第4話オレンジの香りのお茶

四角い家の四角いドアを開けて、私は魔女に家の中に入った。怖くなかったと言えば嘘になる。でも好奇心がそれを上回った。



魔女の家の隣には大きなアカマツの巨大な木があり、その影が家全体を覆っていた。これだと夏は快適だろうなあ、と私は思った。



ドアを開けてすぐが大きな居間になっており、中心に大きなストーブがあった。その上には小さな鉄のポットが置かれていて、お湯が沸いていた。


北にあるこの地域は、5月でもまだ雪が残っていて、朝と晩は寒い。そこまで考えてようやく、私は自分の手足が冷えきっていることに気がついた。ストーブの中で石炭がパチン、とはぜた。



部屋の中央に古い長椅子があり、窓に向かって大きな机があった。その上に、乱雑に開きっぱなしの本や書きかけのメモ、青磁のティーカップが置かれていた。ティーカップには青い染料でつる草模様が描かれていた。


繊細なデザインのティーカップと魔女の組み合わせに、私は意外な感じがした。



私は長椅子の席を勧められた。魔女がお茶を入れてくれた。



「あ、これって」



私は思わず言った。カップに顔を近づけた途端、ふわりと良い香りがしたからだ。




「なんの香りだかわかる?」




魔女は聞いた。




「オレンジの…皮の香りがします。これは魔女さんが考えたんですか?」



「ルーカスでいいわよ。オレンジの皮で正解。オレンジ自体はそう長く保存がきかないけれど、皮を干しておけば長く保つし香りも楽しめる。だから時々、こうしてお茶に入れて香りを楽しむの。まあ、私の創作だけれど、その中でもこれはお客様に出しても恥ずかしくないものの一つ」




「すごくいい香りです。お茶も美味しい」



かけねなしの気持ちで、私は心からそう言ってお茶をごくごく飲んだ。お茶は熱すぎず、私は飲みながら、自分がとても喉が渇いていたことに、ようやく気づいた。




「エマさんは、どうして治療師の助手に応募してきたのかしら?」




ルーカスがお茶のおかわりを入れながらたずねた。




「薬草についての知識があるので、それを生かせると思ったからです」




道すがら考えた理由を、私は言った。求人票を見た時から、実際魔女に会い、聞かれたらこう答えよう、と何度も頭の中で繰り返したセリフだった。




そう、薬草の知識だけは、子供の頃から父にみっちりと仕込まれた。




それだけではなく、私自身、薬草について学ぶことに心からの興味を捧げることができたからだ。一言で言い表すと「好き」に尽きる。




父は若い頃、王の住む都にある「医学校」で医師としての訓練を受けたらしい。



そこはこの近隣諸国の間でも有名な場所で、王族や貴族が病気の治療や保養のため、滞在する場所でもあったという。



私はそのことを、当時婚約中だった、年上のいとこから聞いた。



「…お父さんって地味にすごいんだね」



「地味に、は余計だよ」



「あなたはどうするの?同じ医学校に進むの?」



「おじさんは、行けるなら行った方がいいって。学費も出すからって」



「いいじゃない、クリスなら行けるよ」



「そうなると五年は戻って来られないなあ」



「いいなあ。私が男だったら私が医学校に行って医者になるのに。ああ、でもさすがに医学校に入れるだけの頭は私にはないよ。でも医学校には付属の薬学部があるんだよね。そこだったら私でも頑張れば入れるんじゃないかなってにらんでる」



そういう私を見つめるクリスの顔が、少しだけ寂しそうに見えたのを今でも覚えている。




私は父から学ぶ薬草の知識のほかに、街の図書館に通ってはせっせと薬草に関する本を読み漁った。それでも田舎の小さな図書館では限界があり、時々父にねだっては、王都に出かける際に薬草に関する書籍を買ってきてもらった。



ある時には誕生日の贈り物に「薬草の博物学」という本をねだり、家族をはじめ周りの人たちを呆れさせた。


その本は挿絵が豊富で、様々な植物の絵を見ているだけでも私は楽しかった。



夜遅くまでベッドの中でその本を読んでは、義理の母に見つかり「目が悪くなるから」と叱られた。



そのことを思い出し、私は切なくなった。あの大好きな本も置いてきてしまった。



今でも鮮明に思い出せる。あの家、家族の住む診療所の二階にある私の部屋。ドアを開けて右手にある本棚の、中央の段の右から3冊目。


大好きで、何度もなんどもページをめくって、しまいには背表紙が割れそうになり、慌てて紙で補強した。そうやって大事に読んでいた大切な本。



もう戻れないんだなあ、と思った。一晩だけなのに、ずいぶん遠くにきてしまった気がした。もう、引き返せない。





私はカップを両手で挟み、透明で美しいお茶の色を眺めた。少しの間沈黙があった。




「治療師見習い、と言ってもはじめは雑用係よ」




ルーカスが言った。




「掃除、洗濯、料理、あとは動物の世話、植物の世話。それ以外の雑用もろもろ。その代わり、仕事が済んだらこの家にある薬草に関する本は自由に見ていいし、住む部屋と食事は提供します。3ヶ月は見習い期間で、その間に私が、あなたを本雇で助手に採用すると決めたら、改めて契約をします。賃金は、見習い期間中は週に銅貨3枚。本雇になった場合は銀貨1枚にします。いかが?」




私はびっくりした。もっと色々、家族のことやこれまでの経歴、住んでいた場所などを聞かれるかと思っていたからだ。


それについては特に触れられることがなかった。しかも提示されたのは、思いの外、好条件だった。




「よろしくお願いします。精一杯頑張ります」




私は立ち上がり、ルーカスに向かって頭を下げた。




その時、家の外でベルが鳴る音がした。

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