第17話森の奥

 身支度を済ませて家を出る。ルーカス、アイザック、私、それに犬のヴォルフ。



 ルーカスのリクエスト通り、これから訪れる家族への手土産に作った保存食の瓶。これが結構重かった。これはアイザックが持ってくれることになった。



 まず鴨のリエット。これは鴨の胸肉と豚の脂身の多い箇所で作った。ローリエ、クローブ、ナツメグを入れてスパイスの風味を効かせる。種類の違う肉を一緒に煮て、味に深みを出した。バゲットに塗ると美味しい、肉のペーストだ。



 2品目は牡蠣のオイル煮。


 

 アイザックは、実は牡蠣が好きだ。アイザックの体の回復を助けるため、私は消化の良いスープを色々作ったが、牡蠣のポタージュは特に好んで食べていた。



「牡蠣が好きなんですね」



「生まれ故郷が海の近くだった」



 そんな牡蠣の季節ももう時期終わる。それならばと保存食にして、少しでも長く、と考えオイル煮にすることにした。



 牡蠣を鍋に入れ、ほんの少しだけ塩を加えると、びっくりするほど牡蠣から水が出る。旨みがたっぷり詰まった、滋味溢れる美味しい水だ。この牡蠣の旨みをじっくり身に閉じ込めるように、時間をかけて熱を加えることが大切。



 プリプリしていた牡蠣の身がギュッと締まったあたりが火の止めごろ。あとは熱湯をくぐらせた保存ビンに牡蠣を入れ、上からオリーブオイルを注いで出来上がり。涼しい場所に置けば、1週間は持つだろう。牡蠣の季節の名残に、少しだけシーズンの終わりを引き延ばして、牡蠣を味わうことができる。




 砂肝のコンフィ。私は臓物が苦手だ。唯一食べられるのが「砂肝」で、コリコリとした食感が楽しい。砂肝は下処理が大切で、切り目を入れて塩をしたらタイムと一緒に涼しいところに一晩おく。タイムは庭に生えているので、そこから適当にちぎって使えるのがいい。


 一晩寝かせた砂肝を、ラードでじっくりと煮る。こんがりとふちがきつね色に変わった砂肝は、ラードごと保存瓶に入れる。食べるときはラードごと取り出して、フライパンで温めなおす。


 おかずにもなるし、ワインのつまみにもいいみたいだ。私はお酒は飲まないので、よくわからないが。



 砂肝はルーカスがとても気に入った一品だ。マッシュルームを加えて出したらワインにものすごく合うらしく、嬉しそうに倉庫から赤ワインのボトルを取り出してきて飲んでいた。



 そのときはアイザックも誘われて、二人で夜遅くまでワインを片手に何やら話し込んでいた。



 



 ルーカスの見立てによると、アイザックは驚異的に回復が早いらしい。



 先日襲ってきた、黒づくめの男の顎を、アイザックは一撃で砕いてしまった。しかも素手で。これが思いがけず、アイザックの回復が進んでいることをルーカスに知らせる形になった。






 初夏も終わりに近づいてきた。



 樹の葉の茂り方が密で、森の空気が濃い。草もどんどん背を伸ばしている。空気が緑色に染まっている感じがする。



 ルーカスを先頭に、私、アイザック、ヴォルフと続いた。




 家を出て1時間ほど歩いたあたりでどんどん道が先細りになりはじめた。最後はもう、獣道…というか、かろうじて人が通れるようなところを一列になって歩いた。



 私よりも背の高い、セイタカアワダチソウが道の両側に壁を作り、その合間を縫ってずんずん進むと、急に目の前が明るくなった。



「うわあ」



 思わず私は声に出していった。




 目の前に拓けた平地が広がっていた。そこに美しいピンクやオレンジの花が一斉に開花していた。時々吹く風が花をざわざわと揺らし、目の前の風景は本当に何とも言えず美しかった。




 あまりに綺麗なので見とれてしまい、それが大量のケシの花だと気づくのに、やや時間がかかったくらいだった。




 そうか。これがコウモリの森に隠された、ケシ畑なんだ。




 こんな綺麗な花の実から、鎮痛剤にも、時として麻薬にもなる、あのモルヒネが作られるのか、と思うと感慨深かった。




 久々に綺麗なものをまとめてみた…と感動していたら、その花が、風に揺られてまるで波みたいに揺れる中央に小さな人影が見えた。



 さわさわと花と花が触れて擦れる音をかき分けて、その小さな人影はこちらに近づいてきた。よく見ると、それは女の子のようだった。




 気がつくと、ヴォルフが私の右で綺麗におすわりをしていた。まっすぐに女の子が来る方向を見つめている。遠くから見たら、まるで犬の彫像が置かれているように見えただろう。




 私達がいる小高い丘に向かって女の子は歩いてきた。濃い茶色の綺麗な髪が、洗いざらしのようにまっすぐだった。サラサラと本当に音がしそうだった。目が、まるでダイヤモンドのように光っている。



 綺麗な子だ、私は思った。




 女の子は静かに丘を登ると、私たちの前までやってきた。




「ルーカスさん、お久しぶりです。魔女のお連れの皆さま、ようこそ」




 女の子は言った。少しだけ、声が硬い。




「丁寧な挨拶をありがとう、リィナ。みなさんお揃いかしら?」




 ルーカスは言った。女の子は黙って頷く。




「そう、では急いだ方がいいわね。みんな、いらっしゃい」




 そう言うと、ルーカスは歩き出した。



 リィナを先頭に、私たちはケシの花の波の中をまっすぐに歩き始めた。

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