2-3
警備兵に守られた倉庫の一隅に跳ね扉が隠されており、そこを開けると地下へと続く階段が現れた。
地下は地上よりも気温が低く、長袖のジャケットを着ていても肌寒く感じるくらいだった。
階段をおりると、天井の低い地下通路が20メーラーくらい奥に続いていた。
片側の壁には棚が据え付けられており、ワインがぎっしりと並べられている。
どうやらここは、所長のワイン貯蔵庫にもなっているらしい。
ざっと見ただけでもビンテージワインをいくつか発見した。
貴族の屋敷で執事をしていたので、その手の知識も持ち合わせてはいるのだ。
「いいワインを所有してらっしゃいますね。キャッスル・ラムズなど滅多にお目にかかれない逸品です」
「ほう、君も詳しいようだな。だが、これは私の数少ない趣味の一つだ。絶対に手を触れないように頼む。君を最悪の監房に放り込むのは嫌だからね」
「誓って、盗みなど働きません」
「気をつけてくれたまえ」
監獄には男色の囚人もいるそうだ。
一番有名なのはジャック・ケッチという大男で、体重が220ロンブ(220キログラムくらい)もある筋肉と脂肪の塊のような奴だった。
同房の囚人の首を絞めながら、後ろから犯すのが得意らしい。
腹回りと同様にアソコも太く、犯された人間は何日も尻の痛みに苦しむそうだ。
聞くだけで身の毛もよだつ話である。
そんな男のいる監房に送り込まれるくらいなら、先に首を括った方がマシかもしれない。
俺の新しい職場はそんな逸話には事欠かない、気が滅入るような場所なのだ。
「0番はこの奥にいる。鉄格子には近づきすぎないように気をつけるのだ。彼女の機嫌を損ねた看守が、過去に3人死んでいる」
囚人は女か……。
看守を3人も殺したとは、いったいどんな凶悪犯だ?
だが、それだけのことをしておいて、未だに死刑にならないというのもおかしな話だった。
「0番はどうして看守を殺したのですか? 理由があれば対処のしようもあるのですが、単なる狂人となると厄介ですね」
「狂人ではない。三人目については本人が黙して語らないので理由はわからんが、一番目と二番目については判明している」
「それは?」
「最初の男は0番を強姦しようとして返り討ちにあったのだよ。愚かな部下だった」
看守による囚人のレイプは、監獄ではよくある話らしい。
エベントもそれらしいことを言っていた。
だが、返り討ちに遭うというのは珍しいのではないだろうか。
囚人というのは多かれ少なかれ拘束されているはずだ。
「二番目は、レイプは諦めていたようだが、目の前で辱めようと試みたらしい。これは生き残った下役の証言だがね」
「辱める?」
「何時間も鉄格子の前に粘って、目の前で排泄をさせようとしたようだ……」
それはまた……マニアックなことだ。
監房にはトイレはないので、隅に置かれた桶にするしかないのだが、その様子を観察しようとしたわけか。
「その看守はどのように殺されたのですか?」
「スプーンを投げつけられたのだ。信じられるかね? 木製のスプーンが眉間に深々と突き刺さるのだぞ。おおかた三番目も似たり寄ったりの理由で殺されたのだろう……」
話を総合するに、0番という女囚は相当に魅力的な女性のようだ。
そして、恐ろしいほどに腕が立つ……。
「どういった素性の囚人なのですか?」
「それは……」
所長はどうにも歯切れの悪い物言いをしている。
俺は天上語ができるという理由でここに連れてこられているから、最初は知的エリートである政治犯の世話でもするのかと思った。
だが、それにしては所長の様子が変だ。
だいたい美女であり、恐ろしいほど腕が立ち、かつ天上語が使える女性の話など聞いたことがない。
それほどの才女ならば社交界で噂にならないわけがないのだ。
執事とはいえ、サリバンズ家にいた俺が、噂さえ聞いたことがないなどあり得ない。
そんな女性に心当たりがあるとすれば、先の勇者様くらいしか……。
「ま、まさか!!」
所長は大きなため息をついた。
「君の予想は外れていないと思う。そう、元勇者様だよ」
「本当にあのフユ・サガラ様なのですか」
所長は声を出さずに無言で頷いた。
告げられた事実がうまく理解できずに、俺は当惑していた。
フユ・サガラは四年前に魔王を討伐した最強の勇者だ。
彼女は王や重臣たちに見送られて天上界に帰っていったと伝え聞いている。
ブリテニア王国の誰もがその事実を疑ったことすらないだろう。
それが、こんな場所に閉じ込められているなんて、一体どういうことなんだ!?
「0番がなぜここにいるのかは聞かない方が君のためだ。理由はわかるだろう?」
王侯貴族が関わることに首を突っ込めば命がいくらあっても足りなくなる、所長はそう言いたいのだろう。
言われるまでもなく知っている。
こんな任務を与えられて、俺は既に身の危険を感じているくらいだ。
「承知しました」
最悪の不安を覚えながら暗い地下通路を進んだ。
通路の行き止まりにランプがかけられていて、最深部に鉄格子の嵌った監房が現れた。
手に持ったランタンを高く掲げ、俺たちは牢の中を覗き込んだ。
汚泥の中に咲く一輪の
彼女は寝台の上に膝を折って座っており、真っ直ぐに背筋が伸びていた。
きっと、天上語でいうところの『正座』という座り方だと、俺にはすぐにわかった。
単語は読んだことがあっても、目にするのは初めての経験だ。
考えていたよりもずっと
漆黒の髪は後ろで一つに束ねられ、表情はなく、半眼に開かれた目は遥か彼方を見据えているようにうかがえる。
手には魔法を封じる魔封錠をつけられ、薄汚れた囚人服を着ているというのに、勇者様は気高い美しさを持っていた。
「紹介しましょう。彼は今日から貴方の身の回りの世話をする新しい看守です」
所長の言葉にも反応を見せず、フユ・サガラは正面を見つめたまま身じろぎもしなかった。
俺も挨拶をしておいた方がいいだろう。
ここはやっぱり天上語で話しかけた方がいいのかな?
『はじめまして、私の名前はバートン・ウルフです』
やっぱり反応がない。
もしかして精神を病んでいるのだろうか。
太陽の光も届かないような、こんな場所に何年も閉じ込められていれば、精神を蝕まれてもおかしくはない話だ。
「バートン君、空いた皿を下げてくれたまえ」
所長の命令で鉄格子に近寄り、朝食が入っていたと思われるトレーを持ち上げた。
いきなり殺されるのではないかと少しだけ恐怖を感じたが、フユ・サガラ様は動かなかった。
所長は俺が持ってきたトレーを一々確認して確かめていた。
といっても、あったのは木製の皿が二枚とスプーンが一本だけだ。
「食器はすべて回収するように」
魔封錠で能力が封じられているとはいえ、勇者は武芸の達人だ。
ささいな物でも人を殺す武器となるからだろう。
実際に看守が3人も死んでいるのだから、所長の用心は
改めて見ると、この独房も、勇者にかけられている魔封錠も特別製のようだ。
何らかの方法で勇者の力を封じているのだろう。
そうでなければ、こんな監獄くらい簡単に吹き飛ばしてしまうにちがいない。
天上語でいうところの『チート』と呼ばれる力は、半ば神の力に迫るものだと聞いている。
健康チェック、食事の上げ下げ、水の差し入れ、清掃、壁に掛けられたランタンへ油の補充、そんなことが俺の基本的な仕事だと教えられた。
勇者様に要望があれば、それを叶える場合もある。
例えば買い物などがそうだ。
勇者様には国から月額1万ギールの金が支給されている。
欲しいものがあればそこから金を出して買い物もできるそうだ。
もっとも、ここ何年か要望は出ておらず、お金は38万ギールも貯まっているそうだ。
それにしても、魔王を倒した勇者への報酬が月に1万ギールとはふざけた話だ。
俺でさえ2万1000ギールを貰っているのに。
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