監獄生活初日 2-1

 昨日の内にアルバン監獄へ引っ越しを済ませて、夜は自分に与えられた部屋で眠った。

わらいただけの粗末そまつなベッドで、起きる頃には体の節々が痛くなっていた。

せめて屋敷からシーツも持ってくればよかったと後悔したが、いつまでも過去に執着しゅうちゃくするのはやめようとあきらめた。

もう二度とあそこには帰れないのだ。


 監獄は朝食も粗末で、パンも噛みちぎるのにも苦労したほどだが、飢えの恐怖に晒されるよりはマシだろう。

硬いパンをミルクで胃に流し込み終わると、エベントが話しかけてきた。


「食い終わったら一緒に行くぞ。今日も新入りが送られてくる。奴らの受け取りから見せるから」

「新入りって、囚人ですか?」

「他に何が来るってんだよ? それから、剣は部屋に置いておけ。ここでは警棒を使うんだ」


 刃物を獄舎に持ち込むことは厳禁げんきんだそうだ。


「剣を使ったら死んじまうだろ? 棒なら何度でもぶん殴れる。棒でも、たまに死んじまうけどな」


 笑えないジョークだと思ったけど、エベントは本気で言っているようだった。



 正門が開くと黒塗りの馬車が入ってきた。

人々はこの馬車を「黒い聖女」と呼ぶ。

乗車定員は12名なのだが、いつも14名以上が押し込められてやってくるそうだ。

酒に酔って暴れただけの微罪の者も、殺人犯などの重犯罪者も、男も女も一緒に乗せられてしまうそうだ。


「本日の護送は16名だ。少なくて助かるよ。カース・イースト! ジョン・サウス! イーサン・ウェスト! リンダ・ノース!」


 名前を呼ばれる度に、手錠につながれた囚人が引き渡された。


「よーし、全員俺の後についてこい。ぐずぐずするな!」


 4人の看守と4人の下役が囚人の受け入れを行っていた。

黒い聖女一台につき、この人数で受け取り業務をこなすそうだ。


 玄関を潜ったホールのところで、囚人は男と女に分けられた。


「男は右へ、女は左に進め」


 10人の男が右側の通路へ、6人の女が左側の通路へと進んでいく。


「俺たちはこっちだ」


 ニヤニヤしながらエベントは女囚の後へとついていった。


「今日の奴らは悪くない……」


 好色な笑みを浮かべながらエベントは嘗め回すような視線を女囚たちの背中に向けていた。


「彼女たちはどんな罪でここへ来たのですか?」


 俺の質問にエベントは無言で手に持っていたファイルをまわしてきた。

汚い文字だったが判別は可能だった。

まず年齢だが、下から18歳、20歳、29歳、36歳、42歳、51歳とまちまちだった。

罪状は騒乱罪(酔っぱらって暴れた)が二人、配偶者に暴力を働いた者が一人、それから窃盗が三人だった。

うち二人は強盗だというから驚きだ。

一人が酔ったふりをして男を路地裏に誘い込み、いかがわしいことをしようとズボンを下したところで、もう一人が棍棒で後頭部を殴りつけたそうだ。

強盗の一人、メリッサ・ブーンが振り返った時に目が合った。

思わず心臓がびくりとしてしまったが、表情には出なかったと思う。

挑発的な目つきでメリッサはニヤリと笑い、口を大きく開けて何かを咥えるしぐさをした。

それを見てエベントがクックと笑っている。


「何ですかあれは?」

「お誘いだよ。ウルフは男前だからきっとサービスしてもらえるぜ」

「それって……」

「監獄の中でも金は必要なのさ。少々器量のいい女なら誰でもやっている。外で女を抱くよりよっぽど安いしな。まあ、俺たちがその気になれば、ただでいくらでもやれるけどよ。金を払えばいろんなことをしてくれるもんさ。金じゃなくても酒やタバコなんかでもいいんだぜ」


 ここの風紀はとんでもなく乱れているようだ。

暗澹あんたんたる思いがしたけど、自分には関係ないと思うしかなかった。


「そんなことして大丈夫なんですか?」

「ビクビクすんなよ。みんなやってるぜ」


 暴力、収賄、売春、そんなものがここの当たり前なのだ。


「賄賂がなかったら六等官なんて生きていけないぜ。上の連中だってそのことは理解しているから、見て見ぬふりをしてくれる。これは俺たちの正当な報酬なのさ」


 2万1000ギールでは一人暮らしでもギリギリの生活だろう。

家族がいるものではとても立ち行かないことは自分にもわかる。


「口だけなら200ギールが相場だぜ」


 エベントはそう言ったが、とてもそんな気にはなれなかった。



 廊下の端まで歩くと、いくつもの籠が並べられていて、係官が待っていた。

通路の右手には短い階段があり、3段下ったところには小さな浴槽があった。


「全員ここで服を脱いで風呂に入るんだ」


 こんなことは慣れているとばかりに、数人の女たちは俺たちの前でも平気な顔で服を脱ぎだした。

彼女たちは一度ならずここに収監されたことのある再犯者なのだ。

若く、初めて監獄に来た女たちも、最初はもじもじとしていたが、係官に促されて服を脱いでいった。

看守たちは目を背けもせず、その様子をつぶさに観察している。

これも仕事……なのだろう。


「全員脱いだな。そしたら、風呂を使え」


 風呂といってもお湯なんかほとんど入っておらず、ただの水風呂のようだ。

暑い季節ならそれでもいいだろうが、秋も深まったこの頃では、さぞかし身に堪(こた)えるに違いあるまい。


 女たちが風呂に入っている間に、エベントが係官に話しかけていた。


「よう、マシュー。調子はどうだい」

「相変わらずのカラッケツだ。ところで、なんでお前がここにいるんだ?」

「今日は研修教官さ。こいつは新しい同僚のウルフだ」


 紹介された俺はマシューという看守と挨拶を交わした。


「よろしくお願いします」

「ああ。ここでは看守同士が連携して仕事をまわさないと事がうまく運ばないからな。よく見て仕事を覚えてくれ」


 俺とマシューが言葉を交わしている間も、エベントは舌なめずりをしながら風呂の方を見ていた。

それからファイルをちょっと確認して、また口を開いた。


「俺はウルフに検査の方法を教えなきゃならないんだ。786番の検査は俺たちにやらしてくれ」


 786番というのはエミリー・ポーカー(29歳)だ。

ここにいる6人の囚人の中では可愛らしい顔立ちで(あくまでも比較的に言えばだ)、大きな胸を持っていた。


「まあいいだろう。こんどジゼルの一杯もおごれよ」


 マシューは面白くもなさそうな顔でエベントの申し出を受け入れていた。


 五分もしない内に、女囚たちは風呂から出るように命令された。

看守たちは彼女らに近寄り、胸や局所を隠しているタオルを強引にむしり取っていった。

囚人たちが風呂を使っている間に、彼女らの服が入っていた籠は下役によってどこかに移動されている。

エミリー・ポーカーのタオルはエベントによって払い落とされた。


「その場にじっと立っていろ」


 厳しい口調でエベントが命令を出した。


「囚人が違法な物を持ち込まないように検査するんだ。俺と一緒にやって、やり方を覚えてくれ」

「わかった」


 エミリー・ポーカーは青白い顔をして、怯えたように正面を見ていた。

自分の中にだってくらい情欲の炎はくすぶっている。

それを否定するつもりはないけど、実際に事に当たるとなると、それは気の進まない仕事だった。

人間の尊厳が踏みにじられる現場は見ていて心が痛む。


「両足を広げて立て」


 低いエベントの声がやけに大きく響いた気がした。

エミリーはびくりと震えたが足を広げることはなかった。


「786番、さっさと足を広げろ。時間を取らせるな」


 エベントが汚いブーツでエミリーの足を蹴ると、ようやくのろのろと足を広げた。


「脇の下を見せろ」


 もう抵抗する気はないようで、動きは緩慢であったがエミリーは言うことを素直に聞いた。

裸のまま足の裏を見られたり、その場で回転させられたりしたあと、エミリーはひざまずかされていた。


「ウルフ、近くに来いよ。これから髪の毛のチェックをしてもうから」


 髪の長い女囚は、頭髪の中に違法物を紛れ込ませて監獄に持ち込むことが多いそうだ。

言われた通りに指で髪の間を探って、不審物を探した。

風呂に入ったばかりというのにしらみなどの虫がぽろぽろと髪の毛からこぼれ落ちていく。

嫌そうな顔をするのもエミリーに悪い気がして、なるべく事務的に無表情でいようと心に決めて作業を進めた。

一方、エベントはどうしているかと見れば、エミリーの顔を見つめながらニヤニヤと大きな胸をまさぐっている。

いやらしいことをしながら相手の反応を楽しんでいるようだ。

第一印象というのは意外と正確なものなのかもしれない。

やっぱり俺はエベントが嫌いだと思った。


「お前も揉んでみろよ。なかなかいい乳をしているぜ」


 びっくりして周囲を見回したが、こちらを気に留めている看守など一人もいなかった。

それどころか看守や下役の中にはエベントのように、明らかに自分の楽しみのために女囚をまさぐっている者も数人いる始末だ。

俺は聞こえなかったフリをして髪の毛のチェックに集中した。


「次は四つん這いになれ」


 エベントの命令に一瞬だけ驚愕の表情をしてみせたが、エミリーはそれにも従っていた。


「どれどれ……」


 とても口にはできない光景が眼前に広がっている。


「今日は女囚だからよかったけどさ、男の囚人にもこれをやんなきゃならないんだぜ。まったく、因果な商売さ」


 エミリー……、いや、786番の尻を割りながらエベントがぼやいていた。

俺も、囚人を名前で呼ばない方がいいのかもしれない。

一人一人を名前で呼んでいたら、俺の心が壊れてしまいそうな気がする。


「よし、もういいぞ。立って服を着ろ」


 囚人服は灰色で、太くて黒い矢印の模様が一本ついていた。

頭からかぶるワンピースの形をしていて、非常に簡素だ。

寒い時期はもう一枚だけ、上に羽織る厚手のジャケットが支給される。

目尻に涙をためた786号が囚人服を着終わると、俺の方がホッとした気持ちになった。

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