426 ウテナ⑨/母のもとへ
――ググッ……。
女の子が、男の肩掛けを、少し強めに引っ張り出した。
その小さな手は、少し、震えている。
……たぶん、今の話を、嫌がってるんだわ。
ウテナは思った。
「その子、たぶん……」
「ごめんね。でも、きっと、大事なことなんだよ。言わせておくれ」
ウテナが言おうとすると、男が、女の子に言った。優しくも、曲げられない意思を感じさせた。
「……」
女の子は、男の肩掛けから手を離した。
「よしよし、いいコだ」
その代わりとばかりに、男の胸に抱きついた。
「だっこ」
すると男は、優しく、女の子を抱き締めつつ、両耳を手で覆った。
「これで、大丈夫……」
男は、話を戻した。
「ジンは、背中がムクムクとうごめいたかと思うと、まるで人間という皮を被った怪物が、中から飛び出してくるように、黒く細い肉体と銀色に輝く甲殻が現れ、それがどんどん、長く、大きくなっていきました」
「……」
「人間と同じで二足歩行ではあったのですが、その姿は……そうですね、どちらかと言えばデザートランスコーピオンのような感じの……まさに怪物でした」
男は、小さくため息をついた。
「……そのジンに、やられてしまったのです」
「……」
男が、女の子の抱擁を解いた。
「終わった?」
「ああ、終わったよ」
女の子は、男の胸から、ピョンっと離れた。
「いいコにしてたね」
男が、女の子の頭を撫でた。
「えへへ……」
「……」
男が、女の子を見つめながら、言った。
「私は、精一杯、戦った。もう、悔いは、ありません。……ただ、ひとつ心残りなのは、この子を巻き添えに……」
「わたし、寂しくないよ!」
男が言いかけたのを、女の子が遮った。
「大好きな、お兄ちゃんが、一緒にいてくれるもの!それに、お母さんにだって、会えるんだもの!」
「……そうだね!」
その時、
――ギィィィ……。
馬車が止まった。
出入り口の、布が、上がる。
――パァァ……。
外から、真っ白な光が馬車に入ってくる。
「ま、まぶし……!?さっきまで、夜だったんじゃ……!」
ウテナはビックリして、目を細めた。目が眩むほどの、強い光。
「あっ!お母さんだ!お兄ちゃん!お母さん、いたよ!」
女の子が、光の中を指差して言った。
「おぉ……お母さん、出迎えに来てくれたんだね……!」
「うん!お母さ~ん!!」
女の子は、全力で手を振っている。
「……」
ウテナは身を乗り出して、馬車の外を、目を細めながら眺めた。
――パァァ……。
外が、白い光に包まれている。光が強くて、ウテナには、女の子の母の姿は、見えなかった。
……だけど、きっと、女の子には見えているんだわ。
なんとなく、ウテナは思った。
すると、男が、ウテナとラクトのほうへと向いた。
「どうやら、私たちのほうが、先に、下車のようです」
男が言った。その顔は満足げで、なんともいえない、穏やかな、慈愛に満ちた、優しい眼差しをしている。
「お別れです。私たちは、あの方のもとへ、この子の、母のもとへと、ゆきますので……」
「お母さぁぁぁあああん!!!」
女の子が馬車の外へ、光の中へと飛び出した。男も、ゆっくりと馬車を降りた。
光の中歩いて進む2人に、影はなかった。そして、2人の姿が遠くなる。光の中へと、消えてゆく。
と、女の子が、振り返った。
「バイバイ!お姉ちゃん、お兄ちゃん!またね!」
男も振り返った。
「……」
どこまでも、にこやかな笑顔だった。
やがて、2人は、見えなくなった。
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