14−2 奈々

 あれは12月上旬のことだっただろうか。

 蔦莉ちゃんが土曜日に蔦くんの家に来ない日が、2ヶ月ほど続いたころのことだ。久しぶりに蔦くんに勉強を教えていると、

「先生。」

蔦くんが、悲しそうに辛そうに小さく私を呼んだ。その声を聞いて私は、いたたまれない気持ちになり、

「蔦くん、散歩行こう!」

と言った。

 蔦くんと私は、彼の家から一番近い4丁目にある公園に行った。私は、自動販売機で買った温かいお茶を渡した。外の空気を吸うと彼は落ち着いたのか、静かに「ありがとうございます」と呟いた。

「・・・何かあったの?」

私は、できるだけ優しく言った。

「あのね、先生。蔦莉に友達ができたんだ。」

蔦莉ちゃん友達ができたのか。本来は笑って喜ぶべきなのだろうが、彼の顔があまりに真剣すぎて笑えなかった。

「蔦莉はその子とずっと一緒にいてね、僕を避けてるような感じがするんだ。友達ができたことに対して喜ぶべきなんだろうけどね、喜べないんだよ。その子が僕らの間に壁を作っているようで。蔦莉がその子と仲良くなったら僕らの関係が壊れてしまうようで・・・。」

必死に心情を言葉にしていく彼を見ながら(あぁ、蔦くんは蔦莉ちゃんのことが好きなんだな)と思った。

「このごろ蔦莉ちゃんが来なかったのは、その友達と遊んでるからなんだね?」

私の問いに蔦くんは、弱々しく頷いた。そんな子犬のような彼を、とても愛おしく思えた。

「で、蔦くんは今まで以上に蔦莉ちゃんと一緒にいたいんだね?その友達以上に、彼女と時間をともにしたいんだね?」

蔦くんは、またコクリと頷いた。

「それってさ、友達を超えるよね。」

私の言葉に蔦くんは目を丸くさせた。

「そういうことになるんですか?」

「そういうことじゃないの?」

私はお茶を一口飲んだ。温かい液体が冷えた喉を通っていった。

「蔦くんは、蔦莉ちゃんのことが好きなんでしょ?」

私の言葉に頬を紅くした蔦くんは、

「そ、うかも、しれないけど・・・」

と口籠もりながら言った。なんで認めないんだろうと思ったが、きっと自身がないんだなと思い

「自分に自信持った方がいいよ。蔦くんは女子の理想像だから、クヨクヨしてたらかっこ悪いよ。」

と言った。きつく聞こえたかな、と思ったが蔦くんが「はい。ありがとうございます」と呟いたので、

「うん、じゃあ戻ろっか!」

と言って彼の背中を押した。耳まで真っ赤にした蔦くんは、よろけながら「はい」と呟いた。


 蔦くんと話してから二週間ほど経った日のことだ。蔦莉ちゃんから電話がかかってきた。

「もしもし。蔦莉ちゃん?」

私は、少し驚きながらも電話に出た。

[もしもし。奈々さん、相談したいことがあるんだけど・・・]

蔦莉ちゃんは、今にも壊れそうな細い声で言った。私は、酷く心配になって、

「えっと・・・じゃあ、久しぶりに顔見たいし、霞駅前の喫茶店で会おうか。そっちの方が話しやすいでしょ。」

と言った。

 

 私は、霞駅前の喫茶店である『くれおめ』のドアを開けて入った。

 カランコロンと快いドアベルが鳴って、コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐった。「いらっしゃいませ〜」とよそ行きの声で言う店員さんに会釈しながら、ステンドガグラスが設置されている窓の側に座った。私は、机に置かれているメニューを開き、セイロンティーを頼もうと思い

「すみませ〜ん。」

と店員さんに声をかけた。「少々お待ちください。」と言い、厨房に駆け込んで行った。その店員はコップをお盆に乗せ、私の元まで歩いてきた。彼は、

「ご注文お決まりでしょうか?」

と、を置きながら言った。私は顔を上げ、

「セイロンティーをください。」

と彼の目を見て言った。彼は、目線をお会計表に移し、書き込みながら

「かしこまりました。5分ほどお時間いただきますが、よろしいでしょうか」

と早口で言った。彼が去って行ったのを確認し、私はお冷を飲んだ。

 蔦莉ちゃん、心配だな。もしかして、その友達とトラブルとかあったのかな・・・。いや、蔦莉ちゃんも蔦くんと仲良くできないことを悲しく思っている可能性もある。もしそうだとすると、二人は両片想いなわけだ!蔦くんも自分の気持ちに気づいていないみたいだったし、蔦莉ちゃんもそうなのかも。

 私が思考をめぐらしていると、

「おまたせいたしました。セイロンティーです。」

と、さっきの店員さんが、空のティーカップとポットを私のそばにおいた。

「ありがとうございます。」

と私は彼に言い、私はカップにお茶を入れた。ジョボジョボジョボと音が立ち、胡桃色の透明な液体がティカップを彩る。その瞬間に、湯気が立ち視界を妨げる。カップを持ち上げ、その水面に息を吹きかける。カップに口をつけ一口飲むと、温かい液体がお冷で冷やされた喉に伝い、じ〜ぃんと温められた。

 カランコロンとまた快い音が鳴り、誰かのシルエットが見えた。蔦莉ちゃんかなと思うと心臓がドキドキした。よく目を凝らすと、それは違う人だった。私は、「はぁ」と短くため息をつき、暴れる心臓を落ち着かせた。なぜここまで心臓がドキドキするのは多分、あの出来事があったからだと思う。


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 それは、私が高校に入学して間もないことだったろうか。

 私は、いわゆる「ブス」だ。中学までは小中一貫校に通っていたため、そこまで虐められなかった。が、親の転勤で高校は見知らぬ土地の学校に通った。初めは良かったのだが、2学期、3学期と時間が経つごとに連れて、クラスメイトの態度があからさまに変わっていった。

 例えば、すれ違いざまに「ブス」と囁かれたり、少し目が合っただけで「こっち見んなよ!」と言われたりした。みんなが揃ってそう言うものだから、次第に私は自分に自信を持てなくなった。人に会うのが怖くなって引きこもってしまっていた時期もあった。今でもまだ少しだけ、怖い。

 今、なぜこんなに振る舞えているかと言うと、蔦くんのお母さんが私を可愛がってくれたからだ。小学5年生の蔦くんと出会ったのは、大学1回生の冬だった。授業が終わった後に一緒にご飯を食べたり、蔦くんが寝たあとはマッサージをしてくれたり、時にはお風呂屋さんに行ったりもした。精神的に不安定だった私を、愛情で包みこんでくれたのは蔦くんのお母さんだった。


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 ドアベルが鳴り、誰かが近づいてきたかと思うと、蔦莉ちゃんだった。少し、痩せた気がする。

「こんにちは、奈々さん。」

私は、ニコっと微笑み

「おぉ、こんにちは。久しぶりだね!」

と言った。蔦莉ちゃんは

「久しぶり。2ヶ月くらい会ってないね。」

と可愛らしい笑顔を浮かべ、言った。

「そうだね––––」

そういえば・・・

「––––蔦莉ちゃん、ちょっと背伸びた?」

私の言葉にテンションが一気に上がる蔦莉ちゃんが

「分かった?そうなの!実は、3cm伸びたの!」

と嬉しそうに、そう言うのを見て、私は微笑んだ。

「そこ、座りなよ。」

私は、自分の前の席を指差して言った。蔦莉ちゃんは「ありがとう」と呟き、座った。ドキドキと心臓が鳴り響く音に耳をすませながら

「相談って何?」

と私は言った。息を静かに吸った蔦莉ちゃんは

「・・・あのね、奈々さん。私、自分の気持ちがわからないの。」

と小さく言った。私は、出来るだけ優しく相槌をうつ。

「どうして?」

「私、1学期の終わりに友達ができたの。紫花しいかって言う可愛い女の子。」

蔦莉ちゃんの友達の名前、紫花ちゃんと言うのか。可愛い響きだな・・・。

「うん」

「その子がね、蔦くんのことを好きになっちゃったの。友達の恋は応援するべきなんだろうけど、紫花のことを憎たらしいって思っちゃったの。胸が、こう・・・チクチクして––––」

彼女は自分の胸に手を置いて言った。

「––––それでね、なんか蔦くんの何気ない言葉に嬉しくなったり、悲しくなったり、モヤモヤしたり。今までの自分じゃないような感じなの。」

なるほど、蔦莉ちゃんは、紫花ちゃんに嫉妬していることに、それのうえ、蔦くんのことを好きなことに気づいていないのか。

 さっきの男性の店員さんが「お冷をお持ちしました」と言いながらお冷をテーブルに置いた。「ご注文、お決まりですか?」という店員さんの問いに対して、私はいつの間にか紅茶を飲み干したことに気付き

「私、モカで。」

と言った。私は、ステンドグラスから入る光を眺めながらとしている蔦莉ちゃんに、疲れちゃったのかなと思いながらも

「蔦莉ちゃんは?」

と、声をかけた。彼女は驚いたように

「いいの?」

と言った。可愛いな、と思いながら、

「もちろん。私のおごりだよ。」

と私は言った。彼女は

「セイロンティー、ストレート。ホットで」

と、上の空で言った。蔦くんに紅茶を煎れてもらってから、彼女はそれが好きになったようだ。注文表に書き込んだ彼が

「かしこまりました。5分ほどお時間頂戴いたします。」

と言って、厨房に入ったのを見計らって私は口を開いた。

「蔦莉ちゃん。それは、恋・・・だよ。」

「恋?」

驚いたように、意外そうな顔をする蔦莉ちゃんに私は

「うん。蔦莉ちゃんは、蔦くんのことが・・・好きなんだよ。」

と、言った。きっと頭の中グチャグチャだろうなと思いながらも、蔦くんへの気持ちに気づいていない彼女に少しムカっとしながら、

「紫花ちゃん・・・だっけ。その子を憎らしく思ったり、胸がチクチクしたのは、嫉妬。今までの蔦莉ちゃんじゃないのは蔦くんを好きになったからなんじゃないの?恋は人を変えるって言うしね。彼の言葉に嬉しくなったり、悲しくなったり、モヤモヤしたりするのが何よりの証拠なんじゃないの?」

と解説した。

「お待たせいたしました。モカコーヒーとセイロンティーのストレートです。」

さっきの店員さんの手によって、テーブルの上にカップが置かれた。カップからは、湯気が立っている。

「ご注文は以上でよろしいですか?」

と言う彼の目を見ようと私は顔を上げ、

「はい。」

と言ったら、

「失礼いたします。」

と彼は早口でそういい、厨房に向かって歩いて行った。なんで避けられたんだろう、と思いながらも、

「お茶飲んで、ゆっくりしな。」

と蔦莉ちゃんに言った。彼女は、本当に混乱しているようで

「うん。」

と小さく小さく言った。




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