第三十七章…「その目に映る敵は…。」


 私は、自分自身の足で立っている。

 誰かと話していたような気がするけど…、なんだったか…?

 ついさっきの事のはずなのに…思い出す事ができず、体にあるのは立っているのも辛く感じる程の疲労感。

 はっきりとは感じないけど、体の節々に戦った後のような…そんな痛みも感じる。

 でも…、何もかもが朧気だ。

 それはまるで、夢現の世界に立っているかのよう…。

 この真っ白な世界…いや、後ろから黒が迫り…、そして白とぶつかり合っているから…、真っ白とは言い難い…、白と黒…その2つがちょうどぶつかり合う境目に私は立っていて…、その部分だけ見れば…、ここは真っ白でも真っ黒でもなく…、言うなれば灰色の世界だ。


---[01]---


 そんな世界を、現実と思う方こそ無理があるだろう…。

 でも、はっきりとしていなくても、その疲労感も、痛みも、確実にそこにあるのだと実感できる。

 だからこそ疑問が残った。

 私は…、なんでこんな場所にいるんだ?

 さっきまで何をしていた?

 話をしていたような気も変わらず残っているし…、何かを求めて手を伸ばしていたような気も…。

 私は、何気なく…手を前に伸ばす…。

 何かを掴もうと指を動かすけど、その手は空を掴むだけだ。

「・・・」


---[02]---


 そんな時だ…。

 一歩前に踏み出そうとした時、目の前に2つの人影が現れた。

 顔は靄が掛かってはっきりと見る事は出来ず、その体の輪郭もぼやけていて、まるでそこにいない様にすら見える。

 私より、一回りも二回りも大きい身長の男…、2人いるが、どちらも同一人物のように瓜二つだ。

 ゆっくりと歩み寄ってくる男。

 両者共その手に握り拳を作り、既に戦闘態勢に入っているように思う。

 そしてその男を前に私が思う事は、その男を殺したい…という事。

 さっきから棒立ちな私をどうこうしようというなら、その瞬間はいくらでもあっただろうに…、それをしてこないのはそんなつもりがないからかもしれない…、いや違う…、こいつらは私を殺しに来たんだ。


---[03]---


 あの瞬間から…、アイツは…アイツらは、私の命を狙っていた…。

 そうだ…そう…。

 コイツは…オグル…。

 父さんを…父さんを殺した…私の…敵…。

…「殺す…、殺す殺す…」…

 胸が熱くなっていく…、締め付けられる喪失感が襲ってくる。

「ちが…私…は…」

 私から奪っていったのは…こいつじゃ…ない…、こいつじゃないはずなのに…、憎い…憎い憎い…。

 吐き気を覚える…、胸が痛い…、頭痛もし始めた…。

 体の至る所で感じる痛みとはケタが違う…、頭の中で渦巻く憎悪が引きずってきた痛みは…、確かなモノとして、記憶に…頭に刻まれていく。


---[03]---


 1人が近づいてくる…、そしてその手をこちらに伸ばしてきた。

「寄るなッ!」

 私は、その伸ばされた手を払う。

 はっきりしない姿のそいつが近づく度に、頭が…そいつを見ている目が…、ズキズキと今にもはじけ飛びそうになるほど痛む。

 こっちの意思を…言葉を汲むつもりがないのか、そいつはまた寄って来た。

「来るな…来るな…来るな…」

 自分を襲う痛みに堪えかねて、私は頭を…目を押さえる。

 近寄ってくる奴から離れたくて…、何歩も後ろに下がるけど、トン…と背中が壁へと当たった。

 さっきまで何も無いように見えていた空間、そこにはドライアイスの冷気が壁を伝い落ちるかのように、モヤモヤとした壁が作り出されていた。


---[04]---


 後ろだけじゃなく、周囲一帯にモヤモヤと、その壁は作り出されていく。

 ああ…そうか…さっきもこうやって…、こうやって何かを見ていた気がする…。

 よくわからない…、思い出せないけど、誰かが訴えかけるように、私自身が何かを求めるように…、何かを私は…。


 見ていた気がする。


 そうだ…そうだ…そうだ…。

 コイツが…オグルが…。

 奪わせない…奪わせない…。

…「もう私から…奪わせない…」…

 その瞬間、スッ…と頭の痛みが消えていった。


---[05]---


 胸を締め付ける苦しみを…痛みを、どこに叩きつければいいか…ソレを理解する。

…「オグルーーッ!!」…

 変わる事無く体の痛みや疲労感は残り続けているけれど、体は…素直に動いた。

 目の前の、私に手を伸ばしてきたオグルの顔面を殴りつける。

 その横にいたもう1人のオグルは、何もしてくる事はなく、ただこちらを見ているだけだ。

 だからなのか、そっちに意識が向く事はなく、今まさに殴ったオグルへ、一方的に殺意が向いた。

 アイツを殴った感触が、馴染むようにじわじわと拳へと伝わっていく。

 気づけば、体は竜戻りを始め、中途半端ながらも、右腕が…両足が…、その姿を竜へと変え、自分の額に1本の角が生やす。


---[06]---


 そうだ…あの時も…、あの時もそうだった。

 お父さんの仇が襲撃してきたあの時も…。

 自分は竜戻りをした。

 感情が高ぶり過ぎて、どうやったのか…その感覚は微塵も思い出す事は出来ないけど、この体の軽さや、魔力の湧き出る感覚…、ソレは覚えている…。

 今度は負けない…。

 私は何度も、目の前の敵に対して打ち込んでいく。

 1発1発…打ち込めば打ち込むだけ…、体が軽くなっていくような気がする。

 疲労感で体に重しを付けられているように感じるのに、動かす体は羽毛みたいな軽やかさで、思うように動いていった。

 相手から繰り出される拳が、自分の頬へと打ち込まれても、信じられない程に痛みが走らず、痛みはあっても、ソレが自分をどうこうできる程の力には遠く及ばない…、その衝撃もよろめかされはしても、次撃に繋がる隙にはならない。


---[07]---


 逆にこちらの拳は相手を叩き飛ばす。

 飛んでいく相手を追い、その倒れた相手目掛けて打ち込めば、攻撃自体は当たらなかったものの、地面を貫いて、四方にヒビを走らせる。

 敵は、地面から腕を抜くその刹那、私に膝蹴りを喰らわせた。

「…くっ…」

 立ち上がる前だったから、踏ん張れずに後ろへと転ばされる。

 そこへ今度は薙ぎ払うような蹴りが飛んできた。

 防御したものの、ザザザッと地面を体が滑っていく。

 体にさほど影響は無いにしても、無理矢理不自由を強いられるのは気にくわない。

 腕に力を入れて、腕で宙へと跳び上がる。

 自分の体が宙を舞い、相手から距離が取られていく。


---[08]---


 着地し、迫る相手へ構えた時、今度は体を横へと突き飛ばされるような衝撃が襲った。

 吐く息は白くなり、自分の左半身が急な寒さを感じ始める。

 衝撃を受けた左腕を中心に、僅かな氷がその表面に張り、そこから離れれば離れるだけ霜のように綿のような氷が体を覆っていく。

 霜はともかく、氷は厄介なモノだ。

 氷ができた箇所が、肘付近で、関節を動かせない様に固めていった。

 私はソレを、腕を魔力の強化で無理やり動かして砕くが、氷はより一層大きい氷を作って腕を飲み込んだ。

 そうこうしている内に、迫ってきていた敵の拳が、私の胸を打ち抜く。

 肋骨を通じて、全身の骨が後ろへと押し出されるような感覚…、体が後ろへと大きくよろめくと、僅かな溜めの後、さらに強い一撃を腹部へと叩き込まれた。


---[09]---


「…ガハッ…」

 さすがに今の一撃は重く、私は膝をつく。

 来る事がわかった瞬間、防御の方に力を入れたつもりだが、体の強化が鈍い…、そのせいで防御力が上がらず、今の一撃を防ぎきれなかった。

 寒い…。

 左腕のソレ、最初は肘付近を関節が動かせなくなる程度の氷結だったモノが、この僅かな間に下は手首付近まで、上は肩付近まで、その氷を広げていた。

 それに加えて、その氷結…氷が体の体温を奪う。

 冷たさを越えて痛みを覚え始めているほどだ。

 私が立ち上がるのを待たずに、相手が攻めてくる。

 攻撃を避けつつ、動きにくさに苛立ちを覚えながら、さっきと同じ要領で氷を砕くが、さらに大きくその氷の範囲を広げていく。

 右手で無理矢理氷を剥ぎ取ろうとすると、その手もまた氷結が始まった。


---[10]---


 どういう原理か…、無理に取ろうとすればするだけ、その範囲を伸ばし、自分の首を絞めていく。

 そんな私の目に映ったのは、もう1人の敵だ。

 殴り合っている奴からは目を離していないし、この氷はコイツの力じゃないのは確実。

 ならアイツから潰す。

 最初に敵意を感じなかったから、横に置いておいた敵だ…、だがその前に…。

 飛んでくる拳を避ける事もせず、顔面に受けながら、止まる事無く、自分の拳を相手へと叩き込む。

 その足を掴み、何度も地面へと叩きつけた。

 でも、それを長く続けられない。


---[11]---


 魔力は体の奥から沸き上がってくるのに、それを使い続けられず、敵を掴んだ右手に痛みが走った。

 まだ行ける…やってやる…なんて感情に任せて力を込めると、何もしていない左腕の氷がさらに大きく広がる。

 まるで私に力を使わせないようにするかのように、その自由を奪っていく。

 私は掴んだ敵を宙へと放り、その自由を失った腕の氷で叩き飛ばすと…、もう1人の方へと突っ込んだ。

 どんなカラクリだろうと、使っている奴が倒れれば止まるだろッ。

 氷は左腕全体を覆った…、しかし、幸いと言えばいいか肩部分は凍っていないから動かせる。

 私は雑に氷を鈍器のように無理矢理叩きつける。


---[12]---


 粉々に砕け散る氷が、細々とした破片となって飛び散り、キラキラと輝きながら、この灰色の世界を、より白く眩しく輝かせた。

 そしてさっきまで、砕いた所ですぐに凍り付いた氷が、その速度を鈍らせる。

 やはり…お前ッ。

 この氷を仕組んだのはコイツ、私は一気に攻め立てる。

 初撃を躱されるも、連続に攻撃すればするだけ相手の回避の反応にズレが生まれ、数回で避ける事ができなくなり、防御する形になった。

 しかし、そうなってしまえば後は簡単だ。

 その行動は回避に対しての隙を生む。

 今度の踏み込みは深く、溜めも長い…、だが当たる…、直前まで当てる事を優先した速さ重視の攻撃だった…、ソレが捌き切れない相手が、攻撃を見切る事をできるはずもない…、こっちの攻撃に気付いても遅いッ。


---[13]---


 打ち込む拳は、相手の防御のために出された腕へめり込み、硬い感触は一瞬でバキバキッと砕け、その体は後ろへと飛んでいった。

 手応えはその手に残る感触でわかる。

 氷がまた腕の自由を奪い始めていたが、もう遅い。

 腕を砕かれて、立ち上がる事さえやっとな相手に、この程度の不自由は結果に影響するモノではない…。

 それで十分…という訳じゃない…、全力でやるんだ…、この程度の不自由は覆せるッ!

 敵に向かって、仕留める意気で拳を振りかぶった。

 逃げようとしない敵は、逆に何かを私の方へと放ってくる。

 それは小さい棒状の何か…。

 パロトーネだった。


---[14]---


 それは弾けると共に巨大な氷塊を作り、敵自身を後ろの方へと押し流す。

 逆に私の方には見上げる程の氷壁を作り出した。

 それに対して、振りかぶっていた拳を、そのままその氷壁へと打ち込んだ。

 一発目で表面にヒビを入れ、二発目で拳が氷壁へとめり込む。

 引き抜いた拳には、細々とした氷が付着し、左腕の氷も相まって、体に感じるのはほぼ痛みでしかない寒さだけだ…、なのに体からは、火にかけたヤカンの様に湯気が溢れ出る。

『落ち着こうな~フェリ君』

 そんな時だ。

 さっきも時々聞こえてきた声とは違う…、別の声が耳に流れる。

 それは知らないはずの声なのに、とても落ち着く声だった。

 好きとか…そういう感情じゃない…、この人なら大丈夫…そんな信頼できる声…。


---[15]---


 でも、その声の主を探すよりも、まずは敵を…仇を討つのが…。

 邪魔な氷壁の先にいる仇を討たなきゃ…。

 再びその拳を打ち込もうとすると、今度は声だけじゃなく、首を羽交い絞めにされる。

『いい加減にしろよ…』

 かなり本気な締め方に、息をするものキツイ。

「あ…ぐ…」

 苦しさのあまり、自分の首を絞める腕を掴む。

 その腕は仇とは違う…、少しばかり筋肉質な感はあるものの、柔らかな腕だ。

 敵じゃないのか…?

 一瞬だけそんな考えが頭を過る…、でもそれは過っただけだ。

 邪魔はさせない。


---[16]---


 そいつが誰であっても…。

…「お父…さ…の仇を…取る…邪…は…」…

 邪魔をされてたまるかッ。

 自分の首を後ろから絞める相手に、全力で肘打ちを入れる。

…「邪魔…だああぁぁーーッ!!」…

 さっきから不自然に体の強化が不完全になるが…、そんな事なんて構わず…、無理矢理力を入れた。

 体に付いた氷が、ソレに合わせて大きくなるのも気にせずに、力任せに背中にいる奴を背負い投げる。

 そいつを背中から地面に叩きつけ、その勢いに私自身も乗ったまま、宙がえりするように私もそこへのしかかるその瞬間、土の魔力の力を使って、自身の重量を上げた。


---[17]---


 二倍か…それとも三倍か…、調整をせず、ただ増やす。

 羽交い絞めにしてきた奴に対し、のしかかった瞬間、その体は地面へとめり込み、四方へとヒビを走らせる。

『カハッ…』

 相手の、何かを吐き出すような声が耳に届く。

 邪魔をするから…、アイツを仕留める邪魔をするなら…、お前も敵だ…。

 首を絞める手の力が弱まるのを感じて、私は体を起こす。

…「敵を…仇を…」…

 その氷壁を再び見る。

 そこに…、1人…、オグルが…。

…「はぁ…はぁ…」…

 息が切れる…。


---[18]---


 首を絞められたせいか…、ソレを無理矢理剥がしたせいか…、感じていただけの疲労感が、表に現れ始めた。

 いつも通りに体を強化しているつもりなのに…、上手くいかない…。

 強化ができないから、その能力以上の力で溜めていった疲労を、体が支えられなくなっていく。

 フラッ…と、その瞬間、自身の胸に渦巻く衝動とは裏腹に、目眩を覚え、体が揺らいだ。

『いい加減寝ろ、バカッ』

 視界の端に誰かが映る。

 そいつは私の前へ回り込むと同時に跳び上がり、体を捻って蹴りをしてきた。

 見えるのに、その攻撃は見て取れるのに、体が…。


---[19]---


 避けられない…、手で防御する形で、何とか直撃は免れたものの、受け止め切れずに、自分の体が後ろへと蹴り飛ばされる。

 邪魔をするのは誰だ?

 潰してやったオグルが、まだ動けたのか?

 蹴りをしてきた奴を、私は睨みつける。

 だが、そこにいたのは、オグルじゃなかった。

 そこにいたのは…。

…「ノードッグ…」…

 イクシア…ノードッグ…、軍生の同期が、そこに立っていた。

『なんでそんな他人行儀なんだ? 今更、そっちの呼び方をされても、気持ち悪いだけだ…』

 そんな同期は、どこか不満げで、ため息を零す。


---[20]---


…「呼び方…? それ以外に、何て言えって言うの? 馬鹿馬鹿しい…。退け…オグルを…。私はオグルを殺さなきゃ…」…

『オグルを殺してどうする? そんな事、今まで言ってこなかったくせに、急に訳の分からない事ばかり言い出しやがって、昔の事でも思い出したか?』

…「昔? 違う…、コレは今この瞬間に起きている戦いだ。アイツが、オグルが…、お父さんの仇が、そこにいるから…。私が…私がやらなきゃ…」…

『何言ってんだ? お前の親父は五体満足で元気にしてるだろ。敵討ちだのなんだの、まるで死んだみたいに言うな。ちゃんとそこにいる事の幸せを、自分で捨てるんじゃねぇ』

…「生き…」…

 お父さんは死んでない…?


---[21]---


 違う…、ソレは私のお父さんじゃ…。

 誰…、父さんは父さんだろ…。

 和らいだはずの頭痛が、再びその激しさを増す。

『復讐だか敵討ちだか知らんけど、そんな顔で何言ってんだって話だ、さっきからさ。子供みたいに大粒の涙、洪水みたいに流してよ。薄気味悪い…』

 その言葉の意味を理解する前に、頬に何かが伝うのを感じる。

 分からない…、自分の感情がわからない…。

 憎い…殺したい…、憎悪が渦巻いている胸の中に、その宿敵の姿が見えなくなったからか、喪失感が次第に強くなっていく。

 でも…。

…そこにアイツがいるのに…、ここで立ち止まれない…


---[22]---


 そう…立ち止まっちゃ…立ち止まったら…いけない…。

 その胸の怒りの炎に水を掛けるな…。

 燃やせ…、燃やし尽くせ…。

…私はそのために立っているのだから…

「仇が目の前にいるのに…、手を止める意味は無い…必要が無い…」

…「何度この身が…魂が朽ちようと…、私は…」…

 頭痛が和らいでいく…。

 ノードッグは姿を消し、目の前には再びオグルが立ちはだかる。

…「あなたを討つ為だけに…私は…」…


 私は、また立ち上がったんだから…。


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