第一章

一 

第1話「元の世界から異世界へ」


 俺は小野寺克明おのでらかつあき、関東在住で結構ブラックな健康器具販売の会社に勤めており年はもうすぐ二十八。本当は警察官になりたかったが三回ほど試験を落ちて諦めた。


 高校卒業時の不合格の後で専門学校などに入ればこんな未来も変わっていたかも知れないが、両親が他界したのちに引き取られた疎遠の親戚にそこまで世話になるわけにもいかず、一人暮らしでバイトをしながらの独学だったから仕方がないだろう。


 傍から見たら苦労人のお手本のようなもの。そりゃそうだろうよ、両親がいない上に中学生のころ唯一の兄妹だった五つ下の妹すら倒産直前の会社が施工していた工事現場の側にて落下する鉄筋の下敷きになり、その直後は命があったものの救急搬送が間に合わず命を落としたのだ。


 頭からドクドクと血を流す妹が薄れゆく意識の中で最期に言った言葉を今でも耳にこびりついている。


『もし……このまま、死んじゃっ……たら……夢の世界に、行ける、かなぁ……そこには、お父さんも……お母さんもいて……きっと、私を、待ってくれてるよね……』


 桃太郎や浦島太郎に並ぶ有名なおとぎ話のおかげで『善行を積んだものは死後にこの地球とは異なる世界で超越した力を授かって幸せに暮らせる』、そんな話を小さい頃からみんな聞かされているのだ。


『大丈夫だ! 美香は死なない、だから死んだ後の事なんて考えるな!』


 結局、搬送先の病院で安らかに息を引き取ったその亡骸を見た俺は夢の世界を信じていた妹が憐れなのか幸福なのかはわからなかったが、死んだことも無い奴が言った適当なことで美香の気持ちが救われたのかと考えると、俺のショックも多少は和らいでいた。


 かく言う俺は勿論そんなことを微塵も信じていなかったが、まもなく二十八歳の誕生日を迎えようとしている今現在、寝坊にて遅刻ギリギリの出社途中で青信号の横断歩道を猛ダッシュしていると居眠りだったのか信号無視のトラックが自分を目掛けて突っ込んできた。


 それがきっかけで、アホみたいなおとぎ話を俺自身が身を以て証明してしまった。



 チリンチリーン。


「おめでとうございます。貴方は死亡直前に抽選で見事選ばれましたので異世界に行けます」


 胸に『女神』と書いた名札をつけた女性がヤル気なさそうにベルを鳴らし、淡々とそう述べていた。


 正直驚きを隠せなかったが、これが死ぬ直前に見ている夢かもしれないと考えると、正直どうでも良いと思える側面もある。


「夢ではないです……その証拠に―――」


「イタタタタタタッ! 痛えっ!」


 電流を流されたのか俺の体はビリビリとした痛みを感じた。確かに夢ではなさそうだ。


「異世界へは今の姿のまま転移しますか? それとも生まれ変わって転生しますか?」


 感情のこもっていない声で、マニュアル通りのような言葉を述べて返答を急かす女神はまるで終業時刻前に駆け込んできた人に対応するかのごとくのお役所仕事振りだった。


「別にどっちでも良い。別段、異世界に興味があるわけでもないし」


 俺がそんな返答を返すと女神は一瞬『うわぁ』と、面倒臭そうな顔をしたと思ったら直に真顔に戻っていた。


「はい、じゃあそのままの転移で、手続きが簡単なので」

 

 転生は手続きが複雑らしい。


「次に与えられる祝福ですが何を望まれますか」


 別にそれも何だっていい。不幸続きだった俺が何を得ようが大して幸福になれそうな気がしない。


「そうですか、ではこれを」


 声に出さなくても俺の心が読めるらしい女神はドンと商店街の福引で使うようなガラガラを机の上に置いたので仕方なく手を伸ばそうとしたら、そのまま自分で廻していた。


 ポトリ。


 ガラガラとゆっくり一回転した抽選機の穴から黒っぽい球が零れ落ちたのが見える。


「これは蝋色ろういろですね。確か……」


 女神はその玉を手のひらでコロコロと転ばせながら抽選機の下に敷いている何か用紙らしきものを確認していた。


「おめでとうございます、貴方に与えられる祝福は『暗殺拳』です」


 全然おめでたくないんだが。


 まあ別に何でもよかったので、まあどうでもいいかと開き直っていると女神の手のひらで転がる玉がピカピカと光を放ち出して、それが視界に入ったのか、女神はまた面倒くさそうに顔をしかめた。


「あー、光ったのでおまけがつきます。『アイテムBOX』です、以上。詳しくはこの書類をご確認ください。それでは今から貴方はライラット国の東にあるユリーナという街へ転移されます」


 色々と何やら書いてある紙を俺に手渡した女神は、異世界転移の手続きを終えてようやく本日の業務が終了出来ると思ったのか、その顔つきは意外と晴れやかだ。


 しかしそれもまた一瞬のことで、俺が心の中で『普通最後に質問とか受け付けてくれるもんではないのだろうか?』と思ってしまったのが不味かったのかも知れない。


「………………………どうぞ」


 清々しいくらいな仏頂面だった。


「あの、もし可能ならば、美香―――俺の妹も異世界に行けたかどうか教えて欲しいのだが」


「個人情報ですのでお伝えすることは不可能です」


 その融通の利かなさは正にお役所仕事。


「もうよろしいでしょうか? 私この後に用事がありますので―――」


「あと一つだけっ、異世界に行けるものは善行を積んだ者だけだとおとぎ話にあるのだが、やはり俺は善人だったということなのか?」


 俺がそう聞いた最中、カーンカーンカーンと三度の鐘が鳴る。ひょっとしたら終業チャイムなのだろうかと疑問に思っていたところ、瞬く間に女神が豹変してしまった。


「脳みそ腐ってんのか、このダボがぁ! あんたが善人かどうかなんてそんなの知らないし、仮に知ってたとしてもそんな面倒臭い選定なんてするわけがないでしょうが! 異世界行きは抽選なんだから適当に決まってんでしょっ! わかったならさっさと行けこのノロマ野郎」


 足の先から消えていく自分の体を見ながら、俺は営業時間を過ぎると女神は口が悪くなるということに加えてもう一つの事が判明した。


 死後に祝福を得て異世界に行けるというおとぎ話は本当だったが、『善行を積めば~』の部分は子供を良い子にさせるために誰かが付け加えた嘘だったのだろう。

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