第十九章…「体の異変、その始まりは。」


 目に映るのは、寝台に横たわる男性の姿だ。

 その男性に白い布がかけられるのを…私は見続け、力一杯握られた拳は、その爪を肉に食い込ませ、ポタポタ…と鮮血を床へと落とす。

 口元に力が入り、眉間にもそれは入って、今にも零れ落ちそうな涙をこらえ続ける。

 白い布が体全体…、その顔をも覆った時、停電が起きた時のテレビのように、その目に映る全ては、真っ黒な世界へと塗り潰されて、何も見えなくなった。



「・・・」

 目を覚ます度に世界の変わる生活をし続けている身として、その日の始まりたる目覚めは、より特別なモノだと感じている。


---[01]---


 それでも、長く続けている生活の中で、その感覚も薄れて行っているのだが、今日の目覚めはそれをより強く感じる日だ。

 頭がいつも以上にぼんやりしているし、体がすごく重い。

 記憶は朧気ながらも、自分の意識を失う直前の光景を、うっすらとたが残している。

 鬼と戦って…、動けなくなるぐらい頑張って…、悪足掻きをしてた気がするんだが…。

 うっすらと残った記憶の中にある見慣れぬ姿、自分の右腕、記憶とこの瞬間とを繋げる証拠。

 重い…重くて重くて…、右腕を持ち上げる事すら大変で、まるで自分の体ではないようだ。

 右腕を天井に着き出すようにして、その姿を目に納めていく。


---[02]---


 もしかしたら…なんて、夢の中で、さらなる夢でも見ていたんじゃないか…とさえ思ったけど、これを見る限り、そんな事は無いらしい。

 竜種であるフェリス、その体に刻まれるかのように存在する竜の姿は、手足の指と尻尾だけ…だけのはずだが、自分の目に映る右腕は、指どころか肘までが甲殻と鱗で覆われ、人の腕とはかけ離れた姿となっている。

「夢じゃない…」

 最近、いろんなことがあって、夢だのなんだのと、文句めいた事を言う気すら失せていたし、そもそも現実かとさえ思えてきた身としては、起きた事は夢だからと片付けられない。

 それにしても重い腕だ。

 左腕も右腕と同じように上げて見たが、腕や肩にかかる重量…重さの感じが違う、見た目相応に重さも変わっているらしい。


---[03]---


 体を魔力で強化する事が前提の体なら、気にならない重さだろうけど、今はそれが上手くいかないせいで、とにかく重い、重すぎる。

 ドン…と軽めのダンベルでも落としたような音がするのは、ある意味で新鮮な事だけど、自分の腕である事の実感を薄めさせるものでもあった。

 だからと言って、右腕がこんなになっている事実は変わらないが…。

 とにかく…だ、俺の、私の記憶の最後は鬼との対峙でぶつ切りになっている辺り、俺として目を覚ますことなく、私がまた目を覚ましたようだ。

 そして、目を覚ました場所は、未だ見慣れてはいないが、恐らく久遠寺家の一室、多分私達が借りている部屋だろう。

 病院でもなく、純和風の部屋…ときたら、そこしか考えられない。

 そして、それを証明するかのように横に視線を向ければ、見覚えのある襖がそこにはあった。


---[04]---


『フェリさん、目が覚めましたか?』

 襖がゆっくりと開かれ、人の頭1つ分のスペースを開けると、そこからフィアが顔を覗かせる。

「・・・ええ」

 彼女がいるなら、ココは安全な場所であると信用できる。

 人間界において、フェリスが気兼ねなく安全を謳歌できる場所といえば、身の安全を保障されている久遠寺家しかない。

「気分はどうですか?」

「…すごく体が重いわね。腕を上げるのも楽じゃないわ」

「そう…ですか」

 私の返答に、フィアの表情は若干の曇りを見せる。

「すぐにエルンさんも来ると思うので、その間、体を診させてもらいますね」


---[05]---


「…ええ、わかった」

「体を重く感じる…以外に、何か変に感じる所はありますか? 痛い所とか」

「痛みとかは、特に無いわね。身動きがとりにくい状態だから、動いてみれば何か変わる所はあるかもしれないけど、今の所は別に。この右腕の状態が変で無いのなら、変に感じる所も無いわ」

「そうですか。…では体を楽にしてください」

「…ええ」

 フィアは、私に掛けられた掛布団を退かし、胸や腹、腕や足を触っていき、おかしなところが無いかを見て行く。

 彼女が触る度に、なにか温もりのようなモノを感じるのは、魔力を体に流す事でその流れに異変が無いかを確認する…天人ならではの異常の確認法だ。


---[06]---


 といっても、俺は一般的な医療知識を持っている程度で、その辺の事を熟知している訳じゃない、それは私としても同じで、その診察方法で何がわかるのか…は、わかっていない。

「私が診た限りでは、何も問題はなさそうですね」

 ひとしきり確認を終えた後、布団をかけ直してくれながら、フィアは安心したように一息つく。

「体が重く感じるのは、著しく魔力が枯渇している事が原因です。時間が経てば、いつも通り動けるようになりますよ」

「…わかったわ」

「時間が経てば…といっても、人間界ではそれなりの時間を有するでしょうが…」

「どのくらい?」


---[07]---


「完全に回復するまでには一週間…と言った所でしょうか? 自然回復の場合はそのぐらいで、他者からの魔力の供給を行えば、回復ももう少し早くなります。ですが、それは万が一の手段、自分の魔力ではないモノを体内に入れるのは、魔力機関に対しての負荷が大きいので、基本は自然回復です」

「…そう…、ごめんなさい、手間をかけて…」

 あんな鬼が襲ってくるとは思わなかった…そんな言い訳をするつもりはない、今はただ私の行動で皆に迷惑をかけた事を謝りたい。

「・・・本当です…。あの時、フェリさんの体は死ぬ寸前でした。天人界なら、その豊富な魔力から、体内の魔力が枯渇したとしても、死ぬ事はほとんどありません。でも、この世界では、私達天人は魔力の枯渇が命に関わるのです」

 状態的に、私を見下ろす形になるフィアだけど、彼女が見ているのはさらに下、俯き…視線は落ちて、数滴…その瞳から感情の吐露がこぼれる。


---[08]---


 それを見て、もし私が死ぬ…なんて事があれば…を考えてしまった。

 大事なモノを無くす苦しみは俺が一番よく知っている…、だからこそ、それと同等の悲しみか…とか、比べるモノではなく、その感情自体を誰かに与えてはいけない…と後悔が襲う。

「でも、良かったです。フェリさんがこうしてまた目を覚ましてくれて」

「私も…、またあなたの顔が見れて嬉しいわ」

 フィアの濡れた目元を、右手を伸ばして、またこぼれ落ちそうになったソレを拭う。

 無意識にやってしまった事だけど、なかなかに緊張する行動だ。

 もともと、普通の人間の指と違ってトゲトゲしている訳だし、今は身体の重さ…腕の重さも相まって、無意識とはいえ、その軽い行動に、別の後悔が襲ってきた。

 それでも、大事になるなんて事は無く、上手く拭えたことに、ホッと胸を撫で下ろす。


---[09]---


「それにしても重いわね…」

 魔力の枯渇は自己責任として、この右腕は望んだ訳じゃない。

 この腕だからこそ助かった事実は、しっかりと記憶してはいるけど、それでも予想外な状態だし、そのせいで体の重さを右手だけ加速させていて、右腕の事だけは、愚痴をこぼす。

 あの鬼の攻撃が本気だったかどうかは別として、一撃を防ぐだけの有望さはある…。

 イクシアの戦っている時の左腕を見ていれば、その使い方にも期待できるのに、今この状態でだけで感想を言うなら、疎ましくさえ思う。

 とにかく重いのだ。

 最初からこんな状態だったなら、別に気にする訳でもないだろうけど、突如としてこんな腕になってしまったら、そこに残る感情は不安と恐怖、今後どうなるんだろう…と思うばかり。


---[10]---


「人種と竜種のハーフじゃなくても、こういう腕になったりする…のね」

 フィアと話をして、半覚醒状態だった頭は完全に覚醒した。

 半覚醒特有の眠気による二度寝なんて、もう期待できないし、このままフィアと会話を続けてもイイかもしれない…と頭の隅で考えつつ、拭う事で再び視界に入った右腕、それに対して思っていた事が口からこぼれる。

 彼女は、そっと私の右手を取り、優しく上げていた手を下ろさせ、その腕を撫でた。

「これはイクの左腕とはちょっとだけ違う、竜種の方特有の「竜戻り」という状態です」

「りゅう…もどり?」

「はい、竜戻り。フェリさんに初めて会ってイクステンツの案内をする事になった時、一回だけ竜戻りの事をお話したのですが…覚えていませんか?」


---[11]---


「あの時…? そんな事もあった気がするけど、正直覚えていないわ」

「そうですか。まぁ話をしたと言っても、こういうのもある…と言う感じで、種族の説明の時に少し話した程度なので、ソレも仕方ないですね」

「私の右手は、今後、ずっとこのままなのかしら?」

「いえ、一時的なモノ…と聞いています。竜戻りができる人はなかなかいなくて、私も実際にソレを見るのは初めてなのです。なので、確かな事を言えないのですが、エルンさんの話では、竜戻りは自身の魔力に体が反応して、人から竜へ、体が近づいてしまう現象らしいです。魔力を起因とするモノなので、体内の魔力が普段通りの状態で安定すれば、元の姿に戻るのだとか」

「…そう」

 それを聞いて安心した。

 いや、格好良いとは思う、思うけど、やっぱりいつも通りが一番だと感じるから、この腕が元の腕に戻ってくれるのは嬉しい限りだ。


---[12]---


「でも、なんで急にこんな事になったのかしら?」

 自分の魔力が影響して起こる現象…、それはいいけど、どうしてこのタイミング?

 魔力を使う状況なんていくらでもあったし、限界まで振り絞る事だってあった。

 それは今回に限った話じゃないのに、この人間界って環境が、影響しているのだろうか?

『魔力切れで倒れた割には、元気そうな顔をしてるねぇ~、フェリ君』

「・・・エルン」

 エルンが、イクシアとトフラを連れて、姿を見せる。

「顔色は自分じゃよくわからないけど、すごく体は重いわよ?」

「そりゃ~そうさ。身体を十全に保つ魔力すらないんだから、調子が狂うのは当然」

 エルン達は、フィアと向かい合う形で座り、エルン自身は一息つくように大きく息を吐く。


---[13]---


「まぁ何はともあれ、起きてくれたなら一安心だ。フィー、フェリ君の体の状態はどうだい?」

「私が調べた限りでは問題なさそうです。魔力に対する反応も良好です」

「ん~、それは重畳」

 エルンと目が合う。

 彼女はこっちに向かって微笑みを浮かべながら、何故か右手を振り上げた。

 パアァーンッと、傍から聞いていたら、さぞ綺麗な音だ…と感想を言いたくなる音が部屋に響き、そして私の額には衝撃が襲う。

 一瞬、何が起きたのかわからず、目をパチクリさせる私だったが、何をされたのかは、エルンの右手を振り切ったポーズと、額にジンジンと伝わってくる鈍い痛みで理解した。

「・・・いたい」


---[14]---


 額を襲う痛みはあれど、体は重く、いつも通りの動きができないから、ゆっくりと動かす手で額を覆った後は、力を抜いて、半ば額どころか顔全体を手が隠すように垂れる。

「むしろ、その程度の痛みで済んでる事を喜ぶべきだ。さすがの私も怒るよ?」

 手と手の隙間から見えるエルンの表情は、怒るよ…と言っているが、既にお怒りな表情だ。

 いつもの気の抜けたような楽観的な表情ではない、この前のおでんを食べながら話していた時のような真剣な表情に近いけど、眉間にはシワが寄り、彼女らしくないと感じつつも、その表情からは確かに怒りのようなモノを感じた。

「…ごめんなさい」

 良い訳なんて出てこない、そもそも、いい訳なんてするつもりもない。

 私が悪いのだ、鬼の出現が予測不可能だったとしても、私の行動の先、その結果がこれなのだ。


---[15]---


 良い訳なんてできるはずもない。

 私は、フィアに言った時のように、ただ謝罪の言葉を口にする。

「そもそも、フェリさんは、どうして外に出ていたのですか?」

「・・・」

 フィアがこぼした疑問、それは当然と言えば当然な疑問だ。

 かといって、それに対してどう説明すればいいんだろう。

「それは…」

 こっちの世界の自分に会いに行きました…なんて言える訳が無い、外の空気が吸いたかった…なんて言える距離じゃないし、コレだ…という言い訳は全く出てこなかった。

 言葉を詰まらせる私に、心配そうな表情を浮かべるフィア、そんな表情をさせてしまっている事に胸を締め付けられる。


---[16]---


「まぁ、起きたばかりではっきりと頭が動いていないから、思い出せるモノも思い出せないのかもねぇ。とりあえず、今回はこの辺にしておこう。フィー、まずはフェリ君の休息が第一だ。無事な事がわかった訳だし、いつまでも誰かが居たら休まるモノも休まらない。聞きたい事は多いだろうけど、まぁ明日には頭も冴えて話せるだろう」

「…はい、そうですね」

 不安そうな表情こそ消し去れていないが、フィアはエルンの言葉に頷いた。

「フェリ君もわかった? まずは休息、「数日はこんな感じ」だろうが、早く「まともに話」ができるようになってねぇ?」

 何か含みのある言い方だな。

 どれだけの事を伝えようとしているかわからないけど、さっさと言い訳を考えろ…とでも言われているようだ。


---[17]---


「ええ」

 元気になるのに頑張りなんてやりようがないけど、フィアに質問をされた時点で、自分が考えなければいけない事の1つはわかっている。

 それがそのままエルンの言葉への返答になっているかはわからないが、その言葉に頷くだけだ。

 皆が部屋の外へと出て行く。

 その中で、イクシアが最後にこちらを一瞥していたが、それが意味する所を、私はわからない。

 ここで一言も発さなかった事も気がかりだ。

 彼女との関係は凸凹で山あり谷ありな複雑なモノ、面倒な事にならなければいいが…、それは高望みで、行きつく所はいつもの流れなら…良くない方だな。


 まずはゆっくり休め…か。


---[18]---


 色々と話を聞きたい所でもあるけど、こんな不調状態では話を聞いても、しっかりとソレが頭に残るかも謎だ。

 でも詳しい話が聞きたい。

 腕の事、体の事、鬼の事、…俺の事。

 俺に関しては、俺として目覚めればそれで解決するけど、そうならない時もあるし、聞くという選択肢は覚えておかなければ。

 自分でできる限り、頭の中の記憶を整理しながら、言い訳も考えつつ、外からまだまだ明るい光が入ってくる中で、私は目を瞑るのだった。



 悲しく…苦しく…、胸を…心を…、自分の全てを焼き尽くすかのように、その怒りの…憎しみの炎が燃え上がる。


---[19]---


 熱くて…熱くて…熱くて…。

 俺は胸を押さえながら、その場に膝を付く。

『それは…、あなたが抱えるべきモノじゃない』

 そんな俺の耳に届くどこかで聞いた事があるような声…。

 聞き覚えがある声、いつも聞いているような気がする声…、知っている…声。

 真っ黒な空間を覆い尽くす炎達、その炎の熱が、全て自分に集まっているかのように、胸を中心に体中が熱くなっていく。

…はぁはぁはぁ…

 息も苦しい。

 いくら空気を吸っても、足りない、足りない、足りない。

 自分の体は膝を付くだけに収まらず、前のめりになって額が地面に付く。

『ダメ。ソレはあなたのじゃない。落ち着いて。この熱までその体に宿したら、あなたは耐えられない』


---[20]---


…なに…が…ッ…

『気をしっかり持って、この炎はあなたのモノじゃない。今のフェリスの炎じゃない』

…く…ぅ…

 誰かが、俺の肩に手を置く。

 それは何故だかすごく安心できた。

 当たり前に傍に居てくれる人…、そんな人の優しさのような…、熱さではなく、その手には温もりを感じる。

『意識をしっかりと持って、今のあなたに…今のフェリスに、こんな炎は必要ない。ただでさえ、あなたはその胸に大きな炎を抱えているんだから、こんな真っ黒な炎まで抱えたら、内側から燃え尽きてしまうわ』

 徐々に息は整い、手を置かれた肩を中心に、体の熱は外へと出て行った。


---[21]---


『でも…、叶うなら…、この炎を…この熱を…忘れないで…。いつか溶けて消えるソレでも、大事な…最後まで残ったモノだから』

…さい…ご…?…

『そう…、最後。でも…そうだな。必要ないとは言ったけど、今のこの状態は、苦しい事もあるかもしれないけど、あなたにとっては、もしかしたら良い事もあるかもしれないわね』

 体の熱が収まった時、置かれていた手は離されて、その主が自分から離れて行っているのか、その声が徐々に遠のいて行く。

『溶けて消える寸前のこの状態、ソレそのモノを感じ取れているこの状態は、その時あなたの体には、あなたと消える寸前のソレ、その両者が同時に存在してる。・・・君にとって…だけじゃない、そ…はも・・・たら私…とっても・・・かも』

 最後の方はもうほとんど聞こえない。


---[22]---


 なんて言ってるんだ?

 この場所に…この感じ…、相手はアイツか?

 夢なのかなんなのか、たまに見ていたよくわからない相手…。

 なんなんだ?

 お前は誰で…何がしたい…。

 一番知りたい事は、毎回毎回答えを貰えずに、今回も含めて疑問に思う事ばかりが増えていく。

『ご・・・さい…』

 今回のコレは、いつもと明らかに違う…。

 何かが流れ込んでくる感覚…、それが続けば続くだけ、胸が締め付けられる。

 それは、俺がもう二度と感じたくないと思う感情だ。

 なのに、なんで、ソレが流れ込んでくればくるだけ、楽になる?

 なんで…。

 なんで…。


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