第3話「異世界転移者」


「マチス、すまないが何か食い物を分けてくれないか」


 俺は店のカウンターに腕を置いてそう物乞いしていた。マチスがそんな俺を見て溜息をついたのは出会ってかれこれ何度目だっただろうか。


「ここは道具屋だから店に食いモンはねえよ……って、仮に売り物だったとしても金がない奴にいちいち恵んでやってたら商売上がったりだ」


 元の世界で会社に遅刻しそうだった俺は朝食を抜いている。それからこの世界へ転移して昼をゆうに越した今まで何も口にしていない。つまり昨晩から何も食べていないというわけだ。


「そこを何とか頼む。もう十数時間何も食べてないんだ」


 事務的女神も暗殺拳なんてただギルドの受付嬢を怒らせるだけの呪われた力じゃなくて、生活に困らない力みたいなのを当ててくれれば良かったのに。


「わーったよ。此処に慣れるまで力になってやるって言っちまったしな。俺に二言はねえよ」


 そう言って『俺のオヤツだったんだがなぁ』と愚痴を垂れるマチスは店の裏から持ってきてくれたものをカウンターの机にドンと置いてくれた。


 そこに置かれたのはパンとミルクのようなもの。


「あんま贅沢を言うんじゃねえぞ……。それと俺も決して裕福じゃねえんだ、その無一文状態から早く脱してくれ」


 マチスから施しを受けたパンとミルクは前の世界のものと比べると質は全然違ったが、それでも空きっ腹の俺にとってどちらも美味く感じた。


 ミルクをクッと喉へ流し込んで、楕円形のパンに齧りついていると獣人と言えばいいのか、若い女の子が獣耳をピコピコさせながら慌てて店の中に入ってくる。


「おっと、お客さんだ。悪いが店の端で食っててくれないか」


 確かにこの場所を占拠するのは店の邪魔になるだろうと俺は長いカウンター机の端っこに移動した。


「どうしたんだい、嬢ちゃんそんなに慌てて。至急必要なモノでもあるのか?」


 マチスがそう声を掛けると、獣人の女の子は必死でブンブンと首を振る。


「ちっ、違うんですっ! 助けてくださいっ、私の妹が他の世界の転移者の人に攫われてしまいそうなんですっ」


「何だって!? それはマズイ……一体どんな奴だ?」


「短髪で黒髪のひょろっとした男の人ですっ」


「そいつは多分タケロウとかいう奴だな」


 この世界で未だ助けられてばかりの俺が何を出来るわけでも無いと思ったが、二人の慌て様が余りにも深刻そうだったのでパンを持ったまま近くに寄った。


「さっき転移者とかいう言葉が聞こえたのだが」


「ああ、タケロウのことだ。最近この辺でやたらめったら暴れ回っている小悪党のことだ。祝福とやらで得たおっかない武器を奴が持ってるおかげで中々手に負えない相手らしい」


 タケロウ、その名前には俺と同じ日本人のような響きを感じる。 


「しかし、こんな良い子そうな嬢ちゃんの妹ちゃんにまで手を出すだなんて、俺も黙っちゃいられねえ」


 マチスはそう言うと店の壁に立てかけてあった、長い棒に申し訳程度の研いだ石が取り付けられているだけのちゃちな槍を手にする。


「そのタケロウとかいう転移者は凄い武器を持っているのではないのか? それで勝てるのか?」


「そんなのわからねえよ。でもな、ユリーナ自治領は俺たちの街なんだ、いくら相手が想像を絶する力を持っているとしても、黙って知らんぷりは出来ねえ、俺たちの世界は俺たち自身で守らなくちゃなんねえんだ」


「そうか……」


「アンタも来い。ギルドでも嫌われるくらいの妙な力を授かっているんだろ? ひょっとしたら奴に太刀打ちできるかもしれねえ。……同じ転移者のアンタが奴等と同類の悪党じゃなければの話だがな」


 マチスが一呼吸置いて続けた言葉には多少の疑惑の念が込められていた。しかしそれは仕方が無いことかもしれない。俺たちは出会ってから少しの会話を交わしただけで、しかもそこに信用してもらえる要素なんて何一つもないんだ。寧ろ、普通なら俺がギルドから追い出されたという事実を知ったのだから、その時点で疑って然るべき筈なのだ。


 そんな俺にパンとミルクを恵んでくれたマチスの事を考えると逆にグッと込み上げてくるものがある。


「俺も行く。いや、行かせてくれ。タケロウとかいう男は名前からすると元は同胞の可能性もある。そんな奴がどんな振る舞いをしているのか知っておきたいんだ」


 マチスは俺の目を見て頷くと改めて獣人の女の子へ体を向けた。


「嬢ちゃん急ぐぞ、妹さんが乱暴されているのは何処なんだっ?」


「ありがとうございますっ! あっちです! 近くの広場ですっ!」



 広場へと先導する彼女の後について行くとそこにはそこそこの人だかりがあり、その真ん中で蹲って獣耳を震わせていた小さな女の子と、光輝く剣を掲げながらその女の子の背中をゲシゲシ足蹴にしている黒い短髪の男が注目を浴びていた。


「お前はっ、この小官にっ、ぶつかって来てっ、更にはっ、よくもこの服を汚しやがってっ!」


「止めてくださいっ! ポポはわざとじゃないんですっ! 許してくださいっ」


 俺たちの先頭を走って駆け付けた獣人の女の子が妹を庇うようにして許しを乞う。


 その男の服の袖には黄色いものが付着しており、足元付近に潰れた果物のようなものが転がっているところから見ると、獣人の妹が誤って男に持っていた果物ごとぶつかってしまったのだろう。


「いいや駄目だ! この娘を奴隷にして、罪を償わさなければ小官の気が済まないっ!」


「お願いします! 許してあげてくださいっ! お願いしますっ!」


 獣人の女の子は重ねて許しを乞うも更に激高するその男は、心配そうにこの状況を見ていた周囲の人たちを見渡しながら空に剣を突き上げている。


「何だっ、小官の裁定に意義のあるものは前に出てこい! この草薙の剣はお国のために身を挺して戦った小官へ与えられた神具なのだっ! 小官は崇められるべき存在となったのだっ!」


 男が剣を一振りすると、幸いにもそこに人は居なかったがその衝撃波により広場の地面へと深い亀裂が生じていた。


 この男の言動からすると戦時中の日本兵とみて間違いないだろう。戦死の際に転移したのだろうか、少なくとも俺と同じ時代に生きた人間ではないことは確かだ。

 

 それにより一つことが証明された。


 転移前の世界の時間軸が必ずしも同一というわけではないらしい。

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