第2話

「残念だったな。馨子かおるこさんもあんなに来たがってたのに」

「仕方あるまい。仕事は仕事だ」


 最後の荷物の点検をしながらなんとなく言った途端、佐竹の目と声が急激に冷ややかになった。

 だからその顔、怖いって。


「あんなうるさいのが来たらかなわん。なにより周囲の皆さんのご迷惑だ」

「いや、そんなこと──」

「あれが来るなら、誰より俺自身が真っ先に参加を辞退申し上げる」

「ぶはっ」

 思わず吹き出しちゃった。

「なんだそれ。相変わらずひっでえ息子」

「やかましい」


 ぎろっと怖い目で睨まれる。でも実際、俺はほとんど怖くなくなっちゃってるけどね、これは。こいつの心の芯にあるのがなんなのか、もうちゃあんと分かっちゃってるし。


「かわいそうにな~、馨子さん。実の息子に『あれ』呼ばわりされるとかさー」

「やかましい、と言っている」


 とはいえ、ほんとはちょっとほっとしてる俺もいる。だってこいつとあの馨子さんが来ちゃったら、一般的な保護者のみなさんの中で目立ちまくってしょうがないもん。

 まったく、この見た目偏差値超弩級ちょうどきゅうファミリーめ!


 一階のリビングでそんなことを言いあいながら、俺たちは弁当の詰め込み作業を終える。今年は佐竹が見に来てくれることになって、洋介は俄然、練習に熱が入ったみたいだった。

 七年もとある場所に飛ばされて時間を過ごした俺とは違って、洋介にとっては母さんの死からまだほんの数か月しか経っていない。

 本当だったらこの運動会だって、去年と同じに母さんが主体になって色々準備するはずだった。今日の観覧だって、きっとだれよりも楽しみにしていたはずだった。


 ……でも、仕方がない。

 ってしまった人は、どうしたって戻ってこない。

 だから俺らは、今ある時間をちゃんと大事に、ちゃんと意味のあるものにするように生きるしかない。

 そういうことも全部、俺はあっちの世界で教えてもらったんだと思ってる。

 でも、洋介と父さんはそうじゃないんだもんな。


 クッキングアプリの世話になり、佐竹にも色々教えてもらって頑張って作ってみたけど、この卵焼きだって唐揚げだっておにぎりだって、母さんの味には程遠いんだろうし。

 なんかそう思うと、すごく洋介に申し訳ない気持ちになっちゃう。


「……手が止まってるぞ」

「あ。うん……」


 低い声で横から言われて、慌ててタッパーを保冷バッグに入れ、周囲に保冷剤を詰める。

 ええっと、あとなんだっけ。

 カメラとスマホと人数分のお手拭きだろ?

 熱中症対策の塩分入りのキャンディとか、スポーツ飲料とか。

 それから、タオルとティッシュとレジャーシートと──。

 ああ、絶対なんか忘れものしそうで怖い。

 世のお母さんたちって、マジで毎回こういうことやってんのかな。すげえよなあ。洋介はもう大きくなっちゃってるけど、これでもしも赤ん坊だったらこの何倍も手がかかるわけだろ? うわ、信じらんねえ。ほんと偉いったらないよ。

 あ、まあお父さんだってやってる人、いるんだろうけど。

 世のシングルファーザーの皆さんも、お疲れさまッス!


「帽子も忘れるなよ。今日は天気がいいそうだからな。気温もかなり高くなる。保冷剤は多めにな」

「あ、うん」

 と、階段をおりてくる足音がした。

「お。そろそろ出られそうか?」

 そう言ってリビングを覗いたのは父さんだ。今日は保護者も参加する競技があるから、動きやすいTシャツにスウェットパンツ姿。


「あんま無理しないでよ? 毎年じゃないみたいだけど、けっこう腰いためたりとかして、救急車なんて呼ばれちゃうお父さん、いるみたいだからさ」

「分かってる分かってる。自分の年は認識してるよ」

「ほんとかなあ。そんなこと言って、真っ先にどっか傷めたりしないでよ?」

「おいおい。そりゃないだろ? 祐哉ゆうや


 首をすくめて苦笑して、父さんはひょいと和室に入っていく。

 仏壇の母さんに報告だろう。


「待たせたな。じゃあ、そろそろ出かけるか」

「本日はお世話になります。お邪魔だとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」


 戻って気軽に笑った父さんに、びしっと腰を折って生真面目な挨拶してるのはもちろん佐竹だ。

 父さんが「相変わらずだなあ」って顔で苦笑した。

「こちらこそ。よろしくね、佐竹君」

「じゃ、行こうぜ! この時間じゃいい場所はほとんどとられてるだろうけど、できれば日陰が確保したいしなっ!」


 敢えて明るい声でそう言って、俺はいっぱいの荷物を肩に掛け、玄関に向けて行きかけた。

 と、すぐに「貸せ」という声とともに横から手が伸びてくる。

 俺の手からあっという間に、荷物の半分以上が持って行かれた。


「えっ……あ、ありがと」


 「黙れ」とばかりにじろりと睨まれて、俺は素直に頷いてしまう。

 ほんとこういうとこ、有無を言わさないよなあ、こいつ。

 父さんなんて、自分のカメラ以外の荷物もないじゃん。


 街を照らすお日様はまだ満開の夏の顔。

 足元からは「それでも今は秋なんですよ」とばかり、涼しい虫の声がする。


 さあ、運動会のはじまりだ。


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