第十七章…「その赤い肌の角を持ちし者は。」
全身の毛が、ゾワッと総毛立つのを感じた。
突如として、目の前に現れた何か…、それがなんなのかを理解できないし、これだろう…と予測する事も出来ない。
頭がその存在が何なのかを考え始めるよりも早く、私の体は危険信号を発した。
警鐘が鳴り、アレが何なのかを考えるんじゃなく、その警鐘に体を任す。
俺の前に立ちはだかるソレが、何をしてくるか…、それを考える事をせず、私は俺自身の首根っこを掴み、そして自分の後方へと引っ張った。
その直後、ドシャンッ!…と大きな衝撃音と共に、私の前に砂ぼこりが舞い上がる。
こいつは危険…そんな体の反射的な警鐘に従って、考えるよりも早く体を動かした…、俺をあのままにしちゃいけない…と、その瞬間は夢中だったんだと思う。
でも、その行動は無駄じゃなかったみたいだ。
---[01]---
夢中になっていたせいで、何をどうしてこうなったのか…、それを理解できていない私がいるけど、それでも、その砂ぼこりの原因が、人間の生死にかかわらない出来事とは思えない。
砂ぼこりの合間から見え隠れする何か…、街灯の光が当たる度にギラリギラリと光が反射して、嫌な悪寒だけを伝えてくる。
「…ッ!?」
嫌な汗が背中を伝い、砂ぼこりも収まりきらぬ中、ソレを割る様にその巨体は、私目掛けて突き進んでくる。
街灯があるとはいえ今は夜、加えて砂ぼこり、相手の行動への対処が遅れ、突き出された巨椀が私の顔を掴む。
その瞬間、足は地面と別れ、身体を襲うのは一瞬の浮遊感、そしてそれを頭が理解する頃には、後頭部へ…強い衝撃が襲った。
---[02]---
顔を掴まれ、その巨椀から伸びた指の間から見える世界が、一瞬にして夜空へと変わる。
痛くない…訳がない。
ジンジンと響く後頭部の痛み…、その痛みに若干の慣れを感じている自分が、少しだけ嫌だ。
「…また…ン…」
顔を掴む指の力が、若干ながら弱まったように感じる。
私が今のでノックアウトされたとでも思ったのか…、いや、普通なら今のでアウトなのかもしれない。
だがしかし、今はそんな考えに頭を巡らせてる場合じゃなく、私を倒したと判断したのなら、次に狙われるのは俺自身だ。
その理由なんて、考える必要は無い。
---[03]---
今この瞬間、私の身に起こった事が全て…。
手が顔から離れたその瞬間、身体を横に転がらせ、相手の左側に抜けると、這いつくばった状態から地面を蹴る。
右手を腰の左側、何かあった時のために持ってきていた短剣へ伸ばし、前へと動く勢いを殺さずに、地面に尻尾を突いて体を無理矢理起こす。
姿勢なんて最低で、到底強い攻撃が出せるような状態じゃない、それでも、自分はやるんだ…と短剣を抜いた。
目の前に、動きが遅いのか何なのか、私が抜けてまだ戻しきっていない丁度いい丸太みたいな腕が…、短剣を鞘から抜き様に、ソレ目掛けて斬り上げる。
手に伝わる肉の感触はある…しかし、その先、ソレを断つ所まで行く事は無い。
さらに一歩…前へと踏み込む。
---[04]---
右足に力を入れて全力で踏ん張り、尻尾を右から左へ振って少しでも力が乗れば…と願いながら、空いた左手に岩だって砕けると信じて握り拳を作り、視界の右側を埋めるその巨体…その腹に向かって、全力で今できる最大の拳をお見舞いしてやった。
ドンッ!…と手に伝わってくるその感触は、人を殴った時のソレとは、明らかに別物だ。
拳が接触してる部分に伝わる感触は、確かに人の肌のように感じるけど、殴った事で生じる衝撃が伝わっていった部分は、全くの別物…。
巨体は数メートル後方へと叩き飛ばされるも、身体に汚れを付けず、膝を付く事もなく、ザザザ…と地面を削るだけで終わった。
左手に残る殴った事による余韻から、かなり良いモノが入ったつもりだったけど、それでもまだ足りないのかもしれない。
短剣にわずかに付着した血…、断つ事は出来なかったけど、その薄皮を斬る事はできたようだ。
---[05]---
もともと斬る事に向いていない剣だから、予想の範囲内ではあるけど、殴った結果も踏まえると、その事実はかなりキツいものがある。
探検の手に馴染む感じを確かめるように、左手…右手…と何度か持ち替えながら、より手に馴染ませていく。
襲われた時、俺がいた所に立った砂ぼこり…、そこの地面は硬い物で叩かれたようにひび割れて、私が叩きつけられた地面も、同じようにひび割れていた。
相手の方に視線を戻せば、その右手には巨大な斧が1つ…。
明らかにこちらへ殺意を持っている事…、それは確定なようだ。
「こんなのばかりね、私達」
ゲームやアニメなら、敵が現れるのは予定調和だ。
それらを基盤に置いた夢であるなら、そういう敵が突如として現れても、何の不思議もないだろう。
---[06]---
でも、ここが夢ではなく現実で、私や俺…、ここにいる人間全てが、現実に…ここに生きているというのなら、この目の前の奴はなんなんだ?
話を盛り上げるための捨て駒で無いのなら、何のために存在する…、何のために私達を狙う?
答えは無い。
あるのは、もはやお馴染みとさえ思える…命のやり取りだけ…。
アニメなり、ゲームなり、そいつらの方がよっぽどキャラに優しいぞ。
訳の分からない暴力ばかりが襲ってくる理不尽さ…。
「現実は残酷だ…とか、そんな事を言いたいの?」
こんな事なら、完全装備で来るんだった。
武器は短剣1本、防具は元々少ないけど、そんな中で、今付けてるモノといえば足回りの装備ぐらい…、いやまぁ、それも靴代わりとかそんな意味もあったし、付けて来てるのも偶然なんだけど…。
---[07]---
とにかく、どの装備もまともな状態じゃないって事だ。
とんだ縛りプレイだよ。
装備面でいつもの全力とは程遠い…、ココが現実だというのなら、戦いによる周辺への被害とかも考えなきゃいけない…。
あと正体云々、化け物云々…、考えなきゃいけない事は盛りだくさんだ。
考えれば考えるだけ、頭の中には無理の2文字がジェットコースターを走らせる。
何を待っているのか、相手はこちらを見ながら動かず、この瞬間だけは救いと言えるけど…、その行き着く先が変わらなければ意味が無い。
私はポケットから携帯を取り出して、後ろで尻餅をついたままの俺へと投げ渡す。
「電話…掛けるとこはわかってるわよね?」
「・・・この電話、俺の番号以外1つしか入ってないだろ…」
分かってるならいい。
私は、相手の方へ向き直る。
---[08]---
「…お願いした訳じゃないけど、待たせて悪いわね」
相手は敵、こちらの準備が整うまで手を出さない…なんて、変身系ヒーローの敵じゃあるまいし、何か理由があるのか…、その辺の礼を重んじるのか…。
相手は、私の言葉を鼻で笑って見せ、得物を構えた。
攻めてこないし、まさか…なんて淡い期待を抱いてみたりしたけど、それははかなく消えていく。
「・・・」
幾ばくかの時間…静寂が辺りを埋める…。
お互いの息遣いが聞こえてくるかの如く、相手に集中し、その瞬間を待った。
戦いは、何の合図も無く、その火蓋が切って落とされる。
誰よりも早く…、誰よりも先に、私は動いた。
チキンレースをするつもりはない。
---[09]---
守りに徹した瞬間…、守る行動を取った瞬間…、後手に回った瞬間…、私に勝ち目は無くなると思った。
そんなモノ、元から無いのかもしれないけど、その行動が愚策だったとしても、悪手だったとしても、動かなければならない。
私が動かなければ何が起こるのか…、それは想像に難くない事だから。
私が俺を…、俺が俺を守る。
多少の怪我は覚悟の上だ…。
さっきまで、さんざん冷たいと思っていた冷え切った空気を、今は全く感じない、それを冷たいと思っている暇がない。
エルン達との会話で、私と俺、生死の事…その可能性はわかってる。
ここが現実だというのなら、いや、そこが現実とか夢とか、そんな事は関係なく、俺自身をやらせる訳にはいかない。
---[10]---
相手の、振り下ろされる斧は、楽々と地面を砕き、砂ぼこりを舞い上げた。
避けてもなお、その振り下ろされた風圧が、その危険性を脳裏にチラつかせてくる。
恐怖は胸にしまい込み、攻撃の合間、その攻撃の隙を狙って攻めようとしたが、地面を砕いた斧は、既にこちらに向かって獲物を薙ぎ払わんとしていた。
速い。
相手を斬ってやろうと、振るう所まで来ていた短剣を、咄嗟に防御へと回す。
ガンッ!と手に襲い掛かる衝撃は、その巨体が繰り出すのにふさわしい一撃、受け止め切る事は出来ない…、瞬間的に察知した私は、足を地面から離した。
その先は、衝撃を防ぎきるための留め具を失った体が、バットで叩き飛ばされるボールのように、宙を飛ぶ。
相手の攻撃力は見た目相応ながら、その動き…速さに至っては、似つかわしくない俊敏性を持つ。
---[11]---
その明らかにミスマッチな組み合わせが、私へと迫り…焦らせた。
容赦なく振るわれる斧、それを短剣で防ぐというよりも、叩いて軌道を逸らすのが精一杯。
軌道を逸らすと言っても、振るわれる攻撃の衝撃はしっかりと、短剣を握る手に伝わるし、それだけで手が痛いのなんの…。
相手の攻撃の合間の隙…、それを狙うつもりだったのに、むしろそれを実行される側は私自身。
「…ッ!?」
その一瞬、相手の攻撃が止んだような錯覚すら覚えたが、事実は別で、相手の斧を持っていない方の巨椀が、私の横腹へめり込んだ。
「ガ…ッ!」
その攻撃も、斧に負けず劣らずな威力、痛いとかなんとか、そんな普通の感覚なんて全て超越して、ただただ気持ち悪い。
---[12]---
地面を転がり、ブランコの進入禁止の柵をへし折り、2度3度と、余計なダメージを負う。
防御が一番の取り柄な自分でも、こんなのを何度も喰らってたら、命がいくつあっても足りる訳が無い。
まったく…。
フェリスでいる間は、なんでもかんでも命懸けだな。
こちらの気持ちなど一切介さずに、容赦なく迫る相手、その攻撃をさっきよりも強く叩き、逸らすよりも叩き返す。
それでも隙と呼ぶには心もとなさ過ぎる相手の揺らぎに、不安を感じても、私は一歩前へ出る。
その首へ目掛けて振るう短剣。
---[13]---
届けば攻撃面で心もとない状態だとしても、それなりのダメージになる…のだが…、相手は避けるでもなく、武器で防ぐでもなく、短剣に頭突きでもするかのように、勢いよくその額を振り下ろした。
「…おいおい…」
使えるモノは使う精神かなんかか?
相手はその額に生えた角を短剣に叩きつけた。
防ぐだけじゃない、その行動1つが、ちゃんと攻撃として機能している…、手に伝わった衝撃が、その強さを実感している。
その角でこちらの攻撃を防いだ事で、腕周りに発生した相手の余裕、こちらが何かをする暇を与えず、間髪入れずに斧が襲い掛かった。
選択肢なんて無い。
短剣を前へ、その攻撃を防ぐ。
---[14]---
全身に悲鳴を上げさせる、衝撃が襲い来る。
「ぐッ…」
向こうの世界と違って、こちらの世界は魔力を考えて使わなきゃいけない…、そんな余裕すら、全力で消し飛びそうな…、そんな衝撃。
根本的な筋力も、見た目相応でこちらが負けだ。
鍔迫り合いなんてした所で、勝ち目なんてあるはずもない。
力を加えられている方向に合わせて、身体を横へとずらす。
大岩でも乗せられてるんじゃないかとすら思えた体を重みが消えて、私は相手と距離を取ろうとするが、次の行動に移るのは相手も同じだ。
逃がすまいとさらに詰めてくる相手へ、横にあったブランコをぶつけてやる。
ズルくて汚い、悪い言い方をするなら生き恥曝しな行動だけど、背に腹は代えられない。
---[15]---
一瞬でも相手の動きはそれで止まるのなら、それでいいんだ。
距離を取る。
近づかなきゃいけない武器しか持ち合わせていないけど、考えなしに近づけば、容赦なくこちらの魂はひき肉と化すだろう。
ブランコは無慈悲にも真っ二つに…、それが私にあったかもしれない可能性の姿だ。
でも、その犠牲のおかげで、距離を取れる…、余裕を持つ事ができ…。
ジャランッ!
右手に痛みを伴って、縛り上げられるような感触が伝わる。
腕に巻き付いた鎖…、ブランコをもじ通りぶらんぶらんとぶら下がらせるための鎖…。
大して長くもないはずのその鎖が、私の腕を絡め捕り、こちらの自由を奪う…、もちろん、その鎖はあの相手の総意で動くモノ、まさに束縛の鎖だ。
---[16]---
それだけ相手と距離を離せなかった事も嫌気を指す所だが、上手くいかない戦いに悔しささえ溢れ出る。
踏ん張ったが、軽々と私の体は宙を舞い、大きく振り回されるように体が宙を泳ぐと、ダンッダンッと、何度も地面に叩きつけられた。
魔力による肉体の強化が浅いせいか、攻撃の1つ1つが徐々にそのダメージを、私にしっかりと教えてくる。
痛みが襲う。
体の動きが段々と鈍くなっていくような、そんな感じさえ受ける。
短剣で鎖を切れば、勢いを付ける所だったからか、身体が高く上がって、公園内ではなくその外の道路へと落ちた。
俺との距離も離れて、私は助けに入れない…、俺を仕留めるには絶好のチャンス…のはずだが、相手の視線は俺ではなく、私に向いている。
---[17]---
「はぁ…はぁ…」
私か…?
俺を殺す事が目的ではなく、今は私にその意思を向けている…。
私でも俺でも、仕留められればいいのか…、それともまさに自然災害と同じで、決まった対象を狩るんじゃなく無差別な攻撃か?
時間稼ぎのためにって、少しでも長く戦えるように魔力の温存とかをしたかった訳だけど、狙いが私にシフトチェンジしてるのなら、都合がイイと同時にマズい…、いやマズい方に問題の一点張りだ。
魔力の温存なんぞ考えてられない。
それに、こんな閑静な住宅街のど真ん中で、ガンガンッと金属をぶつけ合わせてたら、問題なんてレベルじゃねぇよ。
全国ネットで放送だってされちまう。
---[18]---
気を配る所が多すぎて混乱する…。
「…クソ…」
周りを気にするという点においては、気のせいか…、ここに来た時より家々の明かりの数が増えている気がしてならない。
「・・・来い」
ポジティブに思考しろ…。
相手が私を狙うっていうのなら、誘い出すチャンスだ。
こんな所でガンガンッとやるより、河川敷の方まで行ってやり合った方が、気を使う事が少なくていい。
迫る敵の勢いに、周りの事を気にする必要の無さも感じるし、まさに…敵にはこちらの都合は関係ない…て所かな。
「・・・」
---[19]---
全身に力を入れる。
体は軽く、力は強く…、何割増しに沸き上がる自信…。
どれが欠けてもダメだ。
どれも等しく必要な私の力。
振り下ろされる斧を叩く…。
その感触も、手に伝わる衝撃も、体の許容レベルが上がったからこそ、全体的に軽く感じる。
全部をやろうとせず、相手を河川敷まで誘い込む事だけを考えれば、戦えないレベルではなくなった。
相手の攻撃をいなし、その度に河川敷へと近づく。
家々は仕方ないとして、時間帯的に車の往来が少ない事…、普段気にも止めないその程度の事が、ありがたく感じる日が来ようとは、夢だけに夢にも思わなかった。
一合…また一合…、敵の攻撃を防ぐ度に、戦いに熱気が籠っていく。
---[20]---
その戦いを支配するお互いの闘気が熱せられるのもある…、でも、文字通り戦う度に…武器同士がぶつかり合う度に、それらが熱を帯びていくのだ。
私はそれに気づいた。
河川敷にまで、やっとの思いでたどり着いた時には、それは目に見えてわかる様になっている。
相手の斧を振るう手は、その溶けた鉄のように発光し、その赤い肌も相まって、灼熱を帯びているかの如く…。
その斧は炎を帯び、振るわれる度に火花を散らす。
こっちが必死になって、ちょっと戦えるようになったからって、やる気をあげられても困るんだけど…。
巨大モンスターから始まって、悪魔…、今度は何だ?
どデカいまさかり片手に戦う…赤肌の角の生えた巨漢…、その強さも含めて、その存在はまさに、「鬼」以外のなにものでもない…か…。
フェリスはそういった人ならざるモノに好かれる体質かなんかか?
「勘弁してほしい…わね」
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