第二十三章…「その未知なる敵と目的は…。」


 校舎内は暖房が利いているし、別段寒いという感じは今までしていなかった…、でも、子供2人をトイレに連れてきてから、何故だか鳥肌が止まらない。

 嫌な予感がする…というのは、物事の結果を都合よくさせる自己暗示にも思えるけど、この感覚がソレに当たらなかったら、一体何だと言うのか…。

「フェリスさん、どうか…しましたか?」

「ん? いや…」

 用を済ませた義弘が、こちらの顔を覗き込む。

 その顔には、不安も恐怖も…何もない…、少年には、自分のような予感めいたモノがないのだろう…、その顔はここに来る前と全く変わらない。

 それはまだ恐怖と言うモノを知らないからか…、それとも…。

「十夜は?」

「…いますよ」


---[01]---


 兄の背に隠れるように立つ男児の姿に、何故だかホッと胸を撫で下ろす。

「ごめんなさい。連れていくと言っておいて、全部任せちゃって」

「い、いえ、仕方ないですから」

 私が私である以上、男子トイレに入るのはちょっと…な。

 こうして話をしている間にも、目的を達した男性陣が私達の横を通っていく…、それも、どこか気まずそうに。

 俺との違いをそんな些細な事から実感せざるを得ないとは…。

「どうかしました?」

「何でも…。世の中は、生きていると色んな事があるものだと…思っただけ」

 そう…、いろんな事がある…。

 いつも通りの日常を歩んでいても、地獄に転落する可能性はある訳で…、人の歩みに普通…なんて言葉は無く、そういう事を言えるのは、たまたま問題に巻き込まれなかった人だけの特権とも言える言葉だ。


---[02]---


 問題は、いつ、どこで、何が…起こるかわからない。

 用事も済んだ事で、フィアや俺の待つ食堂の方へと戻ろうとした時、その進行方向の先に立つ人物の姿に目が止まった。


 真っ黒なロングコートに…、室内なのに深々と被ったフード…、コートまでなら、真冬なんだからそれを着る事自体に違和感なんて存在しない…、でも、そこでフードを深く被る必要なんてない。

 違和感は不信感へと変わった…、でもそこ止まりだ。

 ソレはまさに、自分の経験不足と呼べるモノなのかもしれない。

 確かにそこには、何かが起きるかもしれない…なんて予感はあったけれど、人の往来が多い場所で何かが起こる訳がない…なんて希望的観測もわずかながら混じっていた。


---[03]---


 頭の中で考えてみれば、言い訳じみた事をいくらでも垂れる事は出来る。

 実際は、その瞬間で、そこまでの事を考えていた事はない。

 あくまで、客観的にその瞬間の自分を見た感想だ。


 自身の左肩に、強い衝撃が襲い、一歩後ろに足がズレる…、私が状況を理解できていない間にも、ソレは、目の前までやってきていた。

 のけ反った体は言う事を聞かず、肩の次は腹部へと突き抜ける衝撃が襲う。

 体は後ろへと叩き飛ばされ、廊下を転がる。

 卒業展示会の最中…、人だって決して少なくない中で、突如として、廊下を転がって来た私に、偶然居合わせた人達が、何事かと野次馬根性を隠さずに、周りを見回す人もいれば、大丈夫か…と私に駆け寄る人もいた。


---[04]---


 腹を襲った攻撃に、中がぐちゃぐちゃにされたような気持ち悪さでもって、吐き気が止まない…、左肩は熱く…痛く…、それは、現実で…こんな真昼間から感じる事になるとは思っていたかったモノだ。

 現実を否定したくなるような、突如として襲うそれらに、頭は若干の混乱を見せ、まず自分が何を成すべきか…、それが定まらない。

 体の回復か…、こんな事をしでかした相手への報復か…、状況を理解していない親切な人から野次馬までの避難指示か…、どれも必要で…どれも私だけでは手に余る…。

 焦点の定まらない視界に映るモノ…、私を襲ったであろう誰か…、コートとフードのそいつが次に狙ったのは子供2人だ。

 周りの連中のほとんどは動かない…、ソレもある意味で当然か…、人1人が何メートルも叩き飛ばされれば、その相手に掴みかかろう…なんて考えをする訳がない…、それをするとすれば、それは状況を把握できていない人だろう。


---[05]---


 なんとか立ち上がろうとするけど、吐き気からか頭がぐわんぐわんと揺れ動いて、立ち上がる事すらままならない…。

 不意を突かれたのが悪かった…、でも、それだけじゃない…と思う。

 体を何かで無理矢理縛り付けられているかのような、束縛感があった…。


 義弘は十夜の前に立ち、迫りくる相手に立ちふさがるが…、その勇敢で称賛に値する勇気も、軽々と払い除けられる。

 私とは違って殴られたりはしなかったものの、額を掴まれたその刹那、ガクッと力なくその場に倒れ込んだ。

 そのコートを着た相手が、十夜の手を掴んだ時、状況を知らずに現場に到着した警備員が近寄っていくけど、瞬く間にその場に倒れ、どよめきが周りから聞こえてくる。


---[06]---


 私が叩き飛ばされただけにとどまらず、子供も、大の大人ですら、何もできずに倒れて、大勢人が集まればおのずと現れるかもしれない、ほんの一握りの勇気を…正義感を持って止めに入る人ですら、そのはかない感情を何かを成す前に消されて、野次馬の中に紛れていく…。

「く…」

 はなからそんなモノには期待していない。

 それは私が十二分に理解している事、走っている車を生身で止めてくれと言って、ハイ喜んで…と二つ返事で行動してくれる人が居たとしても、その結果がわかりきっていて頼めるものか……、それはもはや殺人に等しい行為だ。

 安静に…、エルンやフィア…、フェリスの事を気遣ってくれる人達が言ってくれた言葉、それを尊重したい気持ちもある…が、その言葉が頭の中を過った時には、既に体は行動に移っていた。


---[07]---


 ゴリ押しではあったが、体を縛り付けるモノがあったとしても、それ以上の力で体を動かす…。

「…その子をどうするつもりだ…」

 私を目標としない相手…、状況を理解できない…、十夜は、はたから見ればただの男の子だ…、特殊な存在に見えるなんて事は無いし、目に見えない部分…魔力云々に至っても、私からしてみれば普通、その辺の連中と大差はない…。

 何か特別な子なら、そもそも外出だって許される訳も無いだろう。

 にもかかわらず、その手を掴まれたあの子の姿に、体は自然と奮い立たされた。

 周りの目を気にする事なく、廊下が…床が壊れるのも気にせずに突撃する。

 幼子が連れていかれそうな光景…、兄の手から弟が奪われる光景…、・・・大切なモノが手からこぼれる瞬間の光景…。

 それが考えすぎならいい、思い過ごしならいい、それが現実に起きようとしているなら、俺はそれを止める。


---[08]---


 それは起きちゃならない事だ…、子供が背負っていい悲しみじゃない。

 相手は目と鼻の先…、目前まで迫っても動じる事のない相手は、怖い程に不気味だった。

 もう少しで…、この拳が相手に届く…そう思った矢先、私と相手との間…その床に、黒いサッカーボールほどの点が浮かび上がる。

 その瞬間、その黒い点は天井へと伸び、槍の形へと姿を変えた。

 咄嗟に体をよじって、その点から身体をずらしたおかげで事なきを得たが…、もしそのまま進んでいたら、きっとその槍は間違いなく私のお腹に穴を開けていたはずだ。

 その奇襲を避けられ、頭の中で可能性としての更なる奇襲が頭を過るけど、私はそのまま突っ込もうとした…、でも、その考えこそが相手の誘いだったのかもしれない。


---[09]---


 再び腹部を襲う衝撃は、目の前の相手から飛んできたモノではない…、それは私の真横、槍へと姿を変えた黒い点からだった…。

 黒い何かは槍からさらに姿を変えて、今度は人の姿へとその形を変える。

 十夜の手を掴んでいる敵の姿を、型抜きで抜き取ったかのような…そんな瓜二つの姿…。

 黒い敵…の拳が私の腹へとめり込み、前へと進もうとする私の体を受け止めて、これ以上前へと進ませまいとする意思を見せるかのように、再び後方へと私は蹴り飛ばされる。

 さっきと違う事があるとするなら、今度は私自身が完全に戦闘態勢に入っているという事…、その結果、蹴り飛ばされてもその場に倒れ込む事は無く、膝をつきつつも体勢を崩し過ぎずに堪える事ができた。

 そして、もう1つの違い…、相手も私が邪魔だと判断したからこそ、黒い何かを作りだしたと思っていいのか、今度はそいつがこちらへと突っ込んでくる。


---[10]---


 まさに足止めの駒…、私に対しての妨害だ。

「そこを…どけ…」

 優先すべきは十夜の救助…、迫る攻撃を避け…、連続で繰り出される攻撃は防ぎ、その合間にできた隙に、右拳を見舞う。

 普段と同じように繰り出すソレも、今は竜の手だから威力も何割増し、攻撃を受けた相手はよろめき、続けて、その胸に肘打ち…膝蹴り、完全に体勢を崩した所へ、その顔面に右手で打ち込み、地面へと叩きつける。

 間違いない…。

 相手は、悪魔界でイクシアが遭遇したらしい悪魔に酷似していた。

 攻撃を打ち込んだ自分の手が…足が、ジンジンと鈍い痛みに近いモノを感じる。

「硬い…」

 姿が変化させた以上、その体は普通ではなく、実感する人ならざる雰囲気に、頭がこれらは敵であると認識していく。


---[11]---


 妨害の駒を叩き伏せ、再び十夜の方へと行こうとすると、今度は十夜の手を掴んでいる…本体と言えばいいか…そいつの体から、まるで溢れ出る蒸気のように、その体を黒い魔力が包んでいった。

「待てッ!」

 それは徐々に相手の体から、十夜の体に移っていき、瞬く間にその小さい体を覆い尽くす。

 その光景に良い印象を持つ人間はいないだろう…、私も例外なくその枠に収まって、胸騒ぎと共に、焦りも感じながら、空しくもまだまだ届かない手を伸ばした。

 そして、今度は相手も動く。

 やる事を済ませたからか、その理由こそ定かではないものの、今度は自分から私へと立ちふさがる。

 動きは、形をくり抜いただけのコピー品とは違い、速く…、一瞬で私を間合いに入れた。


---[12]---


 その攻撃の鋭さにも、一際鋭利さを感じ、その手は…足は、確実に急所を襲う…、それだけなら対処のしようがあるけど、全ての攻撃がそうという訳でもなく、急所を狙わなければ、こちらの動きを弱らせるかのように腕や足…同じ個所へと攻撃を入れて来て、その力もガード越しに体へと響く。

 攻撃を入れられる隙を見つけられず、避ける余裕さえなくなって、ガード量も増えた所で、さらにその上からもっと強い力でねじ伏せられ、ガードが崩れる。

 追い打ちを掛けるように、相手の攻撃はその隙にねじ込まれてきた。

 頭部へその第一陣たる蹴りが入り、ぐわんぐわんと頭が揺れる…、魔力による防御面全振りの肉体強化で、痛みこそ大きく軽減されるけど、それを越えてまで届く痛みはなかなかに強烈で、衝撃も殺人級だ。

 揺れる…揺れる…揺れる。

 視界が定まらず、相手が視界から入っては抜けて…を繰り返す。


---[13]---


 それでも、十夜を助けないと…、今の私を動かす原動力はそれだけだった。

 微かに見えた相手の攻撃を、その身で受けると同時に、その飛んできた腕を掴む。

 咄嗟に利き手だからと右手で掴んでしまったけど、それでもおかげで相手の動きは止まった。

 狙いが定まりきらない…、そして少しでもダメージを与えたい…と願った結果、こちらの左拳は相手の右肩と胸の間に当たる。

 決定打にはなってない…。

 続けて攻撃しようとした時、背後から迫る圧に、反射的に右手を振るう。

 迫っていたのは黒い方の相手だった。

 攻撃は確かにしたけど、それが当たった体は、まるで煙でも殴ったかのように掻き分けられ、その体が形を保たなくなると同時に、ソレは私の体を覆うように纏わりつく。


---[14]---


「…ッ!?」

 体が動かなくなる。

 さっきとは違う…、今のままではその縛りを抜け出せない…と錯覚さえ覚えそうな、硬すぎる封じ込め…。

 相手が何かを引き寄せるように手を動かすと、私の動きを封じ、纏わりついていた何か…、その一部がその手に引き寄せられ、槍の形へと姿を変える。

 その結果、体に纏わりついていたソレの量が減ったからか、こちらも無理を通せば体を動かせるだけの状態になったが、同時に相手の槍が私を襲う。

 殺す気は無いのか、その鋭利な切っ先ではなく、加減なく普通に叩き飛ばされた。

 その時、視界に映った十夜の体は、徐々に闇に呑まれるかのように見えなくなっていく…、相手もまた、その体を黒い何かに覆われて、その闇に溶かしていった。



 再び地面を転がる事となった私が、最後に見たのは、相手が溶けていった後、屋内にも関わらず吹く風と、それに乗って光る雪のような…無数の何かだった。



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