641 アブド、護衛に向かって/ジン=シャイターンの考察①
目の前の一人をなんとかできずして、なにがメロの国の公爵と言えよう。
その意味で、アブドにとっては、公爵会議で大勢を前にしたときも、いま目の前にいる護衛一人を前にしたときも、同じだった。
「お主は、この国に、大切な人がいるのであろう。でなければ、先のような言葉は出てくるまい」
「……」
一瞬、沈黙が流れたが、
「はい」
護衛が答えた。
「……なるほど」
その一瞬の沈黙の意味を、アブドは理解した。
「その、大切な者に、刃を向けることになるということか」
「……」
「フン、そんなことで悩んでいるとは。どうやら先に言った、立派という言葉は、取り消す必要があるな」
「んな……!」
「考えが甘いと言っているのだ。ただ命令に従うような者ほど始末が悪いのだ」
「いや……」
「その者が大切なのであれば、出来得る限りの手を打てばいいだけのことだ」
「でも……」
「だから考えが甘いと言っておる」
「……」
「そこに護衛などといった役職や立場など、あるものか。それとこれとは別問題であろう」
「は、はい」
護衛がうなずいた。
アブドは続けて言った。
「国の自立は、民の自立をもって成立する……本来、国と民とは、そういうものだ。だから、常に自分の成すべきことはなにか、考えねばならん」
「はい……!」
「大切な者がいるなら、一時的には傷つけることになるかもしれぬが、その者を助け、国も守れるように、自らが考えるにふさわしい方向というものを画策し、動くのだ。よいな?」
「はい!」
……この者は、まだ聡明なのだろう。
アブドは思った。
少なくても、今回、公宮を襲撃した者たちに、この護衛のような者がいないことは明らかだ。
「せっかくだから、」
アブドは近くにあった書類を手に取り、目を通しながら言った。
「ジンについての考察を、お主に伝えておこう」
「ジンについて……?」
「そうだ」
――ペラッ。
「これは……」
「クサリク文書だ」
「クサリク……クサリク地方ですか」
「そうだ。読んでいて、興味深いことが分かって来た」
アブドは書類に目を落とした。
「クサリクのとある一国が、ジンによって崩壊の危機にあったが、とある英雄一人の犠牲をもって、免れることができた」
「……」
「これは、実は、ここまでメロの国で起きた一連の事件と、非常に類似していることが分かっている。ウテナという者を知っておるな?」
「あのキャラバンの……」
「そうだ。彼女の身に起こったことは、まさにクサリク文書で書かれている、英雄一人の犠牲の事と同じ」
「!」
「重要なのはここからだ」
アブドは別の書類を手に取った。
「なぜだか今回のジンは、対象の人物に対して、自ら手を下すようなことをしていない」
「自ら手を下すようなことをしていない……?」
「そうだ。クサリクの時、追い込まれた英雄は、自ら命を断った。そして今回、ウテナの目の前に現れつつも、心身ともに満身創痍の彼女を前にし、ジン自らは、なぜか、塵となって消えたとの報告が入っている。ウテナ自身はもう立つ力すら残っていないほどだったにも関わらず……だ」
「なぜ……?」
「……フッ」
――パサッ。
アブドは持っていた紙を放り投げた。
「分かるわけがなかろう」
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