第十一章…「その胸の内に渦巻くモノは。」


 鳴り響く目覚ましを止めてから、何分経っても、俺は自室の天井を見続けながら、ベッドの中から出ずにいた。

 そもそも真冬のこの時期、朝の部屋が寒いのは当然として、今の俺はそれが理由で起きない訳じゃない。

 随分と久しぶりに感じる自室、フェリスとは違う…自分…俺としての体の怠さが、妙に懐かしく感じた。

 一昨日、フェリスが人間界入りして…、意識が俺に戻る事無く、昨日もフェリスとして行動してからの今日…、別に連続してフェリスとして行動する事自体、初めての事じゃないし、逆にフェリスになる事なく俺としての生活が連続する事だってあった。


---[01]---


 むしろそれが当たり前、でもいつもと変わらない生活をする俺と、身の回りの変化が目まぐるしいフェリス…、それに加えて彼女でいる事が多いとくれば、ここで…自室で目を覚ます事に懐かしさを感じる事だって、おかしい事でもないだろう。

 あくまで夢である…という認識を変えていない俺としては、ソレは問題として考えるべき事なんだろうが…、そんな事あり得ないだろう…という考えは一向に消える事はない。

 ここでの目覚めを懐かしみ、これまでの…俺としての…フェリスとして夢で生活していた間の俺自身の記憶を思い出す。

 それこそ、俺が未だベッドから出ない理由だ。

 断じて、外が寒いから…この温もりから出たくない…なんて、そんな子供の言い訳じみた理由ではない。


---[02]---


 俺として起きた時の習慣…日常と言っていい事で、それはフェリスとして目覚めた時も変わらずやる事だ。

 とにかく、俺は今まさにその頭の中に記憶として保存されているソレに、ただ驚いている…、いや、自分の考えを否定されて、どうしていいかわからない状態になっている…。

「俺が俺でいるのも…夢か何かか…?」

 そこには、どう言い表せばいいのかわからない感情があった。

 フェリス…、灰色の長い髪、それをポニーテールでひとまとめにし、輪っかを作る様にポニーテールの付け根と先をくっつけた…あの子にお揃いにしようと言われてやった独特な髪型…、白の甲殻と鱗に覆われた指と尻尾…、俺とほとんど変わらない身長に、もはや見慣れたと言っていい体のライン…、見慣れないけど見た事のあるスーツ姿。


---[03]---


 そんな彼女と共にいるエルン…、青みがかった黒髪のポニーテールに大きな胸、どこか気だるさを感じさせる表情、普段はだらしない格好をしてるのに、この時は当たり障りのないカジュアルな格好をした彼女…。

 フェリスもエルンも、俺がフェリスとして、私として昨日見た姿だ。

 そんな二人が、俺の…俺の記憶の中に存在している。

 リビングで談笑し、ゲームをし、無茶をするなと俺を叱り、一緒に豚の生姜焼きを食った。

 視点は違えども、同じ記憶が、俺としての視点で保存されている。

「・・・」

 戸惑い…困惑…混乱…、今、俺を襲っているこの感情は、一体どんな単語で説明すればいいのだろうか…。


---[04]---


 ここは夢なのか…現実なのか…。

「あああーーー…」

 答えの出ない疑問が、頭の中を這いずり回る。

 ズルズルと、考えないようにする俺の頭の中に、その事実を刻みつけていく…。

 自分の顔面に枕を押し付け、もはや唸る様に叫び声を上げる。

 今の俺にとっては悲痛な叫びだ。

 どうすればいいんだか…。

『夏喜、大丈夫?』

 ひとしきり声を上げ終えた時、部屋のドアが開かれ、その隙間から文音が顔を覗かせる。

「ん~…? 何がぁ~?」

「いやだって…時間になってもなかなか起きてこないし…、部屋まで来たら来たで変な声聞こえるし…、何かあったの?」


---[05]---


「なにも…ない…」

「え~…、そんな絞り出すように言われても、逆に心配になるんだけど…」

「・・・」

 顔を埋め込んでいた枕を退かし、俺は身体を起こす。

「大丈夫…起きるよ…」

 言った通り、体調という意味では、何の問題もない、体に残るのは寝起き独特の怠さだけだ。

 しかし、自分が普通とは違う…ちょっとズレているような行動をしていたのも事実。

 結果、文音を心配させてしまったのなら、まず俺がやるべき事は、彼女を安心させる事だろう。

 足をベッドの外へと出し、寝癖の付いた髪を手櫛で整える。


---[06]---


 俺が起きる意思を見せてもなお、こちらを心配そうな表情で見ている文音を見てみると、自分の頬に熱を帯びるのを感じた。

 彼女の顔を見続ける事ができなくて、自然と視線を外す。

「なんで目を逸らすのさ?」

「・・・いや、特に意味は…ない」

 という訳でもない。

 頭の中を、新たに過るモノは、昨日…フェリスの時にエルンに言われた言葉だ。

…じゃあ2人はつがいな関係だったりする?…

 つがいってなんだよ…全く…。

 いや…、彼氏彼女…恋人関係を意識してこなかったと言えば嘘になるが…、俺が俺でない時に文音がここで住むようになって、なぁなぁのまま今に至る中、意識した事があったにしろ気にする事なく生活ができていた。


---[07]---


 周りがこの関係に何か言ってくる事もなかったし、改めで意識する機会が無かったのも、今俺の頭の中を巡る感情の原因になっているのだろう。

 男女の付き合い…、そんな単語が、俺の頭の中を支配せんと主張を強めていた。

 ただでさえ感情を消化しきれずに混乱気味だったのに、話がガラッと変わって別方向からの不意打ちストレート、俺の混乱に拍車をかける。

「夏喜…、大丈夫? なんか顔赤いよ?」

「だ、大丈夫大丈夫。文音は下に戻ってろって。俺も着替えたらすぐ行くから」

「ん~…そう? 無理しちゃダメだかんね?」

「ああ、大丈夫」

 文音が俺の部屋を後にする。

 扉が閉まり、その足音が離れていくのを、耳に神経を集中させて確認し、十分離れたと確信した所で、俺は大きなため息をついた。


---[08]---


 まだ朝だというのに、もう1日中動き回ったかのような疲労感に襲われている…そんな感じだ。

「あ~~~…」

 昨日はエルンにそんな話をされても、困るんだよ…程度に済ませられたのに、今の俺の感情は大いに揺れ動かされている。

 それはフェリスではなく、俺が俺である所が大きいのかもしれない。

 俺はそうでなくても、フェリスの時は違う…と、感じ方に差があるように感じた事は過去にもあった。

 これはそれと同じ…同種。

 文音の顔をまともに見れなくなるとか…、どんな小心者…いや初心なんだって話だ。

 エルンの奴、面倒な爆弾を投下していってくれたもんだな…、もしかしてこうなる事を想定でもしてたのか?


---[09]---


 いやいやいやいや…、さすがのエルンもそんな事は…。

「否定できねぇ…」

 人を疑うのは良くないが…、エルンへの擁護もできない…。

 今が夢か現実か…その悩みの種が見えなくなるほどの衝撃だ。

 気づけば脈も早まり、バクバクと胸の脈打つ音も大きく聞こえる始末、この歳にもなって色恋にここまで翻弄さるとは…。

 夢か現実かは記憶の中だけで、頭の中に確かに問題としてありはするけど、あくまで記憶だけが残ってる状態だから、昨日の事が事実であっても、おぼろげで何があったかはっきり覚えていても、録画された映像を見るのとは違って、記憶のそれは解像度の荒い雑な保存のされ方だ。

 だから問題は確かにあって、それはかなり大きいモノで…、自分の今後に関わってくるけど、それが表面に出てきても大きい問題にはなりきらない。


---[10]---


 俺と私、両方で抱えている問題だからこその、影響の分散があるのかも…。

 でなければ…、その問題を差し置いて、体が恋路の問題を優先するはずが…ない…多分。

「もうよくわからん…」

 ちゃんと処理しなければいけない問題達なのに、今この瞬間、それに対して頭を抱えている事が馬鹿馬鹿しいとさえ思え始める。

 俺の頭のキャパシティーは臨界点を突破しそうだ。

 フェリスの方は、なんだかんだエルンとか、話をできる相手がいるからこそ、完璧ではないにしても消化できるけど…、俺の方は…どうすればいい…。

「・・・」

 もういっそ…、記憶にある事を受け止めて、エルンに…フェリスに…会いに行くか?


『夏喜、遅い。ご飯冷めるよ~』


---[11]---


 着替えを済ませ、ダイニングまで来ると、そこのダイニングテーブルに朝食が並べられているのが見える。

 まだどこか上の空な俺に、文音は不服そうな表情を見せた。

 彼女の方を見る事ができないのも、そう感じさせる理由の1つだろう。

 俺自身が感じるものも、彼女自身が抱いている不満も…。

 それもこれも、変に意識をするきっかけを作ったエルンのせいだ。

「夏喜、やっぱ具合悪いんじゃない?」

「だから、大丈夫だって」

 いつも通りの自分の席に腰掛け、問題ないと文音を止める。

「昨日はいつも以上に疲れたから。その余韻が体に残ってるだけだ」

「そう?」

「そうだよ。・・・文音の方は? そっちだって、昨日はいつも以上にテンションが高かったように見えたけど」


---[12]---


「私? ん~…どうかな~」

 食事を始め、箸で食べ物を口まで運んだ後、文音は俺の質問に箸の先を咥えながら、思考を巡らせる。

 普段と違う事をしていない訳じゃないと、俺自身もわかっているが、体に疲労感が残っているのも事実、それだけ俺は昨日の…あの状態が、自分へかなりの負荷を与えていた。

 当事者と部外者、その違いか…。

「・・・」

 食事中まで視線を外し続けるのは、マナー的にも良くないと思い、胸の中で暴れている感情を押さえつけ、話をしている時は文音の方を見ていたが、今度は向こうが視線を反らす。

 その頬を少しだけ赤らめている事に、何となくの察しがつく次第だ。


---[13]---


「テンションはわからないけど、まぁいつもより寝る前とか…疲れはあったかな」

「人が集まり過ぎた気もするからな。変な事…とか、言われなかったか?」

「・・・え、へ…変な事って何?」

「さ~…、そこまで考えて聞いてないから…、返されても困るけど、エルンは相手を弄って困った様子を見たりする…というか…その…」

 フェリスとしての記憶から言って、そこまで文音に絡んでいたようにも見えなかったし、それは俺から見ていてもまた同じ。

「・・・今の質問無し…忘れてくれ」

 つがい問題、その感じ方は人それぞれだ…、今、文音にそれを答えさせたら、盗み聞くみたいで心が痛む。

 あの時、その会話を俺はしていないし聞いていない…、その会話の輪にいたのはフェリスだ。


---[14]---


「今日の夏喜はホントになんか変だね」

「色々と悩むお年頃なのさ」

「そう。・・・そういえば夏喜は今日どうするの?」

「今日?」

 俺と文音、向かい合う様にテーブルに座っているのだが、彼女の横…誰も座っていない椅子には、鞄にコートとマフラーが置かれていた。

 先月、買い物で買った防寒具の2つ、大層お気に入りなのか、使いやすいのか、まぁ時期も関係しているが、毎日のように目に入る気がする。

 そんな2つと鞄が用意されているのだから、文音の方は出かける予定があるようだ。

「俺は…、今日はちょっと出かけようと思ってる…かな」

「珍しい。今日は講義も無いし、あの2人と会う約束もないんじゃないの?」


---[15]---


「珍しいって…。・・・今日はちょっと野暮用があるんだよ」

 つがい問題以外の胸のモヤモヤ、その原因が脳裏をチラつく。

「別に俺にだって個人的な用事で出かける事ぐらいあるんだぞ?」

「うん、だから意外。私がここに住むようになってから、そんな事1回も無かったから」

「…そう言われれば…そうか」

 どうしても…なんて用事がある時以外、外出する事の無かった俺だ。

 思い出せる限りで、気ままで当てのない外出をしたか考えてみるが、この足になってからは全く持ってそんな自由的な行動を取った記憶はない。

 残念だ…、非常に…。

 仕方のない事と切り捨てるのは簡単だが、健康的にもだいぶ問題なのではないか?


---[16]---


「だから最近の夏喜、大きくなってきてると思うもん、横に」

「・・・」

 自身の行動を改める上で、無視して通る事は出来ぬ…かといって考えないようにした事を、その直後に粉砕していくとか…、酷い限りだ。

 この際だから、日ごろの運動不足解消を考えて行かなければなるまい…。

 その第一歩として、今日…俺は行かないといけない場所、探さなきゃいけない場所がある。

「そう…、俺は日ごろの運動不足な自分を憂いでいる。だから今日は出かける」

「立派な心掛けだね」

「文音の方は? 俺と一緒で講義は無かったよな? バイトか?」

「ううん。私の方は学校の「卒業制作展」の準備」


---[17]---


「卒業制作展? なんか係になったのか?」

「なったというか、頼まれたから止む無く…て感じ。売店の手伝いをちょっとだけする事になって…」

「ふ~ん、そうか…」

「でも、夏喜との「約束」を忘れた訳じゃないからねッ!」

「・・・」

 約束?

 パッとその約束とやらを思い出せず、頭が記憶データを検索し始める。

 結果、幾ばくかの沈黙があったが、文音が不審げな表情を見せる前に、必要なソレを俺は探し当てた。

 それは先月、冬休みに入る前、お互いに卒業制作展をしっかり見れていないから、見て回ろうという約束だ。


---[18]---


「…忘れてない。忘れてない」

「ホントに? すっごい怪しい感じだったけど」

「一緒に見て回ろう…てアレだろ? 忘れてねぇよ」

 首の皮一枚…、今の俺は、首の皮一枚でこの状況を繋ぎ止めている。

 もう少し思い出すのが遅れていたら、もしかしたらその首の皮も切れていたかもしれない…と、文音の目が訴えてきた。

「忘れてないならいいけど…。とにかく人手の問題で、ピークのお昼時だけ、バイトとかで接客経験のある私にお声が掛かってね、露店の手伝いをする事になったのさ」

「そんな露店メインのイベントでもないはずだが、人手が足りないのは余程やる人がいなかったんだろうな、そこ」

「ソレもあるし、もう制作展自体も近いから…。もともとできないとは言ってたんだけど、どうしてもって」


---[19]---


「頼まれるのは信頼されてる証だ。最初から最後までじゃないなら、別にいいだろ」

「むぅ~…そうだけどさぁ~」

 文音は、どこか不満げに頬を膨らませる。

「手伝いで一緒に回れなかった分は、別の機会に埋め合わせすればいいだろ」

 不満そうな表情こそ消えないまでも、文音は素直に頭を縦に振る。

 話してばかりになったが、話が軌道に乗ってしまえば、つがいだのなんだのの戸惑いは鳴りを潜めてくれた。

 その事も含め、俺はホッと胸を撫で下ろす。

「絶対だからね?」

「ああ」

「絶対」


---[20]---


「わかってる。そんな念押ししなくていいから。つか…、そんな特別な理由が無きゃ一緒に出掛けられない訳じゃあるまいし、もっと誘ってくれて構わないぞ? まぁ頻度に関しては、足と要相談だから、頭の片隅に置いておいて欲しいが…。」

「・・・うんッ」

 口元に笑みが戻り、いつも通りかわからないまでも、文音に明るさが戻る。


 それからお互いに出かけるまで、混乱だの…戸惑いだの…、面倒な感情が表に出る事は無く、いつも通りに過ごす事ができた。

 それから文音が出かけるのを見送り、俺は家を出た後、近場の公園に腰を落ち着かせ、携帯を取り出す。

 電話帳に載った2つの番号、それへ順番に電話をかけ、今日の予定が確立していくのだった。


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