第16話帰れない

 結論から言うと、私とアイザックを襲ってきた黒ずくめの男は『東の国』からの侵入者だった。



「東の国ではケシの栽培があまりうまくいっていないみたいね。医療用に慎重に利用する、というのが建前だけれど、やはり麻薬として利用したがる人が一定数いるの。残念なことにね」



 東の国、という言葉でアイザックの目つきが鋭くなった。



「昔、お酒を禁止にした国があったわね。知ってる?」



「いいえ」



「お酒を飲むと、見境なく暴力を振るったり、物を壊したりする人がいるわよね。数としてはまあ、少ないけれど。その一部の事象だけを見て、お酒さえなければそういうトラブルもなくなる、と考えた人がいたの。それで法律で、お酒を全面的に禁止した」



「…うまく行ったんですか、それ?」



「ううん。結局人はお酒が好きなのね!質の悪い密造酒が出回って、それで体を壊したり、ひどい時には亡くなる人が出たの。あとは、お酒を売買する闇市場が生まれたわね。結果、裏社会が拡大して、彼らが勢力を持つようになった。


 結局、人は欲には勝てないのよ。欲を制圧すると、絶対どこかでほころびが出て、大きな反動が返ってくるわ。その国は、色々懲りて、最終的に禁酒をやめることになった。



 さて、エマ。この話の教訓はなんだろう?」



いたずらっぽい目でルーカスは私を見た。うふふ、と笑う姿は本当に少女で乙女だ。青髭の魔女ではあるけれど。



「そうですね、あまり厳しすぎる節制は無理があるっていうことかな」



「そういう考え方もあるわね!私はね、この話を聞いた時、人間ってどうしようもないなあ、と思ったんだけど、同時に、かわいいな!とも思ったの。



 ケシみたいな麻薬はもちろんダメだけれどね。



 でもお酒みたいに、ダメだとわかっていてもやめられないとか、飲みすぎるとか、絶対ロクなことにならないって、わかっているのに危険な恋に走るとか、あるじゃない、人間だもの!」



「危険な恋って、ルーカスさん、身に覚えがあるんですか?」



 私が聞くと、ルーカスは声は出さずに「ひ・み・つ」と人差し指を当てながら唇だけを動かした。



「うふふ、人間って可愛らしいわよね。しょうもないところが」



 私とルーカスがそんな話をしている間、アイザックは黙って紅茶を飲んでいた。その足元で犬のヴォルフが寝ている。


 ヴォルフォはアイザックの足にべったり顔を乗せ、そのまま寝息を立てている。あまりに気持ち良さそうに寝ているので、アイザックは足を動かせずにいる。カップが空になっていたので私は新しい紅茶を入れて注いだ。



「すまない」



「いいえ」



 アイザックとの会話はいつも短い。それでも初めの頃と比べるとアイザックは随分、険しい雰囲気が和らいだ。



 以前、ルーカスとアイザックが長い時間、話し込んでいたことがあるが、それ以来、アイザックの態度は少しずつ穏やかになっていた。



 顔をはじめとする全身の擦り傷もかなり薄れた。背中の傷が塞がるのもあともう少しだろう。




 ルーカスはすぐに黒ずくめの男を憲兵に引き渡した。襲撃された翌日には、もう憲兵がコウモリの森までやってきた。仕事早いなあ、そのあたりはさすが王弟なんだな、と感心していたら、



「あら、この森はずーっと憲兵に守られていたわよ?もちろん目立たないように、だけどね」



といってウィンクされた。バチッとまつ毛から音がしそうだった。




 女装の魔女・ルーカスが国王陛下の弟と知って私は…正直なところ、かなり驚いた。同時に、言葉遣いとか、態度とか、どう改めたらいいかわからなかった。



 当時の私の16年ほどの人生の中で、そんな国の頂点に立つ人ような、貴族も何もすっ飛ばして「王族」などとの接触は、当たり前だがまるでなかったからだ。私が今まで会ったことのある偉い人は、せいぜい村長止まりだ。


 そういう意味で、ルーカスはまさに雲の上の人ではないか。




 なので、下手にとりつくろうよりは正直に「国王陛下の弟って、どう接していいかわかりません」と言ったら



「今まで通りでいいのよ。私はこのコウモリの魔女で、あなたはその助手。それは変わらないわ」



と言われた。




 あまり深く考えてもどうしようもないので、私はそれまでと同じようにルーカスと接することにした。



 偉い人への言葉遣いとか、礼儀作法とか、知らないものはどうしようもない。私は割り切ることにした。




「憲兵の監視についてはね、ケシの花を栽培しているんだもの、不審者に入ってこられるのは困るからよ。他にも色々と、勝手に人が出入りできると厄介ごとのタネになるようなこともあるの」



意外だが、そう言う意味ではこの森への出入りは、知らないところで制限されているようだった。



病気や怪我をした動物の治療の依頼とか、街から日用品を運んで運んでくるおじさんは普通にこのコウモリの森までやってきていた。



そんなシステムが知らないところで動いていたのか。




…だったらなんで、私はすんなりこの森の、ルーカスの家までたどり着くことができたんだろう。一応、無害と判断されたのだろうか。その見えない監視の目には。



私は偽名を使っていることについて、改めてどきりとした。いつかこのことが明るみに出た時は、何らかの懲罰を受けるかも。そう思うと暗い気持ちになったが、できるだけ顔に出ないように努めた。



「3日後に、アイザックと一緒にエマを案内したい場所があるの。3人分の持っていける昼食の準備をお願いね。外で食べられるように」



「サンドイッチでいいですか?」



「いいわ。あとお土産を用意したいの。ある家族を訪問するから、そうね、保存食になりそうなものを」



「鴨のリエットはいかがですか?」



「いいわね!この前、バゲットに塗って食べたらとても美味しかった!」



聞けば、3日後に訪問する先の家族は、事情があり、あまり街に出てこない生活をしていると言う。



そのため、食事が単調になりがちで、食卓も寂しいものなのだとか。



いつも通り、中途半端な情報は教えてくれるものの、大事な核心部分、その家族との関係は?と言うあたりは「行けばわかるわ〜」とはぐらかされてしまった。



とにかく、栄養があるものがいいわね、と言うリクエストだったので保存食をいくつか作ることにした。




鴨リエットの他に、牡蠣のオイル煮、砂肝のコンフィも作ることにした。ついでにこのコウモリの森の家で食べる分もまとめて作っておこう。材料をルーカスに注文してもらおう。




私は材料を、ノートの切れ端に走り書きした。



そういえば私はどれだけ、街の市場で買い物をしていないんだろう。



私は市場が好きだ。




屋台に並ぶ、産地ごとに分けられた色々な種類の牡蠣や、白くて弾力のある鱈の半身。



もう夏の初めだ。ファーマーズ・マーケットには、よく太陽を浴びた赤いトマトや、早採れの黒々とした緑のキュウリが並ぶだろう。



小ぶりで酸味が強いトマトは煮込み料理やソースに向いている。ミートソースもいいし、子羊と一緒に煮込んでもいい。



肉屋に吊り下げられた新鮮な肉。皮をむいたそのままのウサギ。長く巻かれたソーセージ、スパイスの効いたチョリソー。



ああ、しばらく出かけていないな。市場に並ぶ食材を直接見て、店のおばちゃんにお勧めを聞いて、ついでに美味しく食べられるレシピも教えてもらったりして。




そう言う生活が、ずいぶん遠くなってしまったなあ、と私は思った。



馬に乗れば、本当にわずかな距離なのに。私の住んでいた家だって、家族だった人たちだって、手を伸ばせばすぐ届くところにいる。



私は決して、世界の裏側まで逃げてきたわけじゃない。



それなのに、家族も、暮らした家も、こんなにも遠い。



隔たりというのは決して物理的な距離じゃないんだな。




時間がたてばたつほど、私のいる場所はあの家と、昔家族だった人たちとどんどん離れていく。




それはひどく寂しく、悲しいことだな、と思いながら私はその日の仕事の準備に取り掛かった。

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