護欲と、期待感に胸を膨らませて僕は指定の出口に向かった。
「白いシャツ、紺ズボンと黒い革靴です」
歩きながら自分の服装を伝え忘れていたことを思い出し、急いで打ち込む。
待ち合わせ場所は、駅の大きさにそぐわない小さな改札だった。
改札の目の前、距離の短い横断歩道で赤信号が変わるのを待つ。
心の準備をするのに丁度いい。僕は深呼吸をしながら改札を見渡していた。
おじさんだからね、やっぱり落ち着いたスタイルだよね。
自分に言い聞かせながら、低い声での第一声を心で決める。
掲示板を確認すると、ちょっと前に写真が上げられていた。「今日の服装」とのタイトルで、首から下だけを写したたものだ。白いセーターに枯れ葉色のスカートが見える。
「眼鏡とマスクの怪しいのがいたら私です」と書かれていた。
なるほど怪しいのか、それはわかりやすいかも。
僕は横断歩道の反対側を目を細めて探したが、それらしい服装は見当たらない。
どこだ?どこにいる?ゆっくりと視線をめぐらすが、それっぽい人物像は目に入ってこない。信号が変わり、人混みと一緒にゆっくりと歩きだすが、僕の心は焦り始めていた。
掲示板での約束には、いつも冷やかしが付きまとう。
僕も何度か被害にあったことはあるが、その時の落胆と自省の念は重く、厚い。
まるで自分がピエロになって踊らされているように感じるものだ。
横断歩道を渡り、改札の前で立ち止まる。
視線を右に動かすと、柱の陰に人影が見えた。
あれしかいないか、そこまで端っこじゃなくても良いのにね、と思いながら柱を回り込む。
そこには、携帯電話を見つめる丸い眼鏡とマスク姿の女性が、けだるげに柱に背を預けて立っていた。
声を抑えながらこちらから挨拶。
おっと、挨拶の直前に顔を上げるな、こっちに視線を合わせるな。緊張して声が上ずるじゃないか。
「こんに、ちは。」
挨拶の途中で視界に飛び込んできたその目は、アーモンド形をした切れ長の大きな瞳だった。すごく澄んでいて引き込まれそうになる。ああ、目力があるってこういうことを言うんだな。
その目に気を取られて、僕のかっこいい挨拶は失敗してしまった。すでに今日は失敗だらけの一日だ。
「こんにちは。」
彼女からのあいさつ。聞いていた年齢通りの若く張りのある声。
ちょっとホッとしたような柔らかな笑顔は、マスク越しにも十分魅力が伝わった。その瞬間、僕の心臓がドキンと一拍ついて、周りの時間とともに一瞬止まったように感じた。
女性の笑顔はいつになっても慣れなくてドキドキしてしまうけれど、それはやはり嬉しいもので、次の瞬間には緊張で止まっていた僕の心臓が、今度は倍速で鼓動を打ち始めた。
その魅力的な笑顔からの第一声。
「それズボン紺ちゃうやん黒やん。」
最初がそれか。やっぱりこの界隈の子は慣れてるな。というかこの子関西出身か?
「…そうかな、これ紺なんだけどね。」
意表を突かれまくった僕は彼女の発言にツッコミもいれられず、軽く答えるのが精いっぱいだった。
緊張と安心感がまじりあって、心が落ち着かない。
ようやく会えた、本当に会えた。今日はこれから楽しい時間が待っている。
僕の心は大きな希望と期待に満ち溢れていた。
そして、僕たちの長いようで短い物語が始まったのだった。
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