1-2

 追い出された使用人たちは夕日に照らし出された屋敷を呆然と眺めていた。

普段ならとっくに夕飯の支度したくをしている時間だ。


「これからどうしましょう……」

「どうしようもないさ。あそこにいる兵隊が中へ入ることを許してくれないんだからね。私は知り合いの家を当たってみるよ」


 使用人たちはオロオロとするばかりだったが、執事長の一言であきらめがついたようだ。

荷物を担いで三々五々さんさんごごに散らばっていった。


「ウルフさんはどうします?」


 執事長が聞いてくるが、あてはない。


「今晩はホテルにでも泊まりますよ」

「だったら早く行くことです。そんな荷物を担いで夜道を歩くのは、追剥おいはぎに襲ってくれと言っているようなものですから」


 魔王が討伐されてからロンディアン市の治安も改善しているが、夜の街は相変わらず危険がひしめいていた。

最近の流行は「首絞め強盗」のようである。

泥棒の片割れが被害者の首を絞めて動けなくしている間に、相方が身包みぐるみをぐというやり方だ。

喉骨のどぼねくだかれた被害者は助けを呼ぶこともできなくなってしまう。


「一番近いシャンドン・ホテルに行ってみます」

「それがよろしいですよ」


 七年前に腹違いの兄の従者として魔王討伐軍に加わったことがある。

あれは17歳の時だった。

そこで武器の使い方も一通り教えられたけど、俺は筋がよかったようだ。

教官は高名な騎士だったが、自分の弟子にならないかと誘ってくれるくらい俺は天賦てんぷの才に恵まれていたようだ。

もっとも、嫉妬に狂った兄貴が弟子になることは許してくれなかったけどね。


 そんなわけで、一人や二人の強盗なら撃退することも普段なら可能だろう。

だけど、両手に荷物をぶら下げているこの状態では腰の剣を抜くことさえ覚束おぼつかない。


「重そうな荷物ね。ちょっとウチで休んでいかない? 安くしておくからさ」


 表通りに出たところで娼婦しょうふらしき女に声をかけられた。

魅力的な体つきをしていたけど、財布の中身と明日からの生活を考えればとてもそんな気にはなれない。


「また今度お願いするよ」


女性経験のない俺では、そんな返事を返すのがやっとだ。

夕闇の迫る町を、足早にホテルへと急いだ。



 屋敷からほど近いシャンドン・ホテルに部屋をとり、ようやく一息付ける頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

ベッドとサイドテーブルしかない小さな部屋だったが、清潔ではあった。

屋敷の自室よりも狭かったけど一泊で6000ギールもしたのには驚いた。

財布の中身は全部で42000ギールしかなかったので、より安い大部屋に泊まりたかったが、荷物があるのでそれもできなかった。

大部屋なんかに泊まったら、あっという間に荷物は盗まれてしまっただろう。


 その時はまだ、親父殿がすぐに縛り首になるとは思っていなかった。

だから、明日になったらもう一度お屋敷に戻って情報を集めてみようなどと、悠長ゆうちょうに構えていた。


 思い返すと、とっとと再就職に向けて行動していれば、焦って今の職業に就くこともなかったと思う。

そうは言っても、俺は預言者じゃないし、こぼれたワインはグラスに戻らないとも言う。

人生は後悔ばかりだ。



 翌日は早朝からお屋敷に戻ってみたが、鉄の門は固く閉ざされたままで、いくらおとないを入れても応答する者はいなかった。


 仕方がなく親戚筋の方を回ってみることにしたのだが、これまた驚いたことに、親父殿の兄弟や伯父まで、一族がことごとく捕まっていた。

そして、追い打ちをかけるようにエンバイロ広場の広報掲示板で、サリバンズ一門の公開処刑が二日後に行われることを知った。

ここに至って、俺は自分の人生が壊れかけていることをようやく理解したのだ。


 胃の中で朝食に食べたコーンパンが暴れまわっている気がした。

早急に身の振り方を考えなくてはならない。

だけど、自分に何ができるだろうか? 

再就職をするにしたって、紹介状というものがなければろくなところには就職できない。


 日雇いや港湾労働者は常に募集されていると聞いたが、自分にそんなことが務まるだろうか? 

あれは非常に体力が必要だと聞いている。

数年前までは徴兵官ちょうへいかんが広場で募兵ぼへいを行っていたものだけど、魔王が滅ぼされてからはついぞ見たことがない。


 文官募集は春だからまだまだ時間がかかる。

一番いいのはどこかのお屋敷に執事として雇ってもらうことだけど、そう都合よく見つかるものでもないだろう。

広報掲示板の前で立ちすくみながら頭の中で思いを巡らせたけれども、うまい考えは思いつかなかった。



 じりじりとした焦りを感じながらも、何もできないままで二日が過ぎた。

その間に、親父殿たちは殺されてしまったし、俺の財布の中身は半分になっていた。

このままでは本当に生活が立ち行かなくなってしまう。

そう考えた俺は、ホテルを出て住むための部屋を探すことにした。


 人の噂で聞いただけだが、一カ月2万ギールくらいで部屋を貸してくれる家もあるらしい。

そのような家は「間借り人募集」という札を出しておくそうだから、町をまわって借間しゃくまを探すことにした。


 できれば未亡人の大家さんがいいな……胸の大きな……。

年頃の娘さんがいるとかでもオッケーだ。

そんなことを考えていたのだから、まだまだ余裕はあったのかもしれない。

荷物をホテルに預けたまま、俺は街へと繰り出した。


 屋敷に帰れない俺は下宿先を探そうと躍起やっきになっていたのだが、これがうまくいかなかった。

借間がないわけじゃない。

問題は住環境なのだ。


一つ目の部屋はかなりぼろかった。

いや、そんな生易しいものじゃない。

端的たんてきに言うと壁がなかった。

西側の壁が大きく崩れていて、向かいの集合住宅から部屋の中が丸見えの状態だったのだ。

俺は見せたがりの変態じゃないから、これでは着替え一つできないということで丁寧ていねいに断りをいれた。


 次に見つけた部屋は結構まともだったが、大家というジジイがちょっとヤバそうなやつだった。

どうみても堅気かたぎには見えないのだ。

昼間だというのに隣の部屋の奴はまだ寝ているというのもおかしな話だった。

室内にはアルコールとアヘンの残り香が漂ってもいる。

俺の生存本能が「帰れ!」コールを上げていた。

ひょっとすると泥棒宿どろぼうやどだったのかもしれない。

これも適当に理由をつけて逃げ出した。


 他にもノミが大運動会を開いている部屋や、隣人が結核けっかくにかかっている部屋などがあった。

病気の人は気の毒だけど、俺にはしてあげられることもない。

自分のことだけで精いっぱいだった。


 とにかく生活の基盤となる部屋と仕事を探すことが急務だ。

通りの端にジゼル(アルコール分の高い安価な蒸留酒)の瓶を抱えて眠りこける浮浪者がいた。

その体は薄く、顔色は土のように青黒い。

露出している部分のいたるところに皮膚病が見られた。

きっと体の内にも病気を持っているのだろう。


 ぐずぐずしていれば、自分もすぐにあの仲間になることは疑うべくもない。

一度落ちてしまえば、二度と這い上がれないような地獄が目の前に口を開けているような気がして、俺は身震いをして借間探しを続けた。



 午前中に七件の家をまわったが、まともな部屋は一つも見つからなかった。

時刻は昼時だったが、今日の昼食は抜こうと考えていた。

財布の中身を考えると昼飯を食べている場合ではないような気がしたからだ。

ブラブラとオリバー通りを右へ折れ、クラウント街へと歩いて行った。

ここは高級レストランが集まる界隈かいわいだ。


 もちろん食事をしようとしたわけじゃない。

ただ、知り合いでもいたら就職の口利きでもしてくれるように頼もうと思ったのだ。

都合よく知り合いが現れるという望みは薄かったけど、淡い期待を抱きながらクラウント街を歩いた。


 ちょうどレストラン・リンガートの前に来た時だった。

一台の馬車が俺の前で停車して、中から一人の紳士が降りてきた。

俺にはすぐにそれが誰だか分かった。


「フォスター男爵!」


 わらにもすがる思いで、俺は相手の名前を呼んだのだが、男爵は俺の顔を忘れてしまっているようだった。

面と向かって話すのは4年ぶりくらいだから、それも仕方がない。


「誰かな、君は?」

「バートンです。バートン・ウルフです」

「バートン?」


 まだ思い出せないようだ。


「ロバート・サリバン伯爵の……」


 ここまで言って、男爵はようやく俺のことを思い出したようだった。


「ああ、君か! お父上のことは聞いているよ。今回は大変だったね」

「はあ……」


 フォスター男爵は親父殿の従弟いとこにあたる人なのだが、以前から二人の仲は最悪だった。

政治的にも敵同士だったようだ。

そのためにサリバンズ一門が全員捕まっていても、この人は例外的に無傷なのだろう。

ただ、この人には子どもの頃に祭りのお菓子を貰ったことがあった。

そんなことをしてくれた親戚は他には誰もいなかったので、この人なら俺の境遇きょうぐうを哀れんでくれる気がした。


「父上の処刑を見に行ったかね?」

「いえ……それに、父と呼んでよいのかどうかもわかりませんし……」


 父親というよりも恩人くらいの感覚だ。


「ふむ。君にとっては複雑な心境だろうね。仲が悪かったとはいえ私もスッキリとした気持ちにはなれんよ。それで、君は何をしているのかな?」


 男爵は少しソワソワした態度だった。

レストランの中に人を待たせているのかもしれない。


「実は就職先を探していまして。男爵のところで新しい執事は必要ありませんか?」

「君をかい? いや、当家では人は足りているよ」


 勇気を出して売り込んでみたが、あっさりと断られてしまった。

だが、肩を落とした俺をみて男爵の同情心が動いたようだ。


「しかし、君は従兄甥いとこおいにあたるわけだしね、このままさよならというのも心が痛む。そうだな、どんな仕事でも構わないかい?」


 降って湧いたような幸運に俺の思考は停止していたのだと思う。

目の前にぶら下がった餌に飛びつく犬のように、俺は男爵の話に食いついた。


「なにかご紹介いただけるのですか?」

「下級役人の身分でよければな」

「お願いします!」


 即答だった。

これ以上のプレッシャーにはとても耐えられそうにない。

明日をも知れない身というのがこれほど心細いものかと、骨身にしみていたのである。


 俺の態度を見て、男爵は馬車の中に戻ってすぐに紹介状を書いてくれた。


「これを持ってアルバン監獄のブラックベリー所長のところへ行きたまえ。彼は学生時代の友人だ。何とかしてくれるだろう」


 こうして俺はどういうところかもよく知らずに、監獄へと出向いてみることになった。

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