594 遺恨

 ムハドに言われ、マナトはあの天廊の奥の間で、ラクトとウテナを救い出したときのことを思い出した。


 「……あの状況を考えたとき、それ以外、考えられないなと」

 マナトは言った。


 「うむ……」

 ムハドもうなずいた。


 空を模した通路で、諜報部隊ミリーが倒れていた以外は誰もおらず、その上で、そこにいたとされるジンは、すでに姿を消していた。


 ……あれ?そういえば、雲が描かれていたような。


 一瞬、マナトの脳裏によぎる。


 あの時はもう、遮二無二しゃにむにになっていて、今になってマナトは気づいた。特にラクトが危ない状況だったからだ。


 ……それに、あの通路と奥の間の光って……。


 「あそこで、」


 考えていると、ムハドが口を開いた。


 「傷が深いのはラクトのほうだった。もちろん、ウテナの傷も、かなり痛々しいものだったが」

 「はい」

 「もしジンと戦っていて、ラクトが深手を負っているのなら、ウテナがラクトを背負うかたちになるのが自然だ」

 「……はい」

 「だが、俺たちが見たのは……」

 「逆、でしたね……」

 「ああ。……そして、なにより、」


 ムハドが、少し、声を低く、小さく言う。


 「ラクトが言いたがらないという、事実……」

 「……はい」

 「正直言って、なによりの理由だ。ラクトはウソが得意ではないことは、マナトだって、よく分かっていると思う」

 「……」


 ムハドのその眼は、相手の生命の扉が、見える。


 ……おそらく、もう、ムハドさんの眼は、ほとんど真理に届いてしまっているのだろう。


 マナトは思いつつ、


 ……だけど、ムハドさんは、なにか、引っかかっている部分が?


 「マナト」

 「はい」

 「あのウテナのついていた左腕の傷について、聞きたい」

 「!」


 マナトはムハドを見た。なんともいえない、複雑な表情をしている。


 「お前がウテナの左腕の、あの傷を見たとき、他の奴らとは違う感情が垣間見えた。お前は、あの傷の本質を、知っているのか?お前が転移前に生きていた世界では、血の確認は必要ないんじゃ、ないのか?」

 「……この国に来て、」


 マナトは言った。


 「この国の人々を見てて、感じたことですが、ウテナさんは、たくさんの人から憧れられていたとともに、嫉妬と恨みも同時に受けていたんだと思います」

 「!」

 「その声に、苦しめられていたことは、間違いないと思います」

 「嫉妬と、恨みが……」

 「それに苦しめられている人々が、自ら命を絶つという事例は、いまもずっと、続いていると思います……」

 「そうか……」

 「まあでも、もちろん、この世界ではインターネットのような……」


 ……いや、違う。


 「ジン、か」

 「!」

 「それも、ジン=シャイターンという、人間にとってジン種で最悪といわれる相手が……」


 マナトが考えていたことを、ムハドが代弁するように言う。


   その真なる姿は人に似たるも、

   いかなるジンより悪しき心で、

   この地に下りて人に寄り添う。


 ウームーの書簡が、マナトの頭によみがえる。

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