第三十四章…「その荒ぶる竜は…。」
『オグ…オグ…ル…』
フェリスは頭を抱え、そして苦しみに耐えているような、絞り出すかのような声で、その名を呟いた。
「おぐる?」
相手がフェリスなせいで、傷つける訳にはいかないと、防戦寄りの戦いを強いられている時だった。
その戦いには、フェリスの静かなる鉄壁の様相は薄い。
荒ぶる獣…、その言葉が一番しっくり来るような…、そんな暴れよう。
記憶を無くした方のフェリスだって、こんな…。
「ああああぁぁぁぁーーーーッ!」
まるで、何かを吐き出そうとするみたいな雄叫びが、空気を振動させる。
---[01]---
同時に、こっちに飛び掛かってくるアイツは、その手に持った自分の剣を、まるで棍棒でも扱うかのように振り回した。
荒々しく、力任せで全てが大振りな攻撃だからこそ、疲労の溜まったウチらでも食い止められる。
『ぐはッ!?』
叩き飛ばされる夜人に追撃を掛けるフェリスに、その間に割って入って、剣を受け止める。
「グッ…」
その衝撃を全部受け止めると、さすがに体が悲鳴を上げた。
「なああぁぁーーッ!」
フェリスの剣を押し返して、体勢の崩れたアイツの腹目掛けて蹴りを見舞う。
---[02]---
こんな戦い方…。
「こんな戦い方、お前らしくねぇなッ!」
竜戻りしているからか?
その傷ついているようにしか見えないアイツの戦意は、衰える事を知らない。
結構イイ蹴りが入ったはずなのに、倒れる事無く踏ん張って、すぐにまた突っ込んでくる。
力が溢れて、仕方がないといったように、その肉体への魔力強化が収まる気配がない…どころか、どんどんその力を増していった。
「なぁッ? フェリッ!」
振るわれる剣に合わせるように、自分の槍斧を振るっていく。
バキンッ!ガキンッ!と激しく耳に響く音が身体を震わせた。
---[03]---
それでも、その力自体は、あの鬼の野郎と比べれでまだ弱い方だ。
得物同士のぶつかり合いで、手に伝わるそれでわかる。
でも、その力は明らかに普段の訓練で、アイツが出している全力と比べれば、数段の力の上がりようだ。
この瞬間のフェリスは、ウチの知るフェリス・リータとは全然違うっていうのに、どうして、この状態のこいつを見た時、ウチは昔のアイツを感じた?
こんな獣みたいなやつに…。
今のフェリスは、昔のアイツとも、今のアイツとも、全然違うのに…。
「…くッ!」
防いだ攻撃の衝撃を防ぎきれなくて、体が後ろへと叩き飛ばされる。
槍斧の刃を地面に食い込ませて、飛んでいきそうになる体を止めるが、そのまま正面には迫るフェリスの姿が…。
---[04]---
『一歩下がれ、イクシア』
指示に従って、後ろへと飛び退いた瞬間、目の前に軽く見上げる程の氷壁が作られた。
『砕けッ!』
「しゃあぁーッ!」
地面に足でも埋め込まんばかりに踏み込んで、両手で持った得物を振るう。
砕けた氷壁は、無数の氷の粒となって、まるで誰かの意思を汲むかのように、それは無数の石つぶてとなって、フェリスへと襲い掛かり、その体を押し返す。
理性の欠片すら感じさせない今のフェリス、その溢れ出る魔力による体の強化は、なかなかに強固だ。
敵じゃないからこその加減をされているとはいえ、飛んでいった氷は、拳ぐらいの大きさから、大人の頭ぐらいまで、大きさは多々あれど、ソレが本気の打撃並みの威力でいくつも襲ってきたっていうのに、アイツは平然と、膝を付かずに受けきって見せる。
---[05]---
そして、次に見たモノは、ウチじゃなく、別の方向。
横の…上の方だ。
『おっとッ!?』
そこにはエルンがいた。
直接的な前衛の戦いではなく、今の氷壁といった援護に回っていたエルンに、フェリスは剣を持った手を振るい、ブオォンッ!という空気を殴るような大きな風切り音と共に、その剣が投げ出され、豪速で飛んでいく。
『うぉッ!?』
手を振る動作でフェリスの思惑を察したエルンは、自分のいた屋根上から飛び降り、その直後に剣が建物の屋根部分を粉々に粉砕する。
四方に飛び散る瓦礫に体を打たれながら、痛みに顔を歪めつつも、エルンは地面へと転ぶように着地し、フェリスへ向かって、パロトーネを投げつけた。
---[06]---
ボンッという破裂音と共に、綿のような氷の粒子が煙のようにフェリスの視界を奪い、そのアイツ自身を包み込む。
『今ッ!』
その声が自分の耳に届いた時には、もうウチは動いていた。
手に持った得物の感触は慣れ親しんでいるモノ、本物ではなくても、飽きる程に持ち続けた得物、パロトーネでできた疑似武器を持って、ウチもその氷の煙の中へと入っていく。
今の今まで、鬼の影響で熱くなっていた空間、消えた事もあって冷え始めていた場であっても、まだまだ猛暑の中、今度は白い息が口から溢れ出す。
体中がガンガンに熱せられた後だから、その場の寒さには何も感じない。
その寒さが、少しでもアイツの頭を冷やせば…、そんな事が頭をチラつくが、望むだけ無駄だろう。
---[07]---
「…ッ!」
なにせ…、こっちがフェリスを間合いに入れた時には、アイツもギロッと、その野性味溢れた目をこっちに向けてるからな…。
だがッ!
ウチは疑似武器を全力で振る。
コイツの状態を確かめるにしろ、この場を落ち着かせるにしろ、全部全部、フェリスが止まってくれなきゃ始まらない。
振った疑似武器は、間合いを詰めてきていたフェリスの横腹ギリギリを捉えた。
「なッ!?」
だが、その疑似武器が壊れていく。
まだひと振り目、その一回の攻撃で壊れる程、パロトーネで作られた疑似武器はやわじゃない…。
---[08]---
左から右へと、横に薙ぎ払ったその一閃は、確かにフェリスの横腹に当たった…、でも、同時にその疑似武器目掛けて、コイツは右肘と右膝が挟み込むように打ち込まれ、攻撃を止めるとも…攻撃するとも見える一撃が、疑似武器を砕いた。
パロトーネで作り出された得物は、相手に傷を負わせない代わりに、攻撃の威力に応じで、その部位を動かす事ができない様にするモノ…、その一撃が本物の得物であれば死に至るようなモノなら、攻撃を受けた相手は、全身の自由が奪われる。
だからこそ、完璧に攻撃を当てられていれば、フェリスを止める事が文字通り出来たんだが…。
「…攻撃が浅…」
こっちがまだ攻撃から次へ体を持って行けない中、フェリスの左腕が唸る。
その振るわれた拳は、鉄球が如く、強烈な一撃をウチの右頬へとめり込ませた。
目に見える世界に思考が追い付いていかない。
---[09]---
空が見えたかと思えば、地面が見える…、体に浮遊感を感じたかと思えば、今度は、何度も体に硬い地面がぶち当たる。
「ペッ…」
右頬に襲い来る激痛は、普段ならあまり感じない痛みだ、口の中一杯に広がる血の味は、痛みも相まって、自分が負けていると…一瞬とは言え…錯覚させてくる。
吐き出した唾は、真っ赤に染まって、痛々しく…自分の事なのに他人事にさえ思えた。
「いってぇ…」
マジな拳だった。
防御姿勢が間に合わなかったから、とにかく魔力で体を硬めまくったけど、それでも威力を殺しきれずに…この様…。
---[10]---
何の対策も無しに受けてたら、頭が首を軸に何回転したんだか…。
「やってくれたな…」
その頬から響く痛みに加えて、今までの攻防…。
「竜戻り…か」
竜に戻る…なんて言い方をするだけあって…、面倒くさいな。
今のフェリスの力だけを見れば、確かにその名に負けず劣らずな、別人と思える程の力の上がりようだ。
パロトーネの疑似武器は、本物と比べれば耐久性は落ちる…、それでも魔力による強化の甲斐あって、それ相応に頑丈なはずだってのに…、それを壊されるとは思ってもみなかった。
フェリスは、両手剣を投げた事で得物を無くし、背中に携えた折れた剣…ソレも一応武器として使えなくはないが、ソレにも手を伸ばす事無く両手を胸の上まで上げた構えを取る。
---[11]---
背中の武器は、普段から使っている所を見た事がない。
さっきまで持っていた両手剣に、もう1本…短剣を使った二刀流…、ソレがフェリスの戦い方だ。
それらを同時に使うかどうかは、その時々によって変わる気がするが…。
記憶を失う前だったら多かったし、失った後は同時に使う事が減った。
なんにしても、両手剣が手元から無くなり、その腰には、普段ならある短剣の姿もない…、背中の剣を使う気が無いってんなら、そりゃ次に使える武器は自分の体だな。
格闘戦へ移ったフェリスは、一呼吸分の間を置いて、こっちに突っ込んでくる。
完全にウチを標的にしている感じだ。
でも、その攻め気がやっぱりらしくない。
---[12]---
「慣れない事はするもんじゃねぇなッ!」
突き出される右の正拳突き、ウチは左手を右手で支えながら、その拳の側面へ左手をぶつけて、自分に飛んできた攻撃を逸らす。
ガリガリッとお互いの腕の甲殻が擦れ合う音と、ぶつかり合った衝撃に加えて、その接触部分に火花でも飛び散るんじゃないかと思う程の熱を帯びた。
そして、フェリスの攻撃を凌ぎきった左腕を、鞭打ちのようにコイツの右頬へと打ち込む。
横へとよろめくフェリスは、その衝撃を和らげようしてか、くるくると身体を回し、その最中、こっちの追撃をさせないように、その尻尾を振った。
それこそ、こっちが今やった鞭打ちの比じゃない威力、ソレに気付いて追撃しようとした身体を止めた時、眼前を横切ったアイツの尻尾の先はブォンッと空を切る。
---[13]---
尻尾が横切った後、フェリスの体の向きが、こっちに向いた時には、こっちに向かって突っ込んできていた。
何の捻りもない直線的な攻撃ながら、その速さに加えて攻撃力、間髪入れない連続攻撃には骨が折れる…、むしろ直線的な攻撃だからこそ戦えてる瞬間があるといってもいい。
突き出される拳を、左腕で受け、より力を入れて押し返す。
「らあッ!」
体勢を崩すフェリスに向かって、左…右…と拳でけん制しつつ、その腹へ強烈な蹴りを見舞う。
しかし、フェリスは体勢を崩すどころか、その一撃を受けきった。
むしろ、攻撃したこっちが足を痛めそうになる。
「硬い…」
---[14]---
体の鍛え方が違うなんて可愛いもんだ。
コイツの怖い所は、地盤となる身体能力にあるんじゃない…、その洗練され尽くした魔力制御…。
どうすればより効率的かつ強力な力を発揮するか…、そんな魔力扱いの詰まれた地が違う。
記憶が無くなった後のコイツとばかり訓練していたから、知っていたはずなのに…その最近無くなっていた硬度を忘れてた。
じわじわと伝わってくる…フェリスを蹴った足の痛み。
まるで、大岩でも蹴ったみたいだ。
マズい。
こっちはまだ攻撃から体勢を戻しきれない…、それでもコイツはもう次の攻撃の構えに入ってる。
---[15]---
また体を硬く強化して…。
それでもさっきよりも猶予は無い…、さっきだって強化した上で結構効いた…、そんな中で強化が間に合わないんじゃ…。
『止まれ、フェリ君ッ!』
拳が今にも振るわれる瞬間、そこへ投げ込まれたパロトーネが、氷塊を作りながら、その中にフェリスを取り込んでいく。
でもそれすらすぐに砕かれたが、その間に、今度はウチを夜人の信廉が引っ張って、その場から離してくれる。
「助かる」
「こちらこそ、すいません。場を離れてしまって」
「こっちはいい…、そっちは? ガキは大丈夫だったのか?」
「ええ、それは…もうッ!?」
---[16]---
こっちの会話の終わりを待たずに、フェリスが突っ込んでくる。
その鋭い爪は、地面を刻む。
左右に分かれるように避けたウチと信廉、フェリスは、刻んだ地面にその爪を突き立て、まるでひっくり返すように、その地面を持ち上げ、そして投げつける。
石畳とは違う…一風変わった一枚岩のようで、細かな凹凸のある地面、投げつけられた地面は、まるで粘り気を帯びた粘土のように、大小様々な歪みのある歪な石となって、信廉を襲った。
避けたばかりで、また連続で避ける…そんな余裕が無いからか、信廉はその手に持つ片刃の両手剣を構える。
カッと見開かれた目、力を使う事で、夜人は悪魔達と同じように目が赤みを帯びるが、より強く…その赤を光らせた。
---[17]---
同時に、剣が赤い魔力を纏い、勢い良く振るわれた刃は火花を散らせ、飛んできた石を斬ると同時に発火、爆炎を上げながら、消し飛ばす…とまではいかないまでも、その軌道を逸らし、自分へ飛んでこない様にしてみせる。
その一瞬、フェリスが信廉に意識を向けたその瞬間、ウチはまたパロトーネで作り出した疑似武器を、コイツ目掛けて振った。
今度こそ、その偽物の刃は直撃し、フェリスを叩き飛ばす。
「終わりだッ!」
思わず感情が荒ぶって勝利を喜ぶように、その手に握り拳を作る。
「真田、大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
人間界での戦うモノ…、夜人なだけあって、その力は本物だ。
十夜…だったか?
---[18]---
子供の姿を見た時は、かなりの動揺を見せていたように見えたが、そんな様子は鳴りを潜めて、その目が自分のやる事をちゃんと理解し、まっすぐ前を向いている。
「それで? ガキの方は?」
「あ、ああ、あの子は、体を流れる魔力の流れに乱れがありますが、それだけで気を失っている以外には何も。今は妻に診てもらっています。下手に人数がいては戦いづらいと思い、消耗の激しい仲間には、場を離れてその護衛についてもらいました。」
「なるほど、だからか」
途中から他の夜人の姿が見えなくなっていたのは。
ただでさえ消耗した身だ…、下手に標的があっちこっちと移って動きまわされるより、自分に集中してくれた方が、戦いやすいし、気負いしなくて済む。
ありがたい判断だ。
他の誰かに標的が行って、怪我なりされても寝覚めが悪いしな。
---[19]---
だが、ソレも自惚れか。
エルンや信廉の助けがなかったら、アイツを止められたかどうか…。
「ふぅ…」
緊張の糸が、切れてないとはいえ、多少のほつれを見せ、戦いの中で頭から抜けていた細かい疲労を思い出していく。
呼吸が乱れ始め、疑似武器を支えに、深呼吸をしながら整えていると、その横をエルンが通り抜けて、フェリスの方へと走っていった。
「・・・」
エルンがあいつを診る事で、何が起きているのか、それがわかればいいが…。
フェリスは、真田のガキを連れて人間界のどっかに行っていたはず、それなのに、ガキ1人とアイツ1人で姿を見せた事、ソレが気がかりでならない。
もう1人のガキは?
---[20]---
なにより、フィーは無事なのか?
すぐにでも確認したいし、もし問題に巻き込まれているなら、今すぐにでも助けに行きたい。
だが、フェリスの事がある…、下手に移動して、また暴れでもしたら取り返しが付かない可能性だってありえるかもしれないし…、だからこそ、この場を離れる訳には…。
「大丈夫です。人間界と悪魔界の間で起きている移動不能な問題も含めて、調査をしているはずです…。それに、悪魔界の方で預かっていた剣を持って彼女が現れた事は、問題を横に置いておくとしても、その事実は、裏を返せば悪魔界との行き来を行った証でもある…。問題は思いのほか早く解決するでしょう」
こっちの焦りを感じ取ってか、集中力を切らさずに、信廉はそう話した。
そうだといいが…。
---[21]---
パリッ…と何かが、割れる音が、耳へと届く。
そして、音のした方向…、疑似武器の方へ視線を向けた時、視界に映ったのは、見慣れた形をした疑似武器ではなく、その刃が割れると同時に崩れ去る瞬間だった。
「・・・ッ!?」
まさか…と思いつつも、加減なんてせずに作った疑似武器の破壊が、それを証明してくる。
それが魔力体だからこそ…、魔力の性質のねじ込み…いや、疑似武器を作る魔力の中にも土の魔力は存在するからそれの…、何にしても、意図的に疑似武器の強度を落とされていた…?
なら、さっきの一撃は決定打には…。
「…チッ…」
すぐにフェリスの方へと視線を向ける。
---[22]---
その先には、エルンも何かに気付いて立ち上がり、急いで距離を取ろうとする姿があった。
そして、体から普通の魔力とは違う…黒い魔力が漏れ出るフェリス…。
右手で頭を抱えながらも、体を起こしゆっくりと立ち上がるアイツは…、さっきまでの荒々しい姿勢とは打って変わって、背筋が伸び、ビシッとした姿勢で立った。
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