監獄・狼(かんごく・ウルフ)

長野文三郎

俺が看守になったわけ 1-1

 大貴族の庶子しょしとして、24年間をのんびりと生きてきた。

めかけの子どもと馬鹿にされることもあったけど、貧乏人の苦悩とか、偉い人の重責なんかとは無縁の生活だった。

それなりに楽しい人生だったと思う。

ところがだ、親父殿がやらかした。


 結論から言おう。

親父殿はしばり首になって、遺体は市門にさらされた。

いや、親父殿だけじゃなく、奥様も、腹違いの兄妹も全員が死刑になってしまったのだ。

唯一助かったのは俺だけ。

これまでずっと俺を苦しめてきた、女中の産んだ私生児という立場が俺の命を救ったのだから皮肉としか言いようがない。

悲しいことだが、一族の名簿にバートン・ウルフの名前はなかったわけだ。

ウルフは母親の家名だからね。

父の名前はロバート・サリバンズ伯爵と言って、ブリテニア王国の重鎮じゅうちんであり、名門貴族の一人……だった。


 四年前まで、この国は比較的一つに纏まっていた。

人類に敵対する魔王の存在があったからだ。

しかし、天から遣わされた勇者が、たった一人で魔王とその軍勢を蹴散らしてしまった。

勇者の力はすさまじく、剣を振り下ろせば山がくだけ、振り上げれば海が割れたと伝えられている。

勇者は平和が訪れると、王と重臣じゅうしんたちに見送られて天の国へと帰って行ったそうだ。


 魔王が滅ぼされると人類に平和が訪れた。

国境線は安定し、働き盛りの男たちが徴兵ちょうへいされることもなくなった。

少しずつ復興がなされ、農産物などの生産量も徐々に増えた。


 ところがだ、人間の欲というやつは魔王よりもぎょしがたい化け物なのかもしれない。

今度は地位と財産を巡って人と人が争うようになり、宮廷内では盛んに政争が繰り広げられた。

親父殿はその戦に負けたわけである。


 罪状は反逆罪、詐欺罪さぎざい偽証罪ぎしょう、などなど12項目に渡った。

中には強姦罪ごうかんざいというのも含まれていたようだ。

女中だった母を無理やり妾にしていたのだから、あながちすべてが嘘というわけでもないのだろう。

手つき女中は何人もいたようだ。

他の貴族のように高級娼婦や有名女優のパトロンにでもなればいいのだけど、困ったことに親父殿は素人が好きだったみたいだ。


 そんな親父殿だったが根っからの悪党というわけでもなかった。

俺と母は放逐ほうちくされることもなく、人間らしい衣食住が保証され、教育も受けさせてもらえた。

仕事も屋敷の中で執事のようなことをさせられていて、悪くない給金も貰えていた。


 とはいえ、俺と親父殿の間に親子の情があったかと聞かれれば、首をかしげなければならない。

一年に1、2回ほど、急に思い出したかのように「よう」だの「何歳になった?」くらいにしか話しかけられなかったからだ。

すでに母は亡くなっていて、俺にとっての肉親は親父殿しかいなかったが、父親が絞首刑こうしゅけいになったと聞いても、母親を亡くしたときほどの悲しみは湧いてこなかった。


 連行されるとき、親父殿は魔法を封じる魔封錠まふうじょうという手枷てかせめられていた。

彼は水魔法が使えたのだ。

もっともそれは「水芸みずげい」と揶揄やゆされるくらい、しょぼい魔法ではあったのだが。


 ただ、その姿にいつもの威厳いげんはなく、丸めた背中がやけに小さく見えたのを覚えている。

俺をいじめていた兄や姉たちも同様に引っ張られていったが、彼らは泣き、喚き、みっともなく騒ぎ立てていた。

それを見て、これでサリバンズ家もおしまいかと、どこか他人事ひとごとのように感じ入ったものだ。


 俺にとっての修羅場はむしろその後だった。


「全員、荷物をまとめてすぐに出ていけ」


 親父殿を連行していった兵士たちとは別の隊が使用人たちを屋敷から追い出しにかかったのだ。

身の回りの品だけ持ち出すことを許可されたので、旅行用のカバンに着替えや髭剃ひげそり、ティーポット、カップ、羽ペン、そして命の次に大切な本のコレクションをぎゅうぎゅうに詰め込んだ。


 鞄だけでは収まりきらず、ポケットにも靴下やハンカチを詰め込んで、パンパンに膨らんだ姿は我ながら不格好だった。

ついでに屋敷にあった金目の物をちょろまかしておきたかったのだが、兵士に見張られていて、それはできなかった。

俺にできたのは愛玩用に飼われていた妖精のキンバリーをそっと逃がしてやるくらいのものだった。

運のよいことに兵士たちが踏み込んできたとき、ちょうど俺はキンバリーの入った籠を運んでいたのだ。


 キンバリーの背丈は10センクル(10センチメートルくらい)で、重さも小鳥くらいしかない。

透き通って光沢のある羽を持っており、金色の髪をもった美しい妖精だった。

俺とキンバリーは仲が良く、以前からいつかすきをみて逃がしてやると約束していたのだ。


「ようよう、バートン。お前の父ちゃんが連行されていくぜ。威張りんぼのアーサーも、淫乱陰険なメアリーも、みんなみんな逮捕だ、逮捕! おっと奥様さえも捕まった。罪状は不倫ですか? そいつはランベルト男爵と不義密通ふぎみっつうしてますぜ!」


 口ぎたなくののしるキンバリーを黙らせて、籠の留め金を外した。


「キンバリー、ようやく約束が守れそうだ。このどさくさに紛れて逃げるといい。兵士がお前に目をつけない内にさっさとここを逃げ出すんだ」


 妖精は希少なので資産価値が高い。

南国で捕まえられる極彩色の鳥の何十倍もの値段がするのだ。


 キンバリーは嬉しそうに両手両足をブンブンと振り回した。


「ついに自由の身になるってか? どんなにこの時を望んだことか。本当は街中に火をつけて人間どもに復讐してやりたいところだけど、バートンのために勘弁してやらぁ」

「無駄口をたたいていないでさっさと行くんだ。元気でな!」

「おう。オイラは故郷の山へ帰るとするよ。人間の世界はこりごりだからな」


 別れの挨拶のためにそっと手を差し出すと、キンバリーは俺の人差し指をハグしてくれた。


「キンバリー……」

「ここの人間はみんなクソッタレだったけど、世の中はもっとクソッタレだからな。オイラ、バートンが心配だよ」

「俺なら大丈夫だよ。これでも抜け目なくやっていけるさ」

「24歳にして童貞のくせにか?」

「キンバリー!」

「あははっ、達者で暮らせよ!」


金の鈴 銀の鈴

オイラに会いたきゃ鈴ならせ

エスタベッシュの森深く

オイラはそこで遊んでる

泉のほとりの草の上

オイラはそこで遊んでる


 硬質な金属音のような歌声を残して、キンバリーは窓辺から飛び立っていった。


 玄関ホールへ到着すると、ほとんどの使用人はもう集まっていた。

彼らの私物は自分よりもずっと少なかった。

こうしてみると、私生児とはいえ伯爵の息子ということで、自分は優遇されていたのがよくわかった。

中には鞄さえ持っていない下男もいて、そういう者は窓にかかっていたカーテンを引っぺがし、風呂敷ふろしきのようにして荷物を包んで肩にかけていた。


 しまった、俺もああすればよかったんだ。

少なくともカーテンは売れば金になると思ったが今更もう遅い。


「さあ、さっさと出ていくんだ!」


 情け容赦なく槍で追い立てられ、俺たちは正門から表に出た。

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