第4話

「洋介ーっ。こっちこっち!」


 ぶんぶん手を振って大声をあげたら、洋介が俺をみつけてぱっと明るい顔になった。

 たたっとこっちへ走ってくる。

 体操服と赤白帽姿で水筒をさげた洋介は、すっかり頬を上気させている。児童席はまともに日が当たってるから、座ってるだけでもかなり暑いんだろう。こめかみから汗が流れている。

 俺は早速、保冷剤と一緒にクーラーボックスに入れてきていた冷やしタオルで顔を拭いてやった。首の後ろに保冷剤を当ててやる。


「ふわ~、つめたい。きもちいいっ」


 はは。なんだか生き返ったみたいな顔だ。

 日焼けした頬がちょっといつもよりもたくましく見える。

 実はこの冷やしタオルも、佐竹の助言の賜物だったりする。

 ほんと感謝な、佐竹。


「ほら、靴脱げよ。砂あげないように気をつけてな」

「ん」

「座るの、ここでいいか?」

「うん」


 そういえば、さっきから気のせいか、周りのお母さんがたの視線をびしびし感じる。「あれ誰かしら」「ご兄弟っていうには一人だけ似てなさすぎよね」って今にも聞こえてきそうな視線だ。

 もちろん視線の先にいるのは佐竹。ま、無理ないとは思うけどね。

 二枚目だわ姿勢はいいわ礼儀正しいわ。「こいつ何者?」感がハンパないもん。

 俺はみんなにお手拭きと箸を配り、大きめのタッパー五個をシートの中央に広げて蓋をあけた。


「わあっ! おいしそう……!」

 洋介が目を輝かせる。

「いい? 準備オーケー? じゃ、食べよう食べよう!」

「うん! いただきまーす!」


 洋介は顔じゅうでにこにこ笑って、俺と一緒に手を合わせた。

 もちろん佐竹はいつもみたいにびしっと顔の前で両手を合わせ、渋い声で「いただきます」とつぶやいている。それにしても、「端座たんざする」って言葉がこれだけばっちりはまる男子高校生ってなかなかいないよな。

 最近じゃ洋介も、こいつが指導を手伝ってる剣道場でちょっとずつ剣道を習ってる。とにかく佐竹に憧れちゃってて、こういう時も佐竹のことを一生懸命まねするんだよな。座り方とか、姿勢の良さとか。今じゃ箸の上げ下ろしから大人への言葉遣いに至るまで。

 俺も父さんも、それについてはむしろ「ありがたい」って喜んでるぐらいだけどさ。


「わー、おいしいっ!」


 洋介は案の定、大喜びだ。

 母さんみたいな素晴らしい色どりやバリエーションはとても出せないけど、とりあえず海苔のおにぎりとゆかりご飯のおにぎりと、唐揚げとミニトマトと卵焼きとブロッコリーは詰めた。

 薄切り豚肉でグリーンアスパラを巻いて甘辛く焼いたおかずは、佐竹が作ってくれたやつだ。ほかにも色々。早朝から家で作って、朝うちに来てからいっしょに詰めた。

 こいつが本気出したらめちゃくちゃ豪華ですごいお弁当になるのは間違いない。何しろ、俺よりずっと前からほとんど一人暮らしいみたいな感じで、自炊してきたっていうんだからな。

 だけど、こいつは今回、基本的に絶対前には出なかった。その代わり、俺にアドバイスしたり手伝ったりと縁の下の力持ちに徹してくれてる。それはきっと、俺に花を持たせるためだ。

 事前に「そっちが鶏ならこっちは豚にするか」とか「骨付きの魚はやめておこう」とかこまごまと相談してくれて、全体に子供が喜びそうなメニューにしてくれたりして。なんかもう、めちゃくちゃありがたい。

 なんだよそれ。男前すぎないか? まったくもう。

 そういうさりげない気遣い、お前に告白してくる女の子たちにもちょっとぐらいはしてあげなさいっての。

 ……なんて、ほんとにそうし始めたら、俺はちょっぴり微妙な気持ちになるんだろうけど。いや、ほんのちょっぴりね!

 え? なんでって?

 そりゃまあ……ともだち、だから? あっちの世界じゃ色々あったし。

 なんだよ。ほかに何があるってんだよ。


 洋介は、俺の唐揚げも佐竹のアスパラ肉巻も「おいしい、おいしい」って夢中で食べてくれている。俺はそれが特に嬉しかった。このところ母さんのこともあって、あんまり食欲がないみたいだったから。

 その横で、佐竹はもうさっさと林檎なんかいている。しゅるしゅるしゅるとあいつの手元で林檎の皮が途切れずにきれいな螺旋を描いていく。

 本当に手際がいいな、こいつ。周囲のお母さんたちの目がなんとなくハート型になってるぞ。多分気のせいじゃないぞ、これ。

 そういうあれこれを見ててなんとなーくイヤな気分になるのも、きっと気のせいじゃないんだろうなあ。

 ……あんま、よくわかんないけど。

 だ、大事な友達なんだから、それぐらいは当たり前なんじゃないの?


「ほら、洋介」


 そうこうするうち、佐竹はもう林檎を切り分けてピックに刺してる。それをひと切れ、洋介に差し出した。

 なんだその流れるような動き!

 動きのどこにも無駄がねえ!

 やっぱお前はスーパー主婦だよ。


 だけど。

 洋介はそれを受け取らなかった。

 こっちに気が付いてないらしい。

 なんとなくその目線の先をたどって、俺はすうっと背筋が寒くなるのを覚えた。


(……あ)


 いや、わかってたんだよ。

 こんなところに来ちゃったら、周りじゅう両親がそろった幸せ家族に囲まれるなんてことはさ。

 だから俺、事前に何度もきいたんだ。


『ほんとに外で食べるのか?』って。

『別に、教室で食べたっていいんだぞ』って。


 でも、洋介は『そんなのやだ』って言った。

『外のほうが気持ちいいもん』って屈託なく笑ってた。

『さたけさんも来るなら、みんなで外で食べたいもん』って。

 そう言ったからさ。


 ……でも。


「やあだあ、ママったら。ピーマン入れないでって言ったでしょお?」

「そんなこと言わないの。みんなで食べればおいしいじゃない」

「やーだあ! もうお弁当いらない、デザート食べるうっ! ママ、ゼリー出してよう!」

「ほら、バタバタするな。シートに砂があがるだろ」

「ねえママ、ちゃんと僕の動画とれた?」

「ええ。さっきパパが撮ってくれたわよ。カッコよかったわ~、ジュン君」

「えー、どれえ? 見せて見せて~」

「だーめ。充電が切れちゃうから、帰ってからね」

「ええ~っ? ケチぃ! ママのケチー!」


 わいわい、ガヤガヤ。

 周囲は幸せファミリーに次ぐ幸せファミリーのオンパレード。

 まあ、パパさんたちはお疲れモードの人も多いけどね。中にはほとんどずっとスマホの画面を見て寝転んでるとか、タオルを顔に掛けてガチで寝っぱなしなんて人もいるけどさ。


 洋介の視線の先には、長い髪を後ろでくくってつばの広い帽子をかぶった、どこかのお母さんの背中があった。

 そう、ちょうどうちの母さんみたいな。

 見たところ、低学年らしい体操服の男の子の下に、もうひとり三、四歳ぐらいの小さな男の子がいる家庭だ。その子がお母さんの腰のあたりにずっとまつわりついて、「ほら、これも食べなさい」って言われて。それを振り払っては、「やーだよ!」なんて甘えてる。


「……あの、ようす──」


 呼びかけようとして、凍り付いた。


 洋介の大きな目にはもう、

 今にもこぼれ落ちそうなほどいっぱいに、

 光るものが溜まってた。



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