第6話

 気がつくと、佐竹が俺を見ていた。

 まだ泣いている洋介を抱きしめたまま、目だけがこっちを見ている。

 俺は一瞬どきっとした。でも次の瞬間、「あ、そうだよな」と納得する。

 もともと鋭い方だっただろうけど、あいつはあっちの世界でさらに他人の気を読むことにけてしまってるはずだ。なにしろ真剣で命のやりとりをしなくちゃならない環境に放り込まれてたんだからな。俺の気配なんて、とっくに気づいていたんだろう。


《いいから行け》

《ここは任せろ》


 佐竹は目だけで俺にそう言ってるみたいだった。俺はこくりと喉を鳴らすと、黙ってうなずいてそこを離れた。

 佐竹に任せてしまうのは申し訳ない気もしたけど、洋介にとって家族じゃない佐竹の方が話しやすいことだってあるだろう。ここは佐竹に甘えた方がいいと思った。

 俺自身もきっと赤い目をしてるだろう。心配掛けるといけないから、一応トイレに寄って鏡を見てから、俺は父さんの所に戻った。





 結局、洋介はそのまま保護者のいるエリアには戻って来なかった。

 佐竹は二十分ほどして戻ってきたけど、洋介は自分のクラスに戻ったという話だった。


「すまなかったね、佐竹君」

 父さんが申し訳なさそうに言う。

「いえ。どうかお気遣いなく」

 佐竹は静かに答えただけだった。

「ごめんな、佐竹」

 そう言った俺には、黙って首を横に振ってみせただけだった。


 水筒がこっちに置きっぱなしになっていたので、俺は一年生の先生を探して渡してもらうようにお願いしてきた。

 そうこうするうち、高学年の女の子の声で放送が入った。


「それでは、午後の演技を開始します。保護者のみなさんは、保護者席へお戻りください」


 高学年ともなると、女子はかなりしっかりしてる。しゃべってる声だけなら、もう大人みたいだもんなあ。


「午後の最初の演技、プログラム十二番は、一年生による紅白玉入れ合戦です」


 あ、そうだ。

 最初は洋介たちだった。

 俺と父さんは慌ててカメラやスマホを手にして、児童席の後ろに回る。例によって佐竹は俺たちの背後に立った。

 トラックの真ん中には、先端に網かごをつけた二本の支柱が十メートルほど離して置かれている。

 と、にぎやかなBGMと共に一年生のみんなが入場してきた。俺は急いで洋介の姿を探した。

 あ、いるいる。なんとかもう普通の顔に戻ってるみたいだ。

 俺はちょっと胸をなでおろしてスマホを構えた。

 先生の「スタート」の合図とともに、紅白の小さな玉がぽんぽん空中を舞い始める。わあわあきゃあきゃあ、子供たちの高い歓声が湧きあがった。


「白、がんばれー!」

「赤、まけるなー!」


 俺も声を張り上げた。


「洋介、がんばれー!」


 洋介は白組だから、地面に落ちた白い玉を拾っては一生懸命かごに投げる。みんな体が小さいから、まるで地面を這いまわっているように見える。全部で十回ぐらい投げたうち、五個ぐらいは入ったかな?


「ストーップ!」


 先生の声と笛の音が鳴り響き、赤白の玉は動きを止める。

 さあ、どうだろう。

 駆け寄って来た先生二人が、朝礼台の先生の声に合わせて玉を数える。一個ずつ空中に投げ上げて数えていく。


「いーち、にーい、さーん……」


 赤いリボンをつけた最後の赤い玉が先に投げ上げられて、白の勝ち!

 「ばんざーい、ばんざーい」と白組のみんなが声をあげて、競技終了。観客席からも拍手の音が湧く。

 洋介が友達とにこにこ笑っている顔がちらりと見えた。

 俺はなんだかほっとして、カシャカシャと撮影音を立て、洋介の笑顔をスマホにおさめた。


「父さん、保護者競技っていつだっけ」

「ああ……。このみっつぐらい後かな?」


 プログラムを見て父さんが答え、運動場の隅に行って準備運動を始めた。伸びをして屈伸運動。腰や足首もしっかり回してる。

 うんうん。これでケガしちゃ大変だからね。


「佐竹、暑いだろ。お茶飲む?」

「ああ。すまない」

「ん。どうぞ」

「ありがとう」


 冷えた麦茶をついだ紙コップを渡すと、佐竹は素直に受け取った。いつもはあんまり被らないけど、今日はこいつもキャップを被った姿だ。ちょっとレアな格好だよな。

 ただ麦茶を飲んでるだけなのに、ここは茶道の席かと思うような姿ですっと口に運んでる。ここだけ不思議と空気が涼しい感じがするのはなんでかなあ。

 そんでもって、なんかやっぱり周りのお母さん方の視線が熱い気がするぞ。

 

 と、スピーカーから大音量でソーラン節が流れ始めた。

 五年生の演技が始まったみたいだ。


「ソーラン、ソーラン!」

「どっこいしょー、どっこいしょ!」


 体操服の上からちょっと長めの法被はっぴを着て、鉢巻を締めた五年生たちが勇壮な踊りを披露している。

 これと六年生の組体操、騎馬戦、高学年のクラス対抗リレーあたりが運動会の盛り上がりポイントかな。

 ほかの保護者の邪魔にならないように、俺たちはかなり後ろの方から見物した。


「なあ。佐竹って、騎馬戦のとき、どれやってた?」

「馬か騎手かということか」

「あ、うん」

「まあ、馬が多かったな。比較的早く背が高くなったこともあって」

「へー、そうなんだ。ま、確かに上のやつって小柄なほうが、馬は楽だもんね」

「ああ」

「でも、お前が騎手だったら強そうなのになー」


 なんとなくそう言ったら、変な目で見返された。


「強いかどうかはわからんが。最初のうち、あれこれ試していた段階で担任から『どうもまずい』と判断されたようだった」

「え? どゆこと??」


 そこで佐竹はちょっと黙った。

 なんか眉間に皺が寄ってる。

 なんだ? なんか嫌な思い出でもあるのかな。


「騎手役をやると、なぜか相手が逃げ回ったり、騎手が泣きだしたりしてな。どうしても帽子の奪いあいに至らなかった」

「……ぶっは」


 ちょっと待て。

 どんな怖い目で相手を睨んだんだよ、こいつ!

 ま、わかんなくもないけどさ。

 そりゃ泣くよな、普通の小学生がこいつに本気で睨まれたら。

 いや、本人は睨んだつもりはないんだろうけど。単に剣道の仕合いの時みたいに、真剣な目で殺気を放っただけ……なんだろうけど。

 って、だからそれが怖いんだって!


「……なにを笑ってる」

「え? わ、笑ってないよ……?」


 俺はひーひー言いながら、必死で口をおさえこんだ。腹筋が痛くてたまんない。その分、目に涙まで滲んでしまう。

 佐竹がいつもの人を殺しそうな目で睨んでる。

 だけどごめん。

 俺、もうその目は怖くないんだ。


「貴様……」


 地の底を這うような声で、佐竹がそう言ったときだった。

 可愛い女の子の声によるアナウンスの声が俺を救った。


「次は、プログラム十五番。保護者のみなさんによる借り物競争です」


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