第十四章…「その私という正体は。」
あの運命の時が訪れる瞬間まで、死というモノには人並みの関心しかなかった。
命あるモノを意味もなく殺してはならない。
人を殺してはならない。
でも衝動的に、自分の血を吸う蚊を叩いたり、飛び回っているハエが止まった所を叩いたり…、黒光りするアイツに対して、容赦なく殺虫剤や新聞紙を叩きつけたり…、人並みの感覚しか持ち合わせていなかった。
赤の他人なら、別に気にする事は無い。
夏場には蚊取り線香を焚く事だってあった。
あくまで俺基準の人並み…だが。
そんな俺の感覚を、あの事故は変えた。
食事で普通に肉類の料理だって食べる…、でも、自分や知り合いに、その気配が匂うと、どうも緊張が俺の体に走る。
---[01]---
事故前だったら気にしない事にさえ、いつも以上に気に掛けるようになった。
こんな体になったから…と言える事もあるけど、それでも過敏になっているとは思う。
それは、俺だけにとどまらず、フェリスの方にも、伝染していたはずだ。
それがフェリス個人の感覚なのかどうなのかは判断できないし、俺と私で区別も出来ない、でも俺は、あの絶対に死なせたくないと感じる思いは、俺自身のモノだと思ってる。
だから、エルンの自分達が死ぬとどうなるのか…、その死という単語に、鳥肌が立ったし、息も荒く、鼓動も早くなったような気がした。
俺は、自然と手が服の胸元を掴んだ。
「大丈夫かい、夏喜君?」
「あ…ああ」
---[02]---
「・・・気分が優れないなら、この話はまた今度でもイイ。君として聞くのが辛いなら、フェリ君でいる時に、改めて話をする事も出来る」
「いや、俺は大丈夫だ。続けて」
俺と私で、芯にある部分は同じでも、感覚的に違いが出てきているのは理解している。
私でいる時は普通に聞けるかもしれない。
それが可能なら、そうするべきだと思うけど、先延ばしにする気にはなれなかった。
「そうか。じゃあ話そう」
エルンは水を飲み、一度気分を落ち着かせるように深呼吸を挟む。
「単刀直入に言えば、夢を見る状態を維持した状態で死んだ場合でも、完全に死ぬ訳じゃない。意識を失う事で夢を見る状態で死を迎える時、夢の世界へと意識は行き、現実での体は死ぬ。そして夢の中で何度眠りにつこうが…意識を失おうが、現実で目を覚ます事はもうない」
---[03]---
「・・・それは、ラクーゼさんの旦那さんの例では…という事ですか?」
僅かな間を置いて利永が口を開き、それを聞いたエルンは頷く。
「そうだ。参考にできるモノが1つしかない以上、絶対ではないはずだが、やっている事は肉体の切り替わりだけで、そこまで複雑じゃないから、著しくその例から外れなければ、そうなる可能性は高いと思うよ」
「夢を見れる状態、夢から目を覚ます状態、それが可能な状態で命を落とせば、眠りについた側の僕は死ぬけど、目を覚ます事は出来て、もしそうなったら…、もう夢は見れないし、目を覚ます事も出来ない…と」
「ああ。そうなるねぇ」
エルンの目は真剣そのものだ。
そして、彼女を信用しているからこそ、それが嘘ではないとわかる。
---[04]---
「旦那のゼフトとは、私は50年前に出会ったわけだが、トフラさんはそれよりもっと前で、・・・何年前でしたっけ?」
「私の軍への入隊時に知り合ったので、90年前ですね」
天人界基準であるからか、なかなかに年数で表すには大きくなり過ぎて、俺としてはその年数での実感が沸きづらいな。
まぁその点に関しては、私であっても変わらないだろうけど。
90年前って…、その旦那、こっちではいつの時代の人間だ?
2つぐらいは年代を遡るんだが…。
「セフトさんは、トフラさんと出会う少し前から夢を見るようになったらしい。そして彼のゼフトとして生きた時間は53年間分だ」
長い事夢を見ていたみたいだな。
むしろそれだけの期間、夢を見続ける事ができるのか…。
---[05]---
「・・・でも、僕はまだたかだか数年で殺されそうになりましたよ?」
確かにそうだ。
悪魔側にも事情…と呼べるモノがあるのかもしれないが、だいぶ大きな時間の差がある。
「詳しい事はわからないけどねぇ。悪魔にとっての作物としての完成に、そもそも個人差がある可能性もあるし、そもそも時間経過で決まるとも限らない。何かのきっかけが必要な可能性もある」
食べる部位の食べごろでもあるのか?
そもそも、利永の場合、悪魔からしてみても、失敗を匂わせる事を言っていたし、そのゼフトの記録と当てはめにくい部分があるんだろうな。
「悪魔にとって、君達の命を奪う時がいつなのかは、考えていても答えは出ないだろうし、考えても仕方がない。わかっている事から話していこう。ゼフトさんが夢を見続けた53年間だが、その間、こちらの…現実世界での生活は、10年も持たずに終わっている」
---[06]---
「・・・終わっている…というのは、つまり…」
大事な事だからか、自然と確認を取るためにと聞き返してしまったが、その終わるという言葉の意味が何を指しているのかは、考えるまでもなく想像がつく。
「君達で言う所の、現実での死…かな」
やっぱりそうなる…のか。
40年以上夢の世界で生き続けた…となると、現実で死んだ時、夢を見始める事ができれば、それだけの期間生き続けられる可能性があるとも言えるが、それが良い事なのと言われれば、良い事だ…と断言できない自分がいる。
いや、そりゃあそうだろ…、死んでるんだから。
もう1つの世界で生きているから…て言われたって、その死を無かった事になんてできない。
---[07]---
「あの頃は、トフラさんの魔力見の力も、今ほど正確なモノを見る事は出来なかったけど、それでもゼフトさんの魔力の変化…差異を見分けるだけの力はあった。現実で死んだ後の彼は、常にゼフトとして生きていたと、わかっている」
「2人は、そのゼフトさんから、この世界の住人である事は聞いていたんですか?」
「ああ、聞いたよ…といっても、聞いたのは最後も最後…だったけどねぇ~」
「私は、彼が何かを隠している事はわかっていましたが、聞く事はしません。彼自身、その事でだいぶ悩んでいたようですが…、聞く事ができませんでした」
「トフラさんが彼の何か…、この夢という存在に気付いていたのは、今はいい。ただでさえ思い出すのが辛い話をしているんだから。・・・彼の口からこの世界との繋がりを聞いたのは、問題の悪魔を倒した後だ」
「倒した後…て事は、悪魔は倒せたんですよね? ・・・」
俺はチラリと横に座る利永に視線を向ける。
彼はこちらの視線に気づき、気にしないでくれと話を続けるよう促した。
---[08]---
「・・・栄作さんの…その、奥さんのように消えてしまった訳じゃない…て事ですか?」
「そうだ。そこも君達にとって大事な事なんだけどねぇ~、栄作君の奥さん…フラウさんのあの消えてしまう現象には、ちゃんと理由がある。それはゼフトさんが悪魔を倒した後も消える事と無かった事にもつながる訳だけど、それは、あの世界の…「天人界の住人」かどうかに依存している…と、私は考えている」
「天人界の住人…?」
「フェリ君やヴァージット君、ゼフトさんは、3人とも天人界の住人だ。そして、フラウさんは天人界の住人ではなかった…という事だ」
住人じゃ…ない?
彼女と話をした…、悪魔に操られ、変になる所も見たけど、それ以外で言えば、私と彼女に何かあの世界の住人としての差があるようには思えなかったけど…、彼女のどこが…。
---[09]---
「大事な事だったから、色々と調べたんだけどね。君達も含めて、島の人間はちゃんとフラウという存在を認識し、どういう人間か理解しているんだけど、どうにも噛み合わない部分があるのさ」
「噛み合わないとは?」
「あの国は、出生から魔力機関の成熟年齢、なんの職に就いたかまで、一応その人の年表のようなモノを国民一人一人記録しているんだけど、どうにもフラウという個人の記録は不自然なものでねぇ。記録自体は他の人たちと変わりないんだけど、その記録自体はごく最近作られた形跡がある」
「最近作られた? 偽装って事?」
「いや、偽装とはちょっと違うかな。ある時期に、新しく記録を作られたんだよ。その時期というのが数年前…確か2年前で、島の人らと接点を持つようになったのもそのぐらいだ。知っているはずなのに、皆、彼女と関わった記憶はあやふやで、思い出せないらしい。恐らくだが、その接点を持ち始めた時期が、彼女が悪魔に作られた時期なんだろう」
---[10]---
「・・・2年…前…ですか」
利永は俯き気味に真剣な眼で考えを巡らせる。
「…僕が夢を見るようになったのは、一年と少し前…ぐらいで、2年前ではない…ですが…その、今から2年前となると、多分妻が亡くなった時期と被る…と思います」
「辛い事を思い出させてすまない」
「いえ、ぼ…僕としても、この状況はどうにかしないと…と思っているので、その辺の事…に、ちゃんと向き合わないと…」
「…そうか…。ならもう少し、話に付き合ってほしい」
「はい…」
体調が優れないような顔をしているのは変わらないし、ちょっと猫背気味で、俯き気味で頼りなさを感じずにはいられないけど、それでも、その利永の返事には、どこか覇気というか…力を感じた。
---[11]---
「君の妻に対しての、周りの印象は今話した通りだけど、逆に君…ヴァージット君は、全く逆の事を皆は口にしていてねぇ~。ヴァージット君を知る人たちは、皆んな口を揃えて雰囲気が変わったなと言うんだ。夏喜君、どう思う?」
どう思う…と、それを俺に聞くのか。
どう思うも何も、その状況、ヴァージットの立場になって周りの人間に同じ事を言われたりしたら、まさにフェリスである私と同じ体験をしているな…と、ただただ思う。
「わた・・・フェリスと同じだな」
「そう…、フェリ君と一緒だ。その以前を知っている人からすれば、明らかに違いを感じるし、別人と感じる人もいるだろう。それが君達2人の共通点の1つで、ヴァージット君とフラウ君、その2人にあるもう1つの違いが、さらに君達の共通点になる」
---[12]---
何とも頭が痛くなりそうな言い方だ。
「つまり…なんだ? ・・・ヴァージットとフラウさんの違いが、そのまま俺にも当てはまるって事か?」
「そういう事」
ならそう言ってくれ。
「夏喜君、ただ聞き続けるだけじゃなく、適度に考える事でより理解度が上がるんだよ~」
「…そうかい」
息抜きなのか何なのか、思考を読まれ、どこか遊ばれたような雰囲気を匂わされているのは面白くないな。
「フラウ君の方は、ボンッて人1人分の記録が新しく作られた感じだけど、ヴァージット君の方は新しく作られたんじゃなく、所々修正が入ったって形なんだよねぇ~。フラウ君との婚姻関係とか」
---[13]---
「修正…か。その言い方だと、元からヴァージットの記録はあった…みたいな言い方だけど、そういう事なのか?」
「そう。ヴァージット君は元から存在していて、フラウ君は、ある時期に突如として生まれ落ちた感じ。それで…だ。ゼフトさんの例はどうかと言えば、ヴァージット君とフェリ君、2人の流れと一緒だ。ゼフトさんから聞いた夢を見始めた時期も、彼の記録に修正が入っている事を確認している。さすがに、周りの人間からの印象までは、昔の事だったから確認できなかったけどねぇ。周辺の人間からの印象の違いが、フェリ君とヴァージット君の2人が共通している部分で、個々の記録の修正が確認されているのが、ゼフトさんを含めた3人の共通点だ」
夢を見る人の共通点に…、その身の回りの共通点も一緒…か…。
ここまで一緒と言われ、ヴァージットとフラウの関係に、私が共通している事、今の話から言って、家族…、夢の世界での繋がりではなく、現実世界での繋がりの相手は…。
---[14]---
「家族は…、俺の…私の家族は、修正された側じゃなく、新しく作られた側…て事でいいのか?」
「・・・ああ」
俺の質問に、少しの間を開けてエルンは頷いた。
同じ…、フラウと同じ…。
それは、作られた事を意味するモノだ。
修正された側…、新しく作られた側…。
その違いが意味するモノは…。
エルン達の夢と現実の話…、どちらも現実だという話…。
「・・・」
胸が苦しい。
まだ断定した話じゃない…、確定した話じゃない…、俺はまだ結論を出していない…。
---[15]---
頭をチラつくモノを俺は否定しようとする。
どんな存在であれ、現実じゃなく夢で…偽りの皆であっても受け入れたというのに…。
「ヴァージット君の件もあって、フェリ君のご家族の記録も確認済みだ。まず間違いなく、ご両親も弟妹君達も、フラウさんと同じ作られた側の存在で間違いない」
「・・・そうか」
夢であっても、偽物であっても、家族を…皆を受け入れられた。
でもエルンにそう断言されて、私は、皆に今まで通りの顔を見せる事ができるだろうか…。
「作られた側の存在は夢も現実も、どちらも同じ姿だろ? 夏喜君の部屋で見た写真、そこでご両親達の姿が夢の方と同じ事は確認済みだ。栄作君も、それで間違いないかい?」
「…はい」
---[16]---
「そうか。じゃあ次は、修正された側…君達の方だが…、もう何となく察しは付いているんじゃないか?」
察しか…。
父さんや母さん、秋辰や雪奈が、種族は違っても、現実の姿のまま夢の世界に存在するのに対して、俺は…私は、夏喜としての姿を取っていない。
作られた側が現実と同じ姿で、修正された側は違う容姿…。
修正された…一体何を修正されたっていうんだ?
それは見た目じゃない…、見た目なら、私は俺の姿で、あの夢を見ているはずだから。
確認されている修正は、フェリスの過去の記録…、フェリスという女性の生きてきた証、その記録。
考えれば考えるだけ、聞いてきた話を整理すればするだけ、その察した…察していた箇所が鮮明に…はっきりと…コレだ…と形を成していく。
---[17]---
俺は、修正された存在…フェリスという1人の人間の人生を…、彼女の歩くはずだった未来を歩いている…。
そして、それが夢というだけで…夢という存在として完結するモノだったなら、別に気にするまでもない事だと思うけど…、既に手元にある情報…アレが夢では無く現実であるという情報が…俺の胸を強く締め付けた。
夢だ…と、現実ではなく夢なんだ…と、その言葉を受け入れず突っぱねれば、この罪悪感は…消えるだろうか。
いや…、無理だ。
あそこが夢だって言っても、現実のソレと同じ感覚で過ごしてきた。
現実と思えるからこそ、現実として受け入れてきた部分がある、思い込もうとしていた部分がある。
今更、夢だから…て、自分に言い聞かせた所で、この気持ちを静められる気がしない。
---[18]---
俺は、夢での感覚を現実として…、現実に持ち込んでしまっているのだから。
口の中がカラッカラに乾き切った。
胸の苦しみは吐き気すら伴って俺を襲い、息苦しさは過呼吸を思わせる程に苦しかった。
『天人様』
なんとか自身の心を…感情を落ち着かせようとしていた時、待機していた夜人の人たちがこの輪に入ってくる。
その中の1人がエルンに耳打ちをして、彼女は一瞬だけ驚いた表情を見せた後、動揺こそ消え切らないまでも、落ち着きを取り戻し、一拍置いてから口を開いた。
「問題が起きた。今日は、この辺で終わりだ」
---[19]---
「…何か、ありましたか?」
エルンの言葉に、利永が俺の方を一瞥して問いかける。
俺の状態が良くないと感じてくれたのか…、それは嬉しく思うが、利永に気を使わせた事に、俺自身は自分が情けなく感じて仕方ない。
「ああ。今回は色々な話をしたからねぇ。お互い、話を整理する時間が必要だし、丁度いいだろう。何があったのかは、落ち着いた時に話すよ。夏喜君は、フェリ君として知る事になると思うけど、とにかく今は落ち着くための時間が必要だ」
エルンは、俺の方を見て優しく微笑んだ…ように見える。
普段のいたずらをする子供のような表情とは打って変わって、その表情に、若干だが気持ちが落ち着いたような…そんな気がした。
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