③
「お茶淹れて、二杯。あと、ホットミルクを浅めのボウルに」
落ち着いた様子の女王はAIプログラムにそう命じると、ソファーに腰をかける。
テーブルを挟んだ反対側のスツールに、リアンとパルトールは通されていた。
「あんた達は、下の交差点を通って来たんだよね?」
「はい」
「何にもなかったっちゃなかったけど、あったっちゃあったよ?」
「だろうね。……あ、ありがと。置いといて」
AIプログラムが用意した飲み物が音もなく運ばれてくる。
この部屋にも、彼女以外の人気がまるでない。
「それで、えっと。なんだっけ」
「この街の、ふわふわ浮いて消えるやつ、あれってなあに?」
「そうそう、それだ」
パルトールの問いかけに、女王は思い出したと言わんばかりに答える。
「あれね、SNS」
「えす……?」
「あんた達、それも知らないの?」
「……すみません、初めてお聞きしました」
「リアン世間知らずだからねー」
女王は紅茶を一口含むと、小さく唸りだした。
「なんていうのかなぁ。趣味……じゃない。いや、趣味の人もいるか。でも仕事……あー、仕事でやってる人もいる。難しいな」
「一概には言えない、ということでしょうか」
「うん、だと思う。もうずっと昔からあったからさ、今更改めて、何って聞かれると困るっていうか」
「よく分かんないものを、よく分かんないで使ってるんだぁ。おねーさん勇気あるー!」
パルトールの言葉に、うぐ、と言いよどむ女王。
「ていうかさぁ」
それをよそに、無垢な獣は畳みかける。
「おねーさん、なんで女王様なの?」
それは俺も知りたかった、とリアンは頷いた。
紅茶の湯気はとうに消えている。
女王は逡巡した。
「……外のホログラム、見たでしょ」
そうして、ぽつりぽつりと、先程の数倍は小さな声で語りだした。
「SNSだよね?」
「そう、その投稿。一緒に出てくるハートは、その投稿についた、いいねっていう評価」
「誰かの写真を評価するの? それで何になるの?」
女王は俯いた。そして一言。
「……この街では、いいねが多い人が偉いの」
その姿はもう、女王と呼ぶには弱すぎる、ただの若く未熟な一人の女性だった。
それから女性は事細かに話し始めた。
きっかけはこの街のある政治家の独りよがりな方針だった。
「完全なストレスフリー社会を目指すには、人に会うことを我々は放棄すべきである」
人、モノ、情報が行き交う街は、通信技術の発達により速度が飛躍的に向上した。
それに伴い企業間の競争が激化し、人間はそれぞれの仕事のために使いつぶされるようになった。
若者の間でも、服装や遊びの流行り廃りが加速し、ついていけない、あるいは乗り気でない者をのけ者にすることが当然のこととなった。
環境に嫌気が差し、出勤や通学の朝に自殺を図る者もいた。
その折に現れ、会社、学校などあらゆる対面コミュニティを廃止する政治家は、ある種のヒーローとして歓迎された。
人に会わなければ、誰かと比べられることはない。
会いたくない人に会わなくていい最高の口実ができた、と人々は歓喜に沸いた。
以来この街は、人と会わないことに特化した通信技術が著しく発展した。
メール、電話、買い物、仕事。あらゆるもののやり取りが、自宅にいながらにしてできた。
最も画期的な進歩は、一度も相手と直接会わないまま結婚し、一度も手を繋がないまま出産することであった。
かつて婚活と呼ばれた、結婚相手を汗水流して探すコストは格段に減り、また自宅にいながら仕事ができるため、出産を機に職場を追いやられる女性はいなくなった。
通信の中で誓いを立てることで、莫大なお金をかけて式を挙げる必要がなくなった。
結婚へのハードルは五〇〇年前と比べて非常に低くなり、なんとなく結婚する若いカップルが急増した。
数世紀前に悩まされていた高い未婚率は、今や過去の笑い話。
無論、カップルの誰もが、相手の顔も声も何もかもを知らない。
何しろ、会わなくてもいいのだから。
通信結婚を始め、数多のコミュニケーションを支えたのがSNSだ。
誰もが自由に発信し、誰かの発言を見ることができるサービスが始まった。
やがて端末がホログラムへ進化し、その投稿が街中に溢れかえった。
SNSでは平等に発信権が与えられたが、投稿の人気はほとんど著名人に集まった。
人に会わなくなった人々は利便性と引き換えに、他人に褒められ、認められる機会を失った。
「昔、聞いたことがあったんだけどね」
女性はそこで一呼吸置いた。
「人って、何かを得ると、別のものがすぐに欲しくなるんだって。お腹が空いたら何か食べたくなるし、お腹が膨れたら安全な場所が欲しくなる。落ち着ける所が見つかったら、今度は誰かと繋がりたくなって、仲間を見つけたら次は、誰かに褒めてほしくなる、とか」
女性の言った通りのことが、まさにこの街で起きた。
特にこれといった外部戦争がなく、比較的豊かと言えるこの街には飲食店も豊富にあり、ビル群のどれもが強固な造りになっている。
加えて家にいながら、食糧が得られる状況。
であれば、社会的欲求や承認欲求は自然と生まれるものである。
「でも、人に会うのがダメなことって決まってる。だったら、会わなくても評価が得られるSNSの評価が、自分の評価だと思っちゃったんだ。いいねがいっぱい集まるの、バズるっていうんだけど、知ってる?」
「いいえ」
「初めて聞いたー」
「……だよね」
女性は諦めるように微笑んだ。
「この建物の下に、洋服屋さんあるでしょ。あたし、そこで店長してるの。一応モデルもやっててさ。でも通信販売だから、ちゃんとお客さんに会ったことないし、マネキンも店舗も倉庫みたいなもんだけど」
「じゃあ、おねーさんバズってたの?」
「まーね。人よりは」
でも、と彼女は目を伏せた。
「新しく入ってきた子が、すごかったんだ。センスあって、面白くて、そんで可愛くて。いいねが多い人は給料も優遇されるから、あたしどんどん置いてかれて」
そうこうしているうちに、一般人の投稿もレベルが上がり、いいねを多く集める発信者が多くなったのだという。
遠近法を利用した個性的なトリック写真や、人気の観光地へ行ったという写真、恋人と出かける写真。
しかしそのいずれも、人と会わずに、外に一歩も出ずに作られた虚像である。
既存の風景写真に、自分の写真を融合させるだけで、旅行に恋愛にアクティブな、華やかな自分の姿を周りに喧伝することができる。
彼女もまた、自分の姿や私生活を歪め、評価を集めることにした。
「そんな写真で貰う評価、全然よくないよ?」
「でも、そうするしかなかった。いいねが貰えないと、人気じゃない店員は店長でもベテランでもいらないの。あたし、その時付き合ってた彼氏がいたんだけど、いいねが減り始めたからフラれて!」
「……本当に、それだけですか」
突然、リアンが口を開いた。
「……え」
「本当に、それだけなのですか」
「そう、だけど」
「それではおかしい」
リアンは続ける。
「よく読みましたか、それ」
青い瞳が、女性の肩の後ろを見やる。
握りつぶされ、惨めな姿になった《想い》が絨毯の上に転がっていた。
「読んでも変わらないでしょ、こんなの」
女性はため息をつきながら、《想い》を再び拾い上げた。
すると、一枚、ひらりと絨毯に吸い込まれるように落ちるものがあった。
前略
元気ですか。手紙なんて古臭くて驚いたでしょう。
文字は、こっちに引っ越してから覚えました。
書くのと読むのでは全然違います。君が読みやすいといいのですが。
ホログラムが浮かばない、通信機器も然程ないこちらに引っ越して一年が経ちました。不便だと思いますか。
ところが意外と、ストレスなく過ごせます。
人に会うというのは、疲れもしますし、思い通りにならないこともありますが、新しい発見もあって楽しいです。
この間は、僕の好きな映画を知る貴重な人物に出会ってしまい、小一時間ほど話し込んでしまいました。
直接話す方が、相手の熱量も知れて、より会話が盛り上がります。
今日もこの後会う予定です。
この街は、誰も必要以上に飾ろうとしません。
誰かに褒められたいという思いはあるのですが、人に会い、少しずつ認めてもらう感覚を皆が得ているので、強烈に思うことはないのだそう。
思うに僕は、こちらの方が性に合うようです。
君はいかがですか。まだ寂しがっているような気がして、筆を執りました。
離れてみて、僕は華やかな君に惹かれ、華やかな君に呆れたのだと思う日々です。
君の姿を一目も見ずに別れた僕ですが、きっといつか君の本当の姿が見たいです。
その時のために、先に僕の写真を送ります。好みであると嬉しいのですが。
ゆっくりで構いません。よかったら返事をください。
草々
「わ、この人、正統派に綺麗なイケメン!」
女性の足元に駆け寄ったパルトールは、感嘆の声を上げた。
落ちたものは、男性が一人映る写真だった。
癖のない黒髪に、すっとこちらを優しく見つめる藍色の瞳。
服装も飾り気がないが、清潔感溢れる装いをしている。
いかにも誠実が服を着たような、真面目な好青年がそこにいた。
「こちらの郵便制度が廃れていたため、当方で配送を承りました」
「あ、中身は見てないからね? リアンは触ったらどういうものか大体分かるだけ!」
パルトールから写真を受け取った女性は、写真の男性と見つめ合った。
「ねえねえどう? タイプ?」
「……わかんない、けど」
女性は、便箋を元の通りに綺麗に畳むと、胸の前でそっと抱えた。
「昔、会ってみたいなって思ったことがあったの。もし、もしも叶うなら……この人に、会ってみたい」
女性のか細い一大決心に、パルトールは瞳を輝かせた。
その表情のまま、ぐるりと相棒を振り返る。
リアンは、口角をわずかに上げ、こう提案した。
「あなたの《想い》、承ります」
コンクリートと砂埃の廃墟を抜けると、全く正反対の風景が広がった。
「これ、何? すっごく綺麗な色!」
そこは見渡す限り萌える若緑が輝く、草原だった。
女性は目の前の景色を眺め、時に目を見張って花を指差した。
「それね、えっと……リアンー」
パルトールは前方を行く黒コートを引き留めた。
彼は女性を背に乗せており、平時の半分ほどの速さでのろのろと歩いていた。
というのも、生まれて二十数年間、女性は自分の足で満足に歩いたことがないのだという。
およそ一時間前、手紙の差出人である恋人に会いに行く、と決意した女性にリアンはこう言った。
「彼の家までは、ここから……三時間ほど歩くようです」
「歩くって何?」
そうして得られたリアクションは、一瞬リアンとパルトールの意識を飛ばすのに十分な威力があった。
彼女のいた街では、地面から浮いていられる靴があり、目的地にも一瞬で移動できる装置があったのだという。
技術発展も考えものだと思いながら、リアンは振り返る。
「何」
「これ、何だっけ?」
パルトールは鼻先を、女性の指した花に向ける。
リアンが近づくと、足元には青く小ぶりな花がそよ風に揺れていた。
「……勿忘草ですね」
「ワスレナグサ?」
「春先に咲く花です。ご存知は」
「初めて見た! これ映えそう、撮っちゃおっかな」
女性はきらきらと目を輝かせながら、空中を指でつついた。
そして、静かに風が吹いた。
「……あ、そっか。ここ圏外だった」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
「おねーさん、これ摘んでく?」
「摘む?」
パルトールの提案に、彼女は首を傾げた。
「茎持って、ちょっと力入れてごらん。ここ、誰の敷地って訳でもないし、だいじょーぶだよ。この辺り、人の気がしないからさ」
「……こう?」
女性は地面に降り立ち、勿忘草の前にしゃがんだ。
華奢な指先が茎をつまみ、くんっと力む。
果たして勿忘草は、彼女の手を選んだ。
「おねーさん、お花見るの、ほんっとーに初めてなんだ」
「花なんて、あたし達の街にはなかったから。あ、でも、瓶に閉じ込めるヤツならあったよ」
「そいつだけじゃあ、ねぇ。ほんとのお花、どう?」
「……いい匂いがする。それに柔らかくてすぐ潰れちゃいそう」
女性が勿忘草を握りしめ、パルトールの背中に戻るのを見たリアンは、再び踵を返し進み始めた。パルトールは、相変わらずよたよたと歩み続けた。
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