448 サーシャの絵画

 「では、我々も行きましょう」


 執事に促され、皆、階段を上ってゆく。


 「あぁ……なんと若々しい光を放っている瞳なのだ……!」


 階段を上りながら、シュミットが感動の面持ちで、両隣のミトとマナトに言った。


 「若々しい光……えっ?」

 「イヴン公爵長のですか?」

 「ええ、あのお方の瞳からは、老いのひと欠片も感じられない……加えて、あの、一段飛ばしで階段を上っていった後ろ姿など……もはや、新しいおもちゃを買い与えられて、喜びを隠しきれない子供のような無邪気さすら感じられるではないですか……!」

 「そんな感じには……」

 「シュミットさん、やっぱり独特の感性してますね……」


 シュミット達の後ろには、ニナと召し使い、サーシャと続く。


 「サーシャさま……」

 「お姉さま、大丈夫……?」

 「……うん、大丈夫」


 サーシャは答えたが、まだ少し、顔色はよくなかった。


 そして、最後尾には、ケントとリート。


 「なんか、いろいろ、ありそうですね……」


 ケントが、小声でリートに言った。


 「サーシャさんは、自分の中にある記憶がなんなのか、知りたいみたいなんすよ。キャラバンの村を発つ前に、言ってたんで」

 「へぇ。それで、あの公爵の長にって訳っすか」

 「まあ、そういうことっすね」


 階段を上りきる。


 「来たまえ」


 赤い絨毯の、広く明るい渡り廊下を進み、イヴンが開けた扉の中へと入ってゆく。


 中は書斎になっていた。


 部屋の真ん中に大きな木製の作業机が置いてあり、奥の壁には木製の本棚が置かれていた。


 「絵画を立てるイーゼルは、ここへ立てるように」


 イヴンは床を指差して、言った。そこには、黒いテープが貼られている。


 「かしこまり」


 床のテープに習って、ケントがイーゼルを置いた。


 「では、絵画を」


 イヴンの口調が先までと違う。低く、落ち着いたものになっていた。


 その声の漂わせる高貴さが、独特な雰囲気をつくり始める。


 「はい、かしこまりました」


 召し使いが、大切に抱えていた、布に包まれている絵画を、ゆっくりと、赤子を寝かせるように、イーゼルに置いた。


 そして、後ろに回って、布を、少しずつ、ほどいてゆく。


 「……」


 自然と、皆、無言になった。


 「お待たせいたしました」


 召し使いが、最後の布を絵画にかけたままの状態で、横に立ち、一礼した。


 「……」


 ……うわ、なんだこれ!?

 自分の作品でもないのに、マナトは緊張してきた。


 前に岩石の村の、シュミットのアトリエでミトとラクトと披露し合ったときと、今とでは、比べものにならない。


 これまで味わったことのない、本気の芸術鑑賞の空気感。


 「イヴン公爵長、サーシャさま……よろしいですか?」


 双方とも、無言でうなずく。


 召し使いが、絵画にかけられている布に、手をやった。


 ――ファサッ。


 少し、もやのかかったような、真っ白な陽光。


 朝焼けのようでもあり、夕焼けのようでもあり、陽光の中心から離れるに従い、光は淡いオレンジから、端のほうはやや濃い紫へと変化してゆく。


 その陽光の下。


 輝く、青い、波。


 その波は、まるで山のように盛り上がって、激しく波打つ水しぶきは白く、さらに、それが 何度も押し寄せるように折り重なっていた。


 その波に揉まれるように浮かぶ、先端の尖った、黒い物体。


 その黒い物体の近くには、遠目では何を描いているか分からない、なにかが、描かれていた。

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