始まりの章 第1話 奴隷戦争

どこを見ても灰色の空。立ち上るのは黒い煙。すっかりガス臭くなったこの街を馬車で歩いて約十分。揺られ着いたのは競売場、と言っても俺は奴隷を買うわけじゃない。……正確には奴隷を買ったのだが買ったのは俺の親だし、俺は買ってない。そんで俺はそれを受け取りに来たんだ。……まったく、父の奴隷好きも困ったものだ。遺書にお前の奴隷も買ってやったぞ、好きに使えなんて書いて。しかもなんの悪意もなく。……悪意がある方がまだ良かった。彼らは自分たちの好きなものを子供に渡しているから悪くはないんだ……そう思っているんだ。でも、好きになれない。だいたい俺は奴隷制度そのものが嫌いだ。この国の狂った仕組み。……俺は競売中で最も安い奴隷を買うように求めた。そしているのがこいつだ。

常に無言で髪が長く、人が言うにはすごくブサイクだという。だが、平民出のくせに文字も読めるし、命令には忠実だから値段の割にはだいぶ使えるみたいだ。

「おい、お前。今日から俺が主人だ」

「……ご……しゅ……人……さま」

恐る恐る俺の称名を呼ぶ女。俺はそいつの飼われてる首輪を掴んで馬車に押し込んだ。その女は目を見開いてこちらを見ると少し微笑んだように見えた。多分気のせいだろう。またも馬車に揺られたどり着いた我が屋敷。そこらの領主と比べてめちゃくちゃでかいここは、もう俺だけのものだ。執事もメイドも召使いももう俺のものじゃない。また雇い直し……とはならない。あの執事たちは自ら俺に仕えると言ってきたから。

この家に入ると迎えがずらりと同じポーズで立っている。俺はそれを煩わしく見ると執事が語り出した。

「おかえりなさいませ、フリージア様」

「ただいま爺や」

「そちらは……新しい奴隷ですか。いかがいたしますか?」

「おい、お前」

「……」

無言の反応を返す。

「身体は自分で洗えるか?」

「……はい」

「そうか、なら、大浴場で体を洗え。そんな

汚い体でこの家に入るな」

その奴隷は土を被り、埃をかぶり、すっかり灰色になっていた。

「わかりました……」

奴隷は執事の後に続いてお屋敷の大浴場に行った。俺は上着を脱がせ、楽な格好をした後、執務室に向かった。そこは俺の仕事に必要なものがある。王族からもらった作戦書、暗殺計画の企画書、処刑人の連行。こんなことをするのはうちくらいだろうが、基本俺の家は汚れ役を買う代わりにお金を買っていた。だからこんなに裕福なんだ。でも、こんな狂ったことをしているから少しずつ壊れてくるんだ。俺の親は奴隷を買っては毎日夜遊びにふけっていた。何をしていたのかはよく知らないが、あの奴隷たちがボロボロになって出てきたところを見ると悪趣味なことをしていたのは伺い知れる。……嫌なものだな。あの人たちは何も悪くないのに。

コンコン

ノックの音が俺の思考を遮った。

「失礼します」

入ってきたのはあの執事と奴隷だった。すっかり綺麗になった女は白い肌を見せ、長い髪は彼女の顔を全て隠している。

「……ご苦労、お前は下がれ」

「はっ」

ここで彼が下がってくれるのは俺への信頼があるからだ。俺は奴隷好きなあいつらと違ってちゃんと調教ができるから。

「だいぶ綺麗になったな」

だが、気になるのは……その長い髪だ。よく見ると全ての方面に生えた髪は床に届きそうなくらいに伸びている。綺麗な黄金の髪だが、これでは顔も見れない。

「お前、その髪をなんとかしろ」

「……なんとか、とは」

「短く切るなり、束ねるなりしろということだ」

「かしこまりました」

彼女ははっきりと応えた。すると重ねてこう言った。

「ご主人様、ハサミをお借りしてもよろしいですか?」

「ああ」

そういうと俺の机からハサミを手に取るとそれを髪に滑らせてバサリと切り落とす。少しずつ彼女の顔が明かされていく。やがて全て切り終えたのか、彼女はハサミを下に叩き、付いていた髪を全て払い落とすと、髪を拾い上げ、部屋を出た。

「お、おい……」

そのすぐ後、彼女は箒を取り出し、部屋を掃除し、その箒を手に持つとこう言った。

「終わりました……あ、」

ぽかんと顔を浮かべた。その顔は深海のごとく深い青色を染めていて吸い込まれそうなほど魅力のある目がある。薄い桃色の唇、赤らんだ頬、この女を美女と呼ばず、なんと呼ぶのか、そして髪の切り方、床まで伸びた髪を肩下まで切り、その髪を頭の後ろに束ねている。明らかに手慣れてる。この女、絶対あの金額で売り出される奴隷じゃないな。

「申し訳ありません。片付けまでは命令されていませんでした」

「まあ、よい。片付けは癖か?」

「はい。……ほとんどのご主人様は奴隷の汗や垢でさえも嫌いますから」

「なるほどな。お前が使えるやつだというのは理解したよ。……うん、その方が綺麗だ」

主人と普通に話せる。おまけに綺麗な敬語、ますます怪しい。

「ふむ……しかし、……いや、お前、仕事は何ができる?」

「料理、掃除、洗濯、教師、兵士……などですね。基本、なんでもできます」

「ほう、ならば戯行はできるのか?」

「……もちろんです」

ならこれからは少し楽しそうだ。俺は醜くほくそ笑んだ。


俺の思考を遮ってまたもノックの音が聞こえる。

「失礼します。……本国から出撃命令が出ております」

「こんな時に?」

今は隣国と休戦中だったはずではなかったのか。

「はい。油断しているうちに袋だたきにすると、陛下はおっしゃっていました」

「そうか。……おいお前、戦えると言ったな?実力を見せてもらおうか」

「かしこまりました」

端的にそう言い放ったその唇は大きく微笑んで俺を見つめている。その艶やかで柔らかなそれはとても美味そうに見えてしまう。こちらは獣でもなんでもない……。


来て当日に戦争とは運がないな。……だが恨むなよ、悪いのはこの国なんだから。この国では奴隷を兵隊として扱う奴隷制戦術が主流だ。なんでもいうことを聞く奴隷は駒として扱うのに都合がいいのだ。おまけに死んでも問題がない。だから数多の奴隷が投じられる。奴隷法の一つに戦果を挙げた奴隷を解放する約束事が書いてある。これのおかげで士気も高いし、困ることはない……はずだった。従順だが臆病だし、見返りが惨めすぎる彼らには士気を高いまま保つのは困難で、逃げ出すものも多い上に弱いから負けるのが早い。だから彼らは時間稼ぎに使われるんだ。その時間稼ぎにあの娘を投じるのだ。今回の作戦で。

土埃の匂いが鼻をかすめてくすぐってくる。俺は貴族なので騎乗して戦場を見る。相手の数は圧倒的だ。おまけに裏切られて激昂してるのでさらに厄介だ。こんなことにになるとわかっていたから今まで平穏を保っていたのに、血の気の多い連中のせいで平和が血の世界に染められてしまう。なんて悲しいのだ。そんなことを意に返さず、目の前の奴隷たちは前に立つ。

角笛がなった!開戦だ!

すると……陣形は崩れ……え?

一番前に立っていたあの娘は先陣を切って次々と敵兵を倒していく。右、左、斜め、と手に持っていた短剣?……いやナイフを首になぞり、血しぶきを上げていく。どんどん前に行き、気づけば彼女の周りは死体だけが転がっていた。……なんて強さだ。たった一人で何千もの兵隊を崩してしまうなんて。彼女は止まらない。草を、土を蹴り分けてどんどん走っていく。向かってくる敵兵を切り裂いてどんどん走っていく。やがてその足を止めると、後ろの奴隷たちを見た。

「お前たち、何をしている?自由を勝ち取るチャンスを私に取らせる気か!進め!奴隷たち!自らが強き人間であることを証明して見せよ!」

すると、恐れで震えていた奴隷たちがまるで人が変わったかのようにどんどんと前へ出て、敗北寸前の無計画な作戦を完全勝利寸前の状態にまで持ち上げている。彼女が先陣になり、後に続く奴隷たち。本当にあの女、平民なのか?どうしたって指揮力の高い英雄のように見えるが。俺はしばらくその戦場を眺めているとその光景に捕らわれた俺の体を貫こうと脇から敵が現れた。……しかしその敵は瞬きの間に血しぶきとなって散ってしまった。

「おや、……失礼いたしました。ご主人様にお力をお見せするよう、命令されただけでしたのに、命令違反ばかりしてしまいますね」

「全くだ……帰ったらお仕置きだ。……だが、良くやった」


この戦い。無謀な戦い。それらは全て圧倒的な勝利によって初めから優勢な戦いだったと歴史上では語り継がれる。俺は勲章を与えられ、約束通り、多くの奴隷たちは解放された。おまけに奴隷は一人も死なずに。屋敷に戻り、着替えをすませると気まずそうな顔をしたあの女がいた。

「おまえ、」

「……」

完全にそっぽを向かれてしまった。がしかし、この場における権力は俺が一番上だ。何が何でも従わせる。

「全て吐いてもらうぞ、おまえ、平民出じゃないな。おまけにそこらにいる人間とは桁違いに力がある」

「……」

「おまえは何者だ?……主人に隠し事したままでいるなら……」

「なら、どうします?」

「……っ、報復さ」

ふっ、と空気に弾け飛んだ笑みの息。女はこちらを見て笑顔を浮かべている。

「それは恐ろしいですわ。……お話しします。私、カトレヤ・イル・エリザベヘルと申します。……この世の終末を待ち望む地獄の使者の一人、ですわ」


「……は?」

地獄?終末?……そんな奇想天外な話が、本当にあるのか……

「ご主人様、残念ながらこの話は本当です。……証拠に空をご覧ください」

はその言葉に従った。窓から空を見上げると今まで見たこともないような紫色の空がこちらを見てほくそ笑んでいた。その笑みが信じられなくて、でもムカついて俺は女……カトレヤの細く白い腕を掴み上げた。

「……落ち着いてください。終末が訪れるのは嘘ではないのです。……そもそも人間達にも通達は運ばせたはずです」

「通達?」

「はい。……予言書がわかりやすいですね。その本には世界の終末が三日後に行われると記されていたはずです」

「……そんな」

俺は床のカーペットを手のひら二つで触る。座り込んだ俺の腰は伸びることはなく、へこたれている。

「ですがご安心ください。この終末というのは世界の破滅のことではありません。世界の理が変わる。……ただそれだけです」

「だが、その理にそぐわない者は消滅するのだろう?」

「……その通りです。……しかしご主人様、貴方は終末を告げる使者を飼っておられます。そう言った方は例外的に破滅を免れるのです」

「本当か?」

「はい。……ご主人様」

俺は滅びなくていい、のか。なんの面白みもない世界が終わって新しい時代が訪れる。その訪れを自らの手で見ることを選べた。……これは幸運なのだろうか。いや、不幸なのかもしれない。

「カトレヤ、……こっちに来い」

「はい。……っ!あっ、ちょっと……」

「ははっ、珍しいなおまえが慌てるなんて」

「す、すみません……慣れないので」

「謝る必要などない」

世界の終末。それが訪れるまでこいつと戯れるのも悪くない。退屈の解放まで踊り尽くして終わりを見届ける。今、少し……いや、大いに楽しみだ。


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