407 自傷と、接吻

 「おい、ウテナ、その傷はいったい……」

 「……あっ、ほら、聞こえてきたよ」

 「聞こえて……?」


 ラクトは辺りを見渡した。気配はなにもなく、聞こえてもこない。


 「近所のおばさん達が、やって来た。あたしに血が出てないかって、確かめに来たんだわ。ちょっと、待って。だってあたし、切るものが……あっ、護衛の人たちも、他の、大通りの市場にいるみんなも……」

 「ウテナ……!」

 「ジンの言った通りだった。みんな、あたしのこと……」


 ウテナの虚ろな目は、だんだんと、恐怖に震える、おびえた眼差しに変わってゆく。


 「みんな、すごい形相。あたし、こわい。やめて、そんなもの持たないで……!」


 ウテナが、右手をラクトに差し伸べる。


 「お願い、ラクト、ダガー、かしてちょうだい?」

 「……」

 「でないと、あたし、みんなの笑顔を、見れないの……みんなが安心したところ、見れないの……」


 ウテナの、恐怖と懇願の入り混じった視線が、ラクトを突き刺す。


 「なんで……」


 ラクトは愕然とした。


 「お願い……」


 ウテナが繰り返す。


 「ラクト、お願い……」


 なにかが、壊れてしまっている。


 「なんなんだよ、マジで……!」


 ラクトが、震える声で言った。


 「ラクト、ダガーを……」

 「ジンが、お前を、そうしちまったのか……!」

 「みんなに、血を、見せなきゃ。みんなに……」

 「!!」


 ――シャキッ!!


 ラクトがダガーを逆手持ちに、勢いよく抜いた。


 「うああ!!!」


 ――シャッ!!


 ラクトが、自らの左腕を、ダガーで勢いよく切り裂いた。


 ドク、ドクドク……と、ラクトの腕から血は流れ、やがて、こぼれ落ち、下に敷いてある砂を、赤く染めた。


 ラクトが、グィっと、その左腕を差し出した。


 「おい!!どこの誰か知らねえが、見ろ!!血だ!!」

 「……」

 「どうだ!!参ったか!!ウテナ、そいつらはいま、笑っているか!?」


 ダガーを腰につけている鞘へ戻し、大声で、ラクトは叫んだ。


 「……」


 ウテナの目が、真ん丸と見開いた。


 一瞬、ウテナの中にあるすべての感情が飛んでしまったような……ただ、呆然として、左腕から次々と流れ出る血と、それを断行したラクトの勇壮な顔を見つめていた。


 「フッ……」


 ウテナはうつむき、同時に、立ち上がった。


 「もう……。ホント……。バカなんだから……」


 ポツリ、ポツリと言いながら、ウテナは少し、フラフラして、足がおぼつかないながらも、ラクトに近づいてくる。


 「ウテナ?」

 「みんな、ビックリしてる……。なんで、アンタが血を流してるのって……」


 ――フラ……。


 「おっと……」


 ウテナの足がもつれ、倒れかけたところを、ラクトが、血の出ていない右腕で抱き止めた。


 「ウテナ、お前、血が……」

 「……ラクト、アンタって、ホントに、分かりやすすぎ。こっちが、恥ずかしくなっちゃう」


 ラクトに身体を預けたまま、下を向いたまま、ウテナは言った。


 「そうね……、場合によっちゃ、オルハン先輩よりも、もしかしたら、分かりやすいかも」

 「えっ、オルハン先輩って、だれのこ……?」

 「……んっ」


 ラクトに抱かれたまま、ウテナが、顔を上げる。


 「ん……」


 ウテナの唇が、なにか言おうとしたラクトの口を、塞いだ。


 唇が、重なる。


 2人、目を閉じた。

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