第三十九章…「その目に籠る意志は。」


 豪雨吹き荒れる戦場で、その竜種の女性は立っていた。

 三つ編みにしていた右の横髪も、髪留めが無くなって、中途半端にほどけてその面影をわずかに残すのみ。

 濡れた髪は、頬や服に纏わりついて、天候のせいか…その灰色の髪がより黒く…、全体的に暗い印象をまとわせている。

 全てを洗い流そうとするかのように振り続ける雨の中、より目立つ状態にあるのは、その真っ赤に染まった胸だ。

 元々防具と呼べるモノは多くない中で、胸部分は胸当てがある防具を付ける場所…、でもその防具は姿を消して、残るのはあまりにも痛々しい…、深く…致命傷である剣による刺し傷が残るだけ…。

 それだけじゃない…。


---[01]---


 その首からも、壁伝いに流れ落ちる滝のように、赤黒い血がとめどなく溢れている。

 首と胸…、流れ出る死血は彼女の体を染めていく。

 しかしなお、その体は死に体でありながら…なお…、その女性の目に死は手を伸ばしていない…。

 いや、伸ばせないのか?

 その顔に…、表情に…、感情と呼べそうなモノは一切なく…、でも、はっきりと…、はっきりと…その目は私の方を見てきていた。

 力を感じ…、意思を感じ…、何より生気を感じる。

 そんな目を…、私は見続け…、そして自分から目を離す事ができない。

 死体のような状態の人に…、何でそこまで惹かれるのだろうか…。


---[02]---


「・・・?」

 目の前の女性は…、おもむろに、こちらへ右手を差し出してくる。

 言葉は無く、どういう意図を持った行動なのか…、理解する事は出来ないけど、その手を、私は握ってあげたい…と、衝動的にそう思った。

 その手を取ってあげられるのは、私しかいない。

 私じゃなきゃ…私が…。

「・・・」

 差し出された手へ、私は手を伸ばす。

 でも、その手は止められる。

 自分の背後から伸びた細長い手によって…。

 それは、骨に皮を被せただけにも見える…、生気の欠片も無い腕、血色も悪く…、白を通り越してもはや青紫色になっている。


---[03]---


 同時に、女性の背後にも、たぶん私の手を掴んだ奴と同じ存在が姿を見せた。

 ぼろ布で全身が覆われ、その顔は見えずとも、浮かび上がる様にくっきりと見える赤みがかった黄色い目が、印象的なそいつは、私と女性の身長を優に超え、その身長を加味しても不自然に長い腕で、その女性を抱く。

 自分に差し出された手を取り上げ、物言わず…閉ざされた口を塞ぎながら…、その懐へ…そのぼろ布の中へと抱き込んでいく。

「・・・まッ…んぐッ!?」

 待ってッ!

 私は、捕まれていない方の手を伸ばそうとする…、でも、そっちの手も掴まれ、そして口を塞がれた。

 いかにも弱そうな手に押さえられているというのに、何故だが剥がす事ができない。


---[04]---


 力を出せば剥がせるはずなのに、有無を言わさず屈服させられる。

「んーッ…んんーッ!」

 待ってッ…待ってよッ!

 その暗闇に女性が飲み込まれていく最後の瞬間まで、その目には揺るがない力を宿し続けていた。

 でも、それも闇の中に包まれて消える。

 その瞬間、自分を押さえつけていた力が消えた。

 ずっと力んでいたものだから、急に解放された反動で、私は前のめり転んでしまう。

 体を起こし、膝を突く形で、自分の目の前に立つ何か…を見上げる。

 何かはわからない、その姿から人とも思えない。


---[05]---


 その目と目が合うけど、あの女性とは違って、私の心は全く惹かれなかった。

 顔は見えないけど、その目は、どこか笑みを浮かべているようにさえ見える。

 私は立ち上がり、その何かと相対した。

 見上げる程の大きさ…、その高さだけなら、あの鬼だって超えるだろう…、それに加えてその腕の歪さもあり、ぼろ布の中がどうなっているのか見えないのも相まって、不気味さが増長される。

 吹き荒れていた雨は止み、辺り一帯を闇が飲み込んでいく。

 その風景も、音も…、その場にあるモノ全てを飲み込んで…、今いる場所は、真っ黒な世界へと変り果てた。

 何も無い…何も…、全てが溶け込んだ黒の世界だ。

「お前は誰だ?」


---[06]---


 どこにも反射する事のない私の口から出た言葉は、まるで無響室の中にいるかのように、黒の中に溶けていく。

『こっちの事は問題じゃない。お前はどうなんだ? お前は? 誰だ?』

「・・・私はフェリス・リータだ」

 何も疑わない…、何もだ。

『はっはっはっ…。面白い…面白い…、だが…』

 シュッと瞬く間に伸びた相手の腕が、私の首を掴み上げる。

『そんな返答は、誰も求めちゃいないねぇ』

「…ガッ…」

 掴んできた腕を掴み返す。

 持ち上げられたせいで、地面に足が付かず、ジタバタするも自体が良い方向へ転ぶ事はない。


---[07]---


『いいか? こっちは今、苛立っているんだ…、地獄の窯みたいに、怒りがグツグツと煮立っている…。だから仲良しこよしで話に花を咲かせるつもりはない…。今の返答で、そっちの状態も分った…。だから荒療治をさせてもらう…。見ろ。こっちの目を見ろ』

 無理矢理引き寄せられ、その目が私を見てくる。

『嫌だねぇ~、嫌だねぇ~。すぐに止められなかったのは、やはり痛かったか…』

 何の話をしているのか…。

 そいつの言葉の意味を理解できない。

『実験の中では、かなり順調な進みを見せていたというのに…。チッ…、予定よりも自体は深刻か。深い所まで混ざっちまっているじゃないか…。駄目だ…駄目だ駄目だ駄目だッ! 失敗だッ! 失敗失敗失敗ッ!』

「んぐッ…」


---[08]---


 より強く首を絞められる。

 視界が霞んでいく…、意識が遠のく…。

『あの「鬼狩り」がぁ…。死に損なった敗者が、今更のこのこと…』

 ブチッブチャッと何かがちぎれる音が、頭の中に響くと、首に掛かっていた圧迫感が消え失せ、俺は地面へと落ちる。

『失敗品がまた1つ…だ』

 人ではない何か…が俺を見下ろす。

 その手にモヤモヤと光る何かを持って。

『実験体としての役目は終わりだなぁ。おめでとう…。引き続き良い夢を。「向寺夏喜」君』

「・・・?」


---[09]---


 待て…、何をした…?

 何を取った…?

 返せ…かえ…。

 意識が黒の中に溶けていく。

 必死に伸ばした手は、何に触れる事も無く、空を握った。


 黒が…闇が、体全体に染みわたっていく…。

 無音で何も無い世界が…黒が体にのしかかる。


 重く…重く…重く…。

 まるで水中に身を投げたかのように、黒が体に纏わりついた。


---[10]---


 何も見えないから、もがいてももがいても、自分がどうなっているのかがわからない。


 なにより…、もう何が何だか…、訳が分からなかった。

 自分の状態も…、見えているモノ全ても…、自分の頭の中の記憶でさえ…、分らなくなっていた。

 助けてくれ…。

 冷たい黒の中で…、私は、必死に助けを求めるように、手を伸ばした。


「・・・」

 視界に光が広がっていく。

 薄暗い場所で、強い光なんて無いのに、目がジンジン…と痛んだ。


---[11]---


 突き出された手は、何に触れる事も無く空を握る…。

 ぼやけながらも見えたのは右手、手首までが竜戻りをしている手…、その姿に違和感を覚えた。

 その右手は、力なく床へと落ちる。

 でも痛くない。

 畳の上…、そこに引かれた布団に、私は体を預けている。

「ここは…」

 見慣れぬ部屋に不安感を抱きつつも、同時に既視感も抱く。

 体を横に捻りながら、腕を支えに体を起こす…、たったそれだけの事なのに、重労働後のような疲労感が私を襲った。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 体が重い…。


---[12]---


 体中にトレーニング用の重しを付けているみたいだ。

 その疲労感が気のせいでない事を、息切れと額に現れ始めた汗が実感させてくる。

 頭もズキズキと痛みを帯びて、思考もままならない。

 そこへ、ザザッと横にあった部屋を仕切る襖が開かれる。

「…んッ?」

 眩し過ぎて、咄嗟に手で光を遮るけど、力の入らない体は、光に対してのそんな些細な抵抗すら許さずに、力なく…ぽとんっ…と布団の上へ私の手は落ちる。

 その眩しさに目を細め…、徐々に光に慣れ始めた目が見たのは…、桶を持ったイクシアの姿だった。

 信じられないモノを見たかのように、その目をカッと見開いている彼女は、何かを言おうとしたのかパクパクと口を動かすが、何も言葉は出て来ずに、バチャバチャッとその桶に入っていた水が畳の上に零れ落ちるのも気にせずに、私の方へと寄ってくる。


---[13]---


 水が半分以上無くなった桶を横に置き、膝をついた彼女は、ガシッと私の顔を掴んで、マジマジと覗き込んできた。

「な…なに…?」

 よく見れば、イクシアはその頬も含めて、あちらこちらに手当てをした痕が見られる。

 頭の回転がなかなか上がらない中、薄暗い部屋に1人…目を覚ましたものだから、少なからずあった心細さが、彼女の手から伝わる温もりに溶けて消えていく。

「体に違和感は? 痛い所とか…、それに…自分の名前、わかるか? ウチの事、わかるか?」

 それはまた…唐突で、それでいてテンプレな質問だ。

「どうしたの、イク? らしくない」

「・・・うるせぇ。こっちの気も知らないくせに」


---[14]---


 こっちの気も…か。

 だらりと覇気の無い姿勢…、力なく上げる腕も…、自分に何かあった事の証明のように、こちらの意思とは関係なく、周りに見せびらかしている。

 こんな状態の人間、ソレが知り合いなら、私だって心配するよ。

「とにかく、問題ないのか?」

「問題の有る無しが、どの程度で考えればいいか…ちょっとわからないけど、たぶん大丈夫、今のところは…。少なくとも痛い所は無いかな」

「そうか、じゃあ少し待ってろ。エルンを連れてくる」

「ええ」

 部屋を後にするイクシア、その背中を見送って、私は彼女の置いていった桶へと視線を落とす。


---[15]---


 中にはタオルもあって、体を拭きにでも来てくれたのか、やっぱり普段の彼女らしくはない…、それ程まで心配をかけた…という事だろうか。

 私は、何をしていたのだろう…。

 意識を失う前の事を思い出そうとするも、それらは断片的で、靄が掛かったかのように、はっきりと思い出す事ができない。

『やっと目を覚ましたか~、眠り姫』

 頭を悩ませた所で一向に消えぬ靄に首をかしげていると、イクシアがエルン達を連れてくる。

 エルンを先頭に、後ろにはトフラやフィアも続いていたが、畳を水でびしょびしょにしたイクシアに、フィアの説教が入り始めた。

 そんな彼女の姿も、イクシアと同じで、いつもと印象の違いを感じる。

「さて、起きたという事で、まずはフェリ君の体調を見させてもらうよ」


---[16]---


 そう言って、私の前で腰を下ろすエルンも、イクシアと同じで所々に手当ての痕が見られる…、何より、それはイクシアよりも目立つと言っていい。

 何故なら、その首から下げられた白い布に包まれた彼女の左手、見るからに骨折の治療を終えたような姿は、何より目に付くモノだ。

「なるほどなるほど、トフラさん、フェリ君の魔力の流れはどんな感じかな~?」

「弱々しくはありますが、以前の彼女となんら変わる所はありません」

「ほ~、それは重畳」

 熱を測られたり、目に光を当てられたり、口の中を見られたり、ありきたり…とも思える体調の検査を一通り熟していくエルン。

「その手、どうしたの?」

 私は、されるがままな状態に暇を持て余して、嫌でも目に付くモノに口を開く。

 エルンはその質問に、若干の間を開けつつ、ただ頷くだけだった。


---[17]---


「・・・そうか」

「まぁ、話はまた今度にしよ~。身体の中の魔力が極端に少ない。こうして話をしているだけでも、随分疲れるんじゃない?」

「・・・ええ、それは…」

「じゃあ、体力が回復してからゆっくり話をしようじゃないか。一応、それ以外は問題ないみたいだし、まさに竜の力様様…て所だよ。」

 エルンは、私の手を取り、不完全に竜戻りの残った手をコンコン…と軽く叩く。

 優しい微笑みを向けてくる彼女は、私を再び布団に寝かせた。

「もう少し、ゆっくり休みたまえ、フェリ君。ちょっとだけイクシアが散らかしたのを片付け終わるまでうるさいかもしれないけど、まぁ、今の君は、そんなの関係なくすぐに夢の世界に行けるだろ~」

 エルンの言葉は、実感として、間髪入れずに横になった私の体へと睡魔を呼び寄せる。


---[18]---


「エルン、十夜たちは、どうしてる?」

 思い出せない直前までの記憶の中で、義弘に十夜、そしてフィアの名前が浮かんできた。

 他にも、複数人の人達の顔が浮かび、その中には嫌という程に知っている男の顔も…。

「大丈夫、皆無事だ。だから、君は休みなさい」

 なんでその人達の名前や顔が思い浮かんできたのか、それがわからなかったけど、エルンは、私自身の質問の意味をしっかりと把握しているみたいで、そう言ってくれた。



 その言葉は、とても安心するモノで、ソレを聞いた途端、何かの糸が途切れたみたいに、私は再び眠りに身が沈んでいった。


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