302 アブド、公宮内にて
いつも出入りしているせいで、ちょっとの変化にも、敏感に感じ取ってしまったのだろうか。
扉を開けて屋内に入ったアブドは、なにか、違和感を覚えた。
屋内は吹き抜けになっており、玄関から天井は高かった。
大理石の床に、壁。また、玄関入ってすぐ、彫刻が置かれている。クルール地方の守り神と言われる、人魚の彫刻。
公宮内に、彫刻は、この一点のみ。それも、付き合いで購入したに過ぎない。
アブドの公宮には、他の公宮と違い、あまり、彫刻や高貴な皿、絵画などの芸術品は、そこまで置いていなかった。
アブドにそういった趣味はない。
「公爵、お帰りなさいませ」
側近の、若い執事の男が出迎えた。
「来訪者は?」
アブドは、執事に問いかけた。
「ございません」
執事は答えた。
「そうか……」
「予定、ございましたでしょうか?」
「いや、ないんだが……。まあいい、分かった。今夜は、私は書斎に籠っている」
「かしこまりました」
執事は合掌し、一礼すると、下がった。
召し使いの女が数人、部屋を行き交っている。食事の準備を進めているようだ。
「あっ、公爵さま、お帰りなさいませ」
召し使いが気づいて、アブドに声をかけた。
「ああ、ただいま」
「お食事、そろそろ準備ができます」
「あとで、私の書斎に、持ってきてくれないか」
「あら、お仕事ですか?」
「そうだ。よろしく頼む」
公爵になると、執事や召し使いなどの、周りの世話をする者が、何人かついてきていた。
アブドは独り身のため、部屋が余っていた。一人で住むには広すぎるため、この公宮で働く者は、そのまま、住み込みで働くことを許可していた。
「かしこまりました」
数人の召し使いは一礼すると、部屋に入っていった。
いつもの、光景。
……気のせいか。
先に、公宮内に足を踏み入れた時に感じた違和感は、だんだんと消えていった。
考えてみれば、外では護衛が一日中、交代で守っている状況、中では住み込むで働く者達が、せわしなく歩き回る状況。
……この賑やかな状況も、悪くはないものだな。
思いながら、アブドは階段を上ってゆく。2階にある、自分の書斎へ。
書斎に入って、これから、キャラバンがこれまでに交易してきた納品リスト、これから交易するための采配リストのチェックをしなければならない。
もともと、他の公爵が独占して携わっていた仕事だが、メロの国内でキャラバンが増加したことで、自然、交易されてくる物量も多くなってしまい、その公爵が抱えるキャパシティーを、越えてしまった。
そこに、アブドがサポートするかたちで、その仕事の一部を担うことになったのだ。
キャラバンの優遇政策を推し進めたことによって起きた問題であり、その責任を取るかたちでの、指名ではあった。
自然といえば、あまりにも、自然な流れ。
だがそれが、アブドにとっては、都合がよかった。
「……ククっ」
……野心家か。意識してはいなかったのだろうが、よく言い当てたものだな、ムスタファ。
アブドは自分の書斎に入った。
――カチャッ。
扉を閉める。
――ボウッ。
マナ石に火が灯り、書斎を照らした。
「!?」
――ヒュゥゥ……。
書斎の窓が、開け放たれている。
その窓の、近く。
黒髪の、男が一人、立っていた。
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