第三十七章…「その手を伸ばす先は…。」


「私は…んぐッ!」

 頭をガンガンと殴られているかのように激痛が襲う。

「私は…私は…」

 頭を抱えながら、一歩二歩…と後ろへ後退る。

 私は…私は…私は…フェリスだ…。

『名前を言え…』

 私の名を問うてくる女性の姿が、一瞬だけ視界から外れる…、すると今度は、女性ではなく大柄な男が、そこに立っていた。

 私より、一回りも二回りも大きい男だ。

 その容姿はどこか、人間界で戦った炎を操る鬼に似ている。

 でも、そいつじゃない…、コイツの方が大きい。

 その身に纏っている覇気というか…、圧が違う。


---[01]---


 なにより、コイツは竜種だ。

 灰色に近い黒の鱗や甲殻を持つ尻尾が見えるし、その指も竜の爪があって、他に竜の特徴が見えないから、混血じゃない。

「わた…ごぼッ…」

 誰かもわからない…、でも、聞かれたから…、そこに自分の意思はなく、半ば反射的に…、もう一度自分の名前を言おうとするけど、口から出たモノは言葉ではなく…、別のモノだった。

 喉を越え…、口から溢れ出る赤黒い液体。

「ゲホッ…ゴボッ…」

 血…?

 なんで…?

 体の力が抜ける…。


---[02]---


 膝を付き…、体が倒れそうになった時、カタン…と何かがつっかえとなって、体の支えになった。

「・・・」

 そこにあったのは…、私の両手剣…、その手に持っている訳でもなく…、それは私の胸に突き刺さっていた。

『名前を言え…。貴様はなかなかに骨のある武人だった…。その名…、永劫、我が記憶しよう…』

 周りの…、島の広場だった風景が崩壊していく…。

 廃墟どころか…、何も無い平地か?

 いや、違う…、コレは…戦場だ。

 僅かに感じる揺れに…、石のように硬く…、そして溶ける事のない…人工の氷の上…。


---[03]---


 天人界…、その大半を水が占める世界で、自分達の領土…本土に敵を侵入させずに戦うとなれば、その戦場は必然的に水の上…海の上となる…。

 大軍を引き連れるとして、それらが何の足枷も無く戦うには、巨船をいくつも作った所でキリがない…、ならやる事は1つ…、それ以外で足場を作る事…。

 これはその足場だ…。

「グブォ…。あな…あなたは…」

 胸に剣が…、自分の剣が刺さってる状態で…、痛みこそ無いけど…、動ける状態じゃない私は、自分の血で窒息しそうになる中で、男の方を見る。

 男は…その手に白く…途中で折れた…私の両手剣を持って、その刃を…、私の首にあてがった。

『我に名など無い。だが…、周りの奴らは「オグル」と、我の事を呼ぶ』

 オグル…、コイツが…オグル…。


---[04]---


「たま…しい…食い…」

 なんだ…なんだ…なんだ…?

「ぐ…ッ!」

 知らない単語が、勝手に口から出る…、思考に…記憶に…ノイズが走る…。

 見える…、1人の男性が納められた箱…、私はその中に花を添える記憶…。

 私は知らない…知らない…、誰…誰…誰誰…。

 父さん…お父さん…父さん。

…仲…を…にが…ために…、1人で…の…り、魂食いに…

『魂食い…、そう呼ぶ奴らもいるが、我の関する所ではない…』

 何かが頭の中に入ってくるようでもあり、湧き出るように…思い出すように…頭の中に溢れ出来るようでもある…。

 蓋が閉じられ…、燃え行く箱…、いや、これは棺だ。


---[05]---


 覚えてなかった…知らなかった…、その記憶が頭の中を埋め尽くすにつれ…、状況がわからず不信感しかなかった相手への感情が、徐々に…徐々に…、憎悪へと変わっていく。

…ころされたころされたころされた…

 頭の中で、何度も何度も何度も、覚え込ませるため…、忘れさせないため…、同じ言葉が連なっていく。

 お父さんが…、お父さんが…、殺された…。

…誰に…

 こいつに…。

 自分の手が自然と、その胸に刺さった剣へと伸びる。

「おま…え…、おまえぇ…ぇ…」

 何の感情も無く無表情のまま、ただ私の事を見下ろす男を、私は睨みつけた。


---[06]---


『魔力に帰るがいい…』

 振り上げられたお父さんの剣が、状況に似つかわしくない程、キラキラと輝いている。

 それは、私に向ける刃じゃない…。

 許せない……。

 許せない…許せない…。

 お前がソレ握っている事が…、触れている事が…。


…「許せない」…


 鉛のように重くなった体、伸ばした手が剣の刃を掴むが、引き抜く力が出ない。

…「何が必要だ?」…


---[07]---


 知るものか…。

『しぶとく生き続けるものだな。それだけの執念、感服する。だが無駄な事…。肉体とは、「生者」の特権、生者にのみ許されたモノ…。「死者」には余る…』


 振り下ろされた刃は…。


 その動く骸の首を落とした。


…「あ…ああ…あああああッ」…

 体が腐りゆく…。

 いや…違う…。

 体じゃない…。


---[08]---


 その魂が…、その人をその人とたらしめるモノが…、朽ち果て、魔力に帰っていく…。

 また場所が変わった。

 男の姿は消え、周りはまた何も無い真っ白な場所になり、自分の足元には波紋が広がる。

 体が灰になったかのように、その形を崩しては、その形にしがみつくように、形が元に戻っていく…、そしてまた崩れて…また形を作る…、その繰り返し…。

 痛みは無い…、触覚も無い…、耳にはずっとザザッザザッとよくわからない音が響き続けている。

 消えてたまるか…。

 まだ私は、アイツを殺してない…。

 私は…私は…。


 ズキッっと、再び急な頭痛に襲われる。


---[09]---


 すると、自分の前方に誰かが立っていた。

 誰か…といっても、もう人であるかどうかもわからない。

 私が悪いのか、それともこの空間のせいなのか、その誰かは、私よりもずっと…ずっと身長が高く、頭から足の指先まで、全身をすっぽりと覆う布で体を包み、顔も輪郭も、ぼやけて何も…はっきりと見て取れなかった。

 その誰かは、地面に付きそうな程…不自然に長い手を上げて、私を指差す。

 何かを喋っているのか、口元が動いているように見えた。

 何も聞こえていないはずなのに、私は、それを聞き言っているかのように、自然と首が縦に振れる。

 寄越せ…と、何か考える事もなく、そう言い放った。

 自分がどんな状態かなんて知らない。

 でもその誰かの提示されたモノを、私は欲した。


---[10]---


 声が出ない…、それでも、何度も何度も…、崩れ行く体に鞭打ちながら、手を伸ばす。

 一歩進めば足が崩れた…、倒れた体で這い進めば下半身が崩れた…。

 求めるモノを持っている奴に、また寄越せと叫ぶ。

 その誰かの口元に笑みが籠るのが見える。

 相も変わらずぼやけが酷過ぎて、その顔をはっきりと見る事は出来ないけど、その赤が混じったような黄色い目は、何故かはっきりと見えた。



 拳ほどの大きさの氷のつぶてが、フェリスに向かって降り注ぐ。

 いくら魔力で体を強化しているとはいえ、当たれば普通にただでは済まない…、頭部に当たればなおさらだ。


---[11]---


「いや~…硬い…硬いねぇ~」

 そのつぶてを放ったエルンが、焦りの混じった表情を浮かべながら、ため息を零した。

「それでもやるしかないだろッ!」

 降り注ぐ氷の雨をものともせず、フェリスは突っ込んでくる。

 狙いは鬱陶しい事ばかりするエルンだ。

 エルンを守るために、ウチは迫るフェリスとの間に割って入る。

 来るな…と声に乗せない代わりに、振るう槍斧が、フェリスの右拳を弾く…。

 後ろへとのけ反ったコイツに、追い打ちを掛けるように、上から信廉の片刃の両手剣が振るわれた。

 手加減はされていない。

 ほんの数回…、その打ち合いで、信廉自身今のフェリス相手に傷つけないように…なんて慈悲を掛けていられない事を理解したからだ。


---[12]---


 だが、その攻撃は届かない。

 フェリスの竜戻りは、さらに進行していた。

 新たに、その額には1本の角が生え、顔の右側面へ…まばらに鱗や甲殻は現れている。

 信廉の攻撃は、その角に弾かれた。

 のけ反り、後ろへと引っ張られる体の勢いを乗せて、踏ん張ると同時に、フェリスの左手が信廉へと伸びる。

 そして腕を掴まれ、背負い投げるように地面へと投げつけられた。

「…ガハッ!」

 かなり強く地面へと叩きつけられたその体は、玉のように跳ね上がる。

 そんな信廉を掴んだフェリスは、走り出し、勢いを付けて投げ飛ばす。

「ヤバいねぇ~ッ!」


---[13]---


 さらに追撃を決めようとするアイツに対し、エルンが信廉を守る様にトゲトゲとした壁を作る。

 足を止めて出来たその隙で、フェリスに追いついたウチが、今度は得物を振り下ろす。

 でも、それもフェリスは振り向き様に、右手で防いだ。

 竜の鱗に甲殻…、ソレが持つ防御力は一級品…、自分の腕に常にあり…そして使い…、それ自体が当たり前になっていたから、あまり気に止める事がなかった…、でもこうして、ソレを相手にするとよくわかる…その厄介さ…。

 こっちの攻撃を易々と防ぐ素手…、そして…。

「…ッ!」

 それ自体が優れた盾でありながら…、矛…だということ…。

 フェリスの力は、竜戻りが進んでいるせいで、さっきよりも上がっている。


---[14]---


 鍔迫り合っている間も、こっちは気が休まらない…、少しでも力を緩めれば、一気に押し負ける…、でもコイツはすぐにソレを越えていく。

 その腕と槍斧の鍔迫り合いに、フェリスは左の拳で、槍斧の刃を思い切り殴った。

 重心がズレ、その刃が地面を砕く。

「…くそッ!」

 体が前のめりになって、無防備な状態になり、フェリスが動くのが視界に入る。

 ウチが得物を手放し、フェリスから距離を取ろうとするのと同時に、ウチは横へと回り込まれ、攻撃を喰らった。

 めり込む拳は横腹を穿つ。

「ガハッ…」

 強化が弱まっているように感じる…、フェリスの攻撃1つ1つが…、芯に響く。

 首を掴まれ、地面に叩きつけられる。


---[15]---


 動きの取れなくなったその瞬間、追撃のために振り上げられたフェリスの拳に、ウチはただでやられてたまるか…と身構えた…。

 しかし、何故か動きが止まる。

 それでもウチを押さえつける力に緩みはないから、全く動く事はできない。

 そんなすごく長く感じた一瞬の間は終わり、振り上げられた拳に力が入る…が、その時、フェリスの体を冷気が包んだ。

 何かを察知して飛び退くアイツに、ウチは追いすがる。

 一瞬とはいえ、何の変化がフェリスにあったのかは知らないけど、動きを止めた事を攻め時と見た。

 ほんの少し、小さな攻め気を途切れさせない。

 アイツの体に纏わりつく冷気が、所々を氷結させる。

『そのまま行け、イクシアッ!』


---[16]---


 エルンから投げ渡されるパロトーネ、それを右手で受け取ると、その拳へ…みるみる内に氷塊を作る。

 それでもいい…、使う物にこだわりなんて求めてもしょうがない。

 コイツを止められるならッ。

 その大きさを増していく氷塊は、あっという間にウチと同じぐらい…いやそれ以上の大きさになっていく。

「オラァーーッ!!」

 その場に…ではなく、冷気はフェリスの体自体に発生したモノ…、体の節々…特に関節部が氷結して動きを鈍らせるフェリスに向かって、ウチはその氷塊を思い切り殴りつけた。

 その瞬間、その攻撃した時の衝撃か…それ以外の要因か…、氷塊が砕けて粒子となり…フェリスの体に取り付いて、さらに強い氷結を見せる。


---[17]---


 最初は薄っぺらい氷のように、僅かに動きを鈍らせる程度だったモノが、今度はガッチガチに固めていった。

『アアアァァァーーーッ!』

 それでも止まらないフェリスは、自身の動きを鈍らせる氷を無理矢理砕きながら、ウチへと迫った。

 しかし、砕けて落ちた氷が、今度は氷の紐となって、地面とフェリスを繋ぎ止める。

 それだって…、すぐに砕けるほんの少しな足止め程度…、でも間に合う。

 最後の1つ…、疑似武器作成のパロトーネ。

 鈍いながらも、コイツが動き出すよりも早く、ウチが疑似武器を振る方が速かった。

「取ったッ!!」


---[18]---


 その懐へ、硬直の刃がその力を放つ。

 フェリスは、近くの建物へと叩き飛んでいった。

 今度こそ…確実に…、防ぐのなんて間に合わなかったはず。

「はぁ…はぁ…」

 疑似武器の効果が、そのフェリスの体に届くように…、刃負けされぬようにと強度を全力で上げた。

 その甲斐あって、壊される事無く今もウチの手にその疑似武器は握られているけど…、バキバキ…と役目を終えたその身にヒビが入っていく。

 細かな魔力操作は柄じゃない…、疑似武器の強度限界ギリギリで強化を止めるなんて事はウチにはできないから、その先だって余裕で越えているはず…、そのヒビは限界を訴える悲鳴と同じだ。

 数秒も待つ事ができずに、疑似武器は、渾身の一振り1回で、その身は砕けた。


---[19]---


『イクシアは信廉君の事をお願いねぇ~。私はフェリ君の方を見に行くから』

「ああ」

 エルンも、今の一撃で事が終わったんだと…そう思ったんだろう。こっちまで早足で駆け寄って来て、肩をポンと叩いて行った。

 そんな奴の背中を横目に、ウチも信廉の方へ、フラフラとする体に鞭打って行こうとした時、ガタンッガチャンッ…と、何かの転がる音が耳に届く。

 まさか…と思った。

 その音がした方へと…、視線を向ける…。

 その先は、フェリスが叩き飛んでいった先だ。


 太陽の日は、てっぺんを優に超え、傾き加減も増し、暗くなり始めていた頃…。

 叩き飛んでいった時、明かりを壊したか…、暗くなった建物の中。その日の傾きでさらに見づらくなったその中で、その黄色い目は、不気味に…うっすらと、その存在を映し出していた。


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