490 前夜⑤/ピュリラジュース:アブドとユスフ

 「なんか悲鳴が聞こえてきたけど、大丈夫だった?」


 ミトがマナトに言った。その手にはストローつきのジュースが持たれ、上から下に、透明な赤紫が濃くなってゆくという、グラデーション鮮やかな色合いをしていた。


 「うん、大丈夫。ミト、そのジュースは?」

 「ピュリラジュース。僕も、はじめて買ったんだよね」

 「へぇ」

 「飲む?かき混ぜて飲むと、美味しいよ」


 ミトがコップについているストローをくるくる回し、ストローをマナトに向けてくれた。


 「……ゴクッ」


 香草のような香りが一瞬鼻を通り、その後は甘酸っぱい柑橘系のような風味が口に広がった。


 「どう?」

 「美味しい!あと、なんだろう、どこか、懐かしい感じがする」

 「あっ、ホントに!」

 「うん。僕も……あら?」


 マナトも買おうとしたが、飲み物屋の店員が出てきて、店の看板を取り外し始めてしまった。


 「もう、閉めちゃうんだね」

 「ジンの影響だってさ。僕らが最後の客だったみたい」


 マナトは周りを見渡した。


 まだ、ガストとその取り巻きが、護衛相手に騒いではいるが、たしかに、先までの喧騒はなくなって、人も少なくなっていた。


 「僕らも、戻ろうか」

 「そだね」


 サーシャと召し使いも、うなずいた。


 「かえろ~!」


 ニナを先頭に、マナト達は歩き出した。


     ※     ※     ※


 宮殿での、ムスタファとの打ち合わせを終え、アブドは馬車に乗って、ある宿にやって来ていた。


 その宿は、巨木エリアにあった。また、他の宿より、明らかに、いい素材の石で組み立てられている。


 マナのランプが宿の周りに置かれ、星の瞬きが届かない、真っ暗な巨木エリアの中にあって、そこだけ星が降りてきて光っているかのように明るい。


 いわゆる、国賓や、メロの国にとっての重要人物が泊まるための宿だった。


 アブドと数人の執事は、宿の中に入ると、宿主を呼んだ。


 「ええ、分かっております。いま、呼んで参ります」


 宿主はすべて把握しているようで、階段を上ってゆくと、すぐに一人の男を連れて戻ってきた。


 「他の者たちも、すぐに連れて参りますので」

 宿主は再び、階段を上っていった。


 「はるばるお越しいただいて、感謝します、ユスフ殿」

 「……」


 階段を降りてきた男……ユスフは、長旅を労った執事に答えることなく、じろじろ、アブド一行を睨み付けている。


 「……ククッ、こんな奴らがメロのトップかいな」


 そして、大きな口を歪め、皮肉たっぷりに言った。


 「メロの国って、ほんま、ヤバいなぁ。よう国として機能しとるな」

 「……」

 「ジン一匹で、ここまで大騒ぎになるもんなんか?もし俺の地方やったら、こんな国、ソッコーで滅んどるわ」

 「な、なんだと……」


 執事たちが、あからさまに不快感を滲ませた。


 「……」


 アブドは特に表情を変えずに、澄ました顔で、ユスフを見つめていたが、やがて、苦笑混じりに口を開いた。


 「ユスフくんと言ったね。重ねて謝罪申し上げる。昼の無礼、誠に申し訳なかった」


 ユスフはアブドを見下した表情をして、半笑いしたまま、アブドを見ている。


 「なるほど、君の地方では、ジンが頻繁に出ているようだ。……そういえば、なにか文献で読んだことがあるのだが、ジンは、人間社会の歪みが深い場所ほど、頻繁に出るようだ。まあ、このメロの国も、言えることではないが……」


 アブドが、気の毒そうに微笑み、そして、言った。


 「かわいそうに。君の国は、なおさら、悪俗な世間体のようだね。会話の仕方も、教えてもらっていないようだ……」

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