第10話兵士は目覚め、スープを飲み干す

ヴォルフに続いて私は離れに着くと、急いでドアを開けた。


案の定というか、悪い予感通りというか、意識を失っていたはずの男の人が床に倒れているではないか。



おそらく意識が戻り、逃げ出そうとしたのだろう。



私が彼の体を起こそうと、肩に触れた瞬間、手は勢いよく振り払われた。



目の前に、ひどく荒んだ目が二つ見えた。彼は立ち上がろうとするが、足に力は入らず、そのまま崩れ落ちた。




「ここにあなたを害する人はいません、って、わからないかなあ!」



怒って私は言った。




「勝手に逃げ出したところで、まだ傷も塞がっていないし熱だってあるし、それに相当痛いはずでしょう。死にますよ。せっかく助かった命を無駄にする気ですか?」



彼は床の上からまだ私を睨みつけている。



「ここは、コウモリの森と呼ばれる場所です。私の名前はエマ。ここの主人はルーカスです。コウモリの森の魔女と呼ばれています。魔女って言っても彼は治療師で、私はその助手。だからあなたを害するつもりはないし、あなたの存在を外部に漏らしてもいません」



彼が目覚めた場合、どこまで情報を開示するかは、事前にルーカスと打ち合わせておいた。




「あなたが警戒するのもわかるけど、そもそもあなたを最初から害する気なら、私たちも必死で助けたりしない。助けるのだって結構大変だったんですからね!」



私は男の人の肩に触れた。今度は抵抗されなかった。



「お腹は空いていませんか?」



私は聞いた。男の人は黙っている。かれこれ5日間、彼は眠り続けていた。体は何かしら食物を欲しがっているはず。




「少しでもいいから、スープを飲みませんか?」



彼の顔を覗き込みながら、私は言った。




ああ、懐かしいな、この感じ。私は思った。



彼の目の中にあるのは、警戒、恐れ…それでいて見ていて悲しくなるようなあの色だ。



ヴォルフがまだガリガリの子犬で、ボロ切れに包まれてこのコウモリの森の魔女の家にやってきたときと同じ。



お腹が空いていれば、食べさせる。



寒さに震えていれば、暖かくする。



私は消耗して幾分細くなった男の人の腕を抱き起こすと、彼を助けてベッドに寝かせた。



彼は警戒心を緩めない、鋭い目つきで私を見ている。ここまで体が衰弱しているのに、大した気力だと、私は思った。




「スープを温めて持ってきます。野菜のブイヨンです。少しでもいいから、食べる気が起きたら食べてください。私が台所でスープを温めている間に、また逃げようなんて思わないでくださいね!」



最後は何故か命令口調になっていた。見張りに、ヴォルフを置いていくことにした。




私は駆け足で台所に向かった。



そう、お腹が温かいもので満たされれば大抵の人は安心できる。私は彼に、ここは安全だと、伝えたい。







試しに、野菜のブイヨンをスープ皿に少しだけよそった。浮き実はクルトンにした。古くなったパンをオーブンで焼いてカリカリにしたものだ。これを銀のスプーンを添えて出してみた。



「…」



男の人は警戒しているのか、スープ皿をじっと見つめたままだ。




「毒なんて入っていませんよ、しょうがないなあ。みていてくださいね」




私は銀の銀のスプーンを取ると、ひとさじすくって口に入れた。




濃厚な野菜の香りがじんわり口の中に広がる。うん、美味しい。





それをみていた男の人の喉が「ごくっ」と鳴った。次の瞬間、彼は私から皿を奪うと、一気に飲み干そうとするではないか!




「…ちょっと!最初はスプーンでゆっくりですってば!あなた何日絶食していたと思ってるんですか!まずはゆっくりですよ!」




私は慌てて言った。



「お腹壊しますよ」




男の人は私の手から銀のスプーンを受け取ると、今度はひとさじすくって、そっと口に入れた。




「…美味いな」




男の人が、ぽつりと言った。あ、この国の言葉を話せるんだ、と私は思った。




そして「ゆっくり」と言ったにも関わらず、やはり彼は最終的にぐいぐいスープを飲み干した。




だめじゃん…。



でもやっぱり、よほどお腹が空いていたんだな。



気持ちのいい飲みっぷりだった。




「まだ飲みますか?」



私は聞いてみた。男の人は黙って頷いた。



「できればもう少し、塩味をきかせて欲しい」



「わかりました。じゃあお代わりはもう少し味を濃いめにしますね」




そう言うと男の人は頷いた。その様子は、いくらか緊張がほぐれて見えた。



改めて彼の顔を見る。



顔のあちこちにまだ、川に流されてできて傷があるが、目にははっきりと今は強さがみて取れた。



ああ、美しいな、と私は思った。この目、ヴォルフや、森で時々見かける野生の狼の群れが見せる光だ。



美しい、は、やがて、好ましいに変化するのだが、そのことをこの時、私はまだ知らない。

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