第6話オッドアイ

「怪我をした人、病気になった人にとって大切なことは案外普通のことなんだ。清潔な衣服とシーツ、温かい食事。そして、哀れみでなく、励まし」


その昔、父が言った。



「薬効が高い薬ではなく?」



「薬が人の体を治すわけではないよ。治るのはその人自身だ。薬はそれを手助けするに過ぎない」



当時、薬草について学ぶことが面白くて仕方がなかった私は、「薬が人の体を治すわけではない」という箇所が若干気に入らなかった。



ふうん、とだけ返事をする私を父が困った顔で見つめていた。






そんなことを何故、今になって思い出すのだろう。









子犬をストーブの前の温かい場所へ移すと、私はまず大きめの鍋でお湯を沸かすことにした。鍋は台所の棚に、無造作にゴロゴロあったので、その中から使わせてもらった。



水はポンプ式の水道があり、必要な量をすぐに使えるのはありがたかった。



お湯を沸かす準備を整えると、私は倉庫の中に、古い布切れかタオルがないか探した。目の粗いコットンガーゼが少しあったので、それを使わせてもらうことにした。柔らかいリネンの布もあったので、それももらうことにした。



お湯が沸くと、ガーゼを浸してかたく絞る。私は子犬の頭の下にそっと手を入れると、目やにを優しくふき取ることにした。



目やには結構な量があり、私は何度も拭きとらなければならなかった。どうにか目やにを拭き取り終えると子犬の両目がぱっちりと開いた。



右目は金色、左目は透き通るブルー。見事なオッドアイだった。



「へえ、綺麗な眼をしているね!」



私は嬉しくなった。



幸いまぶたの裏も綺麗な色だったし、眼の感染症にかかっているわけではなさそうだった。



父は眼病の患者さんを見るときに、必ずまぶたの裏を確認していた。そこに炎症があれば消炎効果のある点眼薬を処方していたのを思い出す。



炎症を起こしている眼に触れた手は、よく洗う必要がある。さもないと、その手で触れた別の箇所に、病気をもたらすことがある、というのもそのとき教わった。



私は念のため、子犬の世話をした後は、手をよく洗おうと思った。ガーゼは勿体無い気もするが、使い捨てにすることにした。



犬の病気がそのまま人にうつるとは限らないが、用心に越したことはない。



さらに子犬の全身を拭いたところ、ボソボソとした毛束がほぐれ、ふわふわになった。



拭いただけで、結構毛も抜けたので、これは後日、ルーカスさんに要らないブラシがあれば譲ってもらおうと決めた。



子犬をひっくり返し、腹を天井に向かせて私は全身をくまなく調べることにした。どこかに怪我をしていたり、皮膚病にかかっていないかなども、丹念に見る。



子犬の耳は三角形で、頼りなく丸い頭にぺたりと寝たままだった。耳をめくると、強い匂いが鼻を突いた。どうやら耳にも病気を抱えているらしい。



私は濡らしたガーゼを指に当て、子犬の耳の中をそっと拭った。



子犬は耳を触られるのが嫌なのか、小さな前足で耳を庇おうと私の手を払いのけようとするが



「ダメだよ、きれいにしないと。耳の病気がひどくなってしまうよ」



と声をかけたら大人しく諦めた。



茶色い耳垢がたくさん出てきた。耳垢の下には赤く腫れた耳の皮膚がのぞいた。



この犬は、色々問題を抱えているなあ、と私はため息をついた。



それでもどうにか全身が綺麗になった子犬を、柔らかいリネンに包む。子犬は嬉しそうに鼻を鳴らした。しばらくそのまま抱いていると震えも止まり、私はホッとした。



「ミルクは飲めるのかね?」



台所には新鮮な瓶詰めのミルクが2本あった。定期的に届けてもらっているようだった。空の瓶が綺麗に洗って逆さまに干してあった。



私はミルクを、これも台所にあったミルクパンで温めると、小さな皿に入れて子犬の前に差し出してみた。しばらく匂いを嗅いだ後で、子犬は美味しそうにミルクを飲みはじめた。




「これが飲めるようなら、ひとまず安心だね」




ミルクを飲み終えた子犬を、私は抱っこした。背中をトントン叩いているうちに子犬は眠りに落ちた。犬ってあったかいなあ、と私は思った。



リネンの上から触れる仔犬の身体は骨張っていた。本当ならこの時期、子犬は母犬からお乳をたくさんもらって、もっところころと体も丸いはずだ。



もっと太らせないとなあ。私は思った。



ソリを引く犬を以前、山の中で見かけたことがある。狼にそっくりで、足が太くて大きい犬だった。



この子犬も、無事育てばあんな風に力強く、ソリを引くようになるんだろうか。



私は子犬の耳のあたりに鼻を寄せた。ミルクと獣の匂いがした。




いつも間にか、私も眠ってしまっていた。

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