第7話

 ところが。

 いざ借り物競争を見ようと、児童席の外側へ移動しかけた時だった。

 父さんがひょこひょこと片足を引きずるようにしてこっちへやって来るのが見えた。


「え? 父さん、どうしたの」

「あー。いや、ははは……」

 父さんが面目なさそうな顔で頭を掻く。

「さっき、競技の前に一度トイレに行っとこうとしたんだけどな」

 どうやらその時、校舎入り口の段差でうっかり足をひねってしまったらしい。

「えーっ。大丈夫?」

「うん。大したことはないんだけど……」


 俺が父さんに肩を貸すと、佐竹がさっと足元に片膝をついた。父さんの靴を脱がせて、くるぶしあたりをちょっと触ってみている。


「……骨に異常はなさそうですが。恐らく捻挫でしょう」

「わ、そうなの? 父さん、痛い?」

「うーん……ちょっとね」


 父さんの顔は情けなさ百パーセント。洋介と競技に参加するつもりで、せっかく張り切ってたのになあ。

 保護者が参加することが決まってる児童は、一緒に参加することになってるんだよな。入場許可証と似たような感じで、事前にPTAが募集を掛け、一応は申し込んだ人だけの参加ということになっている。でもまあ「何時まではとびいり参加申し込みもOK」ではあったはず。


 さて、どうしよう。

 父さんが出ないとなると、洋介を不安にさせちまうし。

 洋介にはもちろん、前からそのことを伝えてある。

 俺はひとつ溜め息をついた。


「んじゃ、いいよ。代わりに俺が出る。今からでも事情を話せば、別に俺でもいいんでしょ?」

「ああ、多分な。すまない、祐哉ゆうや。そうしてくれるか?」

 父さんが情けない顔で苦笑する。

「じゃ、悪いけど父さんのこと、ちょっとよろしくな。佐竹」

「ああ」


 そうと決まれば、善は急げだ。

 俺は急いで、実行委員やPTAの人たちのいるテントの方へと走っていった。





 借り物競争の参加者は、大体三十組ほどだった。

 大人の参加者は、大抵は低学年の子のお父さんやお母さん。俺みたいな兄姉枠の人はまったくいない。

 普通そうだよな。「この場にいる全員が自分を見てる!」とか考える自意識過剰真っただ中の十代の中高生が、わざわざ好きこのんでこんな場に出てきたりしないもんね。

 そう言う俺はというと、見た目こそちゃんと高校生のはずだけど、中身はまったくそうじゃない。あっちで七年も過ごしたために、精神的にはきっと二十四歳ってことになるはずだから。

 とは言え佐竹に言わせりゃ「それでちょうどいいぐらいのものだろう」ってなことになるみたいだけどさ。

 ふん! どうせそうだろーよ。

 いや、お前が年相応じゃなさすぎなだけでしょ? まったくもう。


 本当はこの体だって俺自身のものじゃない。あっちで俺にそっくりなとある人と交換してもらったからだ。今は一部だけ手術して、もとの体に近づけてある。

 俺は何となく、髪に隠れた耳の上部を触った。そこにはまだ手術痕が残ってる。わりと最近だし、汗なんかかくとまだちょっと痒いんだよな。


「えっ。父さん、だいじょうぶ……?」


 洋介は俺から事情を聞いて、ちょっとだけ不安そうな顔になった。でも、トラックの外側から佐竹に肩を貸してもらって手を振ってる父さんを見つけると、やっと安心したようだった。


「大丈夫だからな、洋介。今日は俺が代わりで悪いけど、がんばろうぜ」


 これでも一応、バスケ部出身なんだしな。別に運動神経は悪くない方だと思うしね。隣にいつもあの佐竹がいるから目立たないってだけのことでさ。

 洋介もそのことは知っているからか、「うん。がんばろう!」とにっこり笑ってくれた。

 洋介と二人で、実行委員から渡されたピンク色の揃いのゼッケンをつけ、誘導された場所に並ぶ。


 一度に走るのは五組。俺たちは前から三走目だった。

 ルールは簡単。

 ふたりで手をつなぎ、適当に準備してあるハードルやら網なんかをくぐって、その先の机の上に用意されているメモを見る。

 そこに書かれている物を、観客の誰からでもいいので借りてきてゴールへ走る。

 実質「障害物借り物競争」って感じかな。参加するのがおもに低学年ばかりだから、障害物は簡単なものが多くしてある。

 笛の合図でひと組目がスタートした。にぎやかでおどけた調子のBGMがかかり始め、観客席がわっと湧いた。


(借り物かあ……何がくるかな)


 俺はみんなの様子をうかがいながら、ちょっと唇を舐めて考えていた。

 高校の体育祭とかだったら「あなたの意中の人」なんて、恋愛がらみのウケを狙ったお題もあるだろう。でもまあ、ここは小学校だし。あまり滅茶苦茶なもんは要求されないはずだ。

 思った通り、ひと組目のみんなはタオルだの日傘だの水筒だのといった、ごく普通のものを借りてはトラック側に戻ってきている。

 あっというまにゴールして、二走目がスタート。

 観客席を大いに湧かせながらこれも危なげなく終わって、遂に俺たちの番がやって来た。


「第三レーン、一年二組、内藤洋介くん。一緒に走るのはお兄さんです」


 それぞれに放送で紹介され、競技用ピストルの合図でスタート。もちろん洋介の歩幅に合わせて走るから、俺としてはゆっくりめだ。障害物は、基本的に子供のほうがくぐっていく。障害のとき以外はずっと手をつないでいないといけない。

 俺と洋介はけっこう快調に飛ばしていった。最後の障害であるマットレスの上で洋介がころころと前転すると、そのままスムーズに机のほうへ走る。

 俺たちのレーン上の机の上に、二つ折りにされたメモがある。そばにはPTAのお母さんが立っている。

 ぱっとメモを取って洋介が開いた。俺も横から素早くのぞきこむ。


(……ん?)


 俺は何度か目をまたたいた。

 洋介も同じだった。

 二人で目を見合わせる。


 そこに書かれていた言葉。


──『あなたのだいじなひと』。


(……は?)


 いや、ちょっと待て。

 それはいいけど、わかるけど。

 え? なに?

 なにごと??

 

 俺の頭がショートしかかる。

 いや、だからここは高校の体育祭じゃないっつの。

 いやまあ確かに「意中の人」とは書いてないけどさ!

 でもこの場合、俺たちはあいつしか選べないんじゃ……?

 だって父さん、足を傷めちゃってるし。

 あ、でもそうか。洋介のなかよしの友達とかでもいいわけか……?


 俺はしばらく、呆然と立ってたらしい。と、下から洋介が俺のシャツをきつんとひっぱった。

「行こう、兄ちゃん!」

 そのまま俺の手をひっぱり、ぐいぐいと観覧席の方へと走り出す。

 そこには佐竹と父さんがいる。

「え? いやちょっと……待てって、洋介?」


 近づいていくにつれ、佐竹の顔が怪訝なものに変わるのがはっきり見えた。

 不審げに俺の目を見つめてる。

 「一体どうした」って、いつもの綺麗でまっすぐな目で。


 いや、ちょっと待て。

 それ、なんか違うくね?

 ちょっと落ち着こうぜ、洋介。

 考え直せ!


「よ、洋介。ほら、父さんは足がさ──」


 でも。

 俺がそんなことを言おうとする前に、もう洋介は叫んでた。


「さたけさーん! 来て、さたけさーん!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る