281 道中②

 あの頃の記憶が、消えたほうが、いいのかどうか。


 間違いないのは、あの当時は、消えてほしかった。抹消したいと思っていた。


 ただただ、惨めな存在だった。


 例えようのない、どうしようもない辛さで満たされていて、逃げるように自宅を飛び出した、哀れな敗北者でしかなかった。


 それが、こちらの世界に来て、環境も、生活も、なにもかもが変わってしまって、あの頃が、完全な過去となってしまった今では……。


 そしてふと、先の岩石の村の護衛のみんなの、雄々しい見送りの姿が、頭に浮かんだ。


 「……僕自身、本当に当時は、精神的に病んでいましたし、」


 マナトは、隣で歩くサーシャに言った。


 「忘れたかったですし、忘れようとしていましたし、実際、忘れていってるんですけど……」

 「……」

 「すべての記憶が消えてしまうことは、ちょっと、違うかもしれないかもって、思うように、なったかもです」

 「そう……」


 マナトはサーシャを見た。


 「あの、サーシャさんを守る護衛の皆さんに、出会ったからかも、しれないです」

 「えっ、どうして?」

 「今度は、一緒に行くからって、一番傷を負った護衛の方から言われました。彼らは、もう、過去を乗り越えようと、決意していましたので」

 「……うん」


 ……あっ、笑った。


 嬉しかったのか、マナトに返事をしたサーシャの口角が、上がっている。


 少し目を細めて、白い歯を見せて笑うサーシャはまるで、白い雌しべに金色の花びらをつけた花が、パッと咲くように美しかった。


 「……どうしたの?」


 サーシャの笑顔に、マナトは見とれていた。


 「へっ!?い、いや、別に、なんでも!」

 「でも、世界のすべてを破壊する魔王が、現れたら、誰だって……」

 「……へっ?いやいや、ちょっと」


 マナトは苦笑した。


 「そんな、魔王なんてもの、いないですよ、僕がいた日本には」

 「……そうなの?」


 もとの無表情に戻ったサーシャは、後ろを向いた。マナトの後ろには、ラクトが歩いている。


 サーシャはマナトから離れ、ラクトのもとへ。


 「どうした?」


 隣に並行して歩き出した無表情のサーシャに、ラクトは言った。


 「……別に」


 そう言いつつも、ラクトの隣で、サーシャは歩き続けている。先のマナトの前で見せた笑顔とは対照的に、若干、目じりに鋭さを感じる。


 「なんだよ、ぜったい、なんかあるだろ。気になるから、言えよ」


 しびれを切らして、ラクトはサーシャに再び言った。


 「……昨日、はじまりの草原で聞いた話と、ちょっと違ってた」

 「あぁ、マナトのことか?えっと、俺、なんつったっけ?」

 「平和な世界に突然現れた、すべてを破壊する魔王に立ち向かって……」


 ……なんかものすごい、ラクトに過去を改ざんされている!?


 マナトの過去に関して、もはや無茶苦茶なことをラクトはサーシャに語ったようだ。


 「やれやれ、もう、ラクトったら……んっ?」


 と、今度は、召し使いのほうが振り向いて、マナト、また奥で話すラクトとサーシャに目線を送っていた。

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