632 サーシャとハディーシャの会話

 「私とマナトがいた世界から考えれば、この母なる大地ヤスリブの、……少なくてもこのクルール地方でいえば、その文化レベルは決して高いとはいえないのが、正直なところなの」

 「そうでございますか」

 「といっても、もちろん私も記憶が戻るまでは、そんな感覚にはならなかったんだけどね」

 「なるほど」

 「キャラバンという職業も、私たちの世界ではすでに必要となくなっていたわ。もっと安全で、早く輸送できる方法が、できたから」

 「それは素晴らしいですわ。ほんと、発展していたのですね」

 「まあね。……あらっ?」


 するとサーシャは、テーブルの下に手を伸ばした。


 木製のさやに納められたダガーで、サーシャはそれをテーブルの置いた。


 「……こういったものも、」


 ダガーを見つめながら、サーシャは言った。


 「前の世界では一度も、持ったこと、ないわ」

 「そ、そうなんですか……」

 「アクス王国よりも、このメロ共和国よりも、安全っちゃ安全だったから」

 「そうですか……それでは、」


 サーシャの言葉を受け、少し目を細めながらハディーシャは言った。


 「ジンのような、人類の脅威となるような敵も、いなかったのですね……」

 「……」


 チラッと、サーシャの琥珀色の瞳が、ハディーシャのほうに向いた。


 「……だと、よかったんだけど」

 「……えっ?」

 「そうね……」


 テーブルのほうに視線を戻し、サーシャは言葉を次いだ。


 「私の国には……かつて、大きな壁があったわ。ベルリンの壁っていう」

 「ベルリンの壁……ですか。でも、岩石の村にも、外壁がありますわ」

 「ええ、そうね」

 「やはり、ジンとはいかないまでも、獰猛種のような生物の対策はされていたのですね」

 「……いいえ」

 「えっ、それじゃあ、なんのために?」

 「……国民同士よ」

 「国民って……」


 ――スッ。


 サーシャはダガーをさやから出した。


 天井のシャンデリアの光がその刃を反射して、キラキラと輝き、サーシャの美しい顔を映し出している。


 「ジンは、このヤスリブでは、たしかに脅威の存在。ラクトも危なかったし、あのウテナってコも……だけど、」

 「……」

 「私たちの世界が繰り返してきた、人間同士の争いのほうが、ジンによる被害より、はるかに多いのだとしたら……」

 「……」


 サーシャの美しい横顔が、ダガーに反射している。


 それはまるで2人のサーシャが、お互いを見つめ合いながら、それぞれがそれぞれに、交互に問いかけながら、それでいて、答えを出せていない……そんな印象をハディーシャに与えた。


 「……あの、……どう、お返ししたら……」


 ハディーシャは困ったように、つぶやくように言った。


 「あぁ、ごめんなさいね……」


 サーシャが言うと、ハディーシャの先に視線を向けた。


 「もちろん、いま起きているジンの騒動は、なんとかしないとだから、そこは、大丈夫だから……あら」


 がやがやと、宿の玄関のほうが騒がしい。


 マナト達が戻ってきた。

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