627 ハディーシャ、困惑/ムハドとサーシャの問答

 ……そ、そんな、ムハドさん……!


 サーシャのすぐ後ろで、ハディーシャは狼狽した。


 「……」


 いつも穏やかな中に強い意志を感じられるムハドの黒茶色い瞳。


 しかし今は、敵を見据えるかのような鋭い目つきとなって、突き刺すようにサーシャをにらみつけている。


 そう、まるでジンでも見るかのような。


 完全に、疑われている。


 ……まさか、ムハドさん、サーシャさまの生命の扉を……!


 ムハドは特殊な能力を持っている。


 それは、六つの生命の扉を見ることができるというもので、キャラバンの村の長老の家で初めて面会したときも、その扉について言及している様子だった。


 ……そ、そうか、サーシャさま、過去の記憶が……!


 あのイヴン公爵長での、絵画の一件以来、かつて生きていたという、地球での記憶が戻ったことによって、生命の扉になんらかの変化が生じてしまったのかもしれない……そう、ハディーシャは思った。


 ……た、たしかにサロン対抗戦の決勝トーナメントのときも、これまでのサーシャさまとは、ちょっとした感情の違いや変化があったのかもだけど……そうだとしても……。


 ハディーシャの思考が追いつかないうちに、


 「……」


 ムハドの後ろで、怪訝そうな顔つきで、セラが立ち上がった。


 ――スッ。


 「!」


 セラが、腰につけていたダガーに手を伸ばした。


 「ちょ、ちょっと……!」


 ハディーシャが声をあげようとしたとき、


 「私は、サーシャよ」


 凛としたサーシャの声が響いた。


 サーシャはまったく動じていない。仁王立ちでムハドを見据えた。


 「ひとつ、聞きたい」


 ムハドがサーシャに問いかける。


 「キャラバンの村で、印象に残っているものは?」

 「……」


 サーシャは少し考える風な様子で、少しうつむいた。


 「……箱舟」


 言うと、サーシャは顔を上げた。


 「いまは、ハッキリと分かるけど、あの時箱舟を見ていたから、過去……地球での、ドイツの記憶を思い出すことが出来たと思う」

 「地球……そうか、マナトがかつていたっていう……」


 ムハドは少し納得のいった様子で、つぶやくように言った。


 「……ということは、サーシャもマナトと同じ」

 「彼は日本っていう国よ。私は、ドイツっていう国。あと、マナトはおそらく、生きたままこのヤスリブにやって来た。私は……」


 しかし、サーシャはうつむいた。


 無言。


 「……そういうことだったのか」


 ムハドは顔だけ少し後ろを向け、セラに目配せした。


 ――スッ……。


 セラが、ダガーから手を離した。


 ……よ、よかった。


 ハディーシャは安堵した。


 どうやら、疑いは解けたようだ。


 「すまない」


 ムハドはサーシャに顔を向けた。もう、いつものステキな表情に戻っていると、サーシャは思った。


 「生命の扉が別人に見えたものでね」

 「あら、そう」

 「キャラバンの村の記憶がある時点で、大丈夫だ。ジンには答えられないからな」

 「……なるほど」

 「これまでにないことだった。生命の扉が、まったく別のものになっているように、見えたのが」

 「へえ、そう見えてるのね。私は、そうは思わないけど」

 「……そうか」

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