第2話 ブリキの金魚


 時折に、ホームセンターのガーデニングコーナーに足を運びます。


 暑い夏日には、人影も少なく、ゆっくりと一巡りして、秋に向けて、何かいいものはないかしらと思いを巡らすのです。

 陽射しがじりじりと音を立てて、私のいくぶん広くなったおでこに当たります。


 今日はいつものハットを置き忘れてきてしまったのです。

 ここに来る前、私は港に行って、船に乗ってきていたのです。


 風が思いの外強く、ハットが飛ばされそうになったので、それで脱いで、そのまま船に置き忘れてきてしまったのです。

 コアラの国で買ってきたハット、メイドインチャイナのハット、どうか、風に飛ばされてどこかに行かないように、あこぎな釣り人が船に乗り込んで、それを持っていかないようにと願いながら、私は、額に汗をして、外に設けられた売り場を巡っていました。


 売り場の一角に、陶器でできた金魚が売られていました。

 大きいのと、小さいのと、色鮮やかに塗られて、お湯になってしまった水鉢の中でゆらゆらと揺れていました。


 我が宅の、睡蓮を枯らしてしまい、今は何もない大鉢にいいではないかと、私、それを三つほど手にしました。


 あっ、そうだ、こんなことを死んだ母が言っていたと、炎天下の売り場で思い出したのです。

 

 私が、陶器ではなく、どこかで懐かしさのあまりに買ってきた真っ赤なブリキの金魚を本棚に飾っていて、それを母が見つけて、物語った話です。


 母の実家の二軒先に大きな家がありました。

 そこは、ブリキ工場で、ブリキのおもちゃを作って、その多くをアメリカに輸出していました。だいぶ羽振りが良かったと、戦前の話ですが、そう語り始めたのです。


 そのうち、戦争が始まり、輸出がままならなくなり、国内向けにおもちゃを作るようになり、その一つに、ブリキでできた「浮金魚」なるおもちゃがあったと言うのです。

 私の書架に飾ってあるそれが浮金魚というやつです。


 水に浮かべて、ゆらゆらと浮かぶさまを愛でたり、あるいは、お風呂に浮かべたりするおもちゃです。


 でも、そんなこと、鳶を職とする母の実家ではあり得ないことです。

 ですから、きっと、母は買ってもらえない、だから、そんな金魚を欲しかったに違いないのです。


 書架に置かれたブリキの金魚を手にとって、それを撫でて、そして、言葉を継いだでのす。


 おばあちゃんが、この金魚、買ってきたんだよって。

 

 その頃、母の実家のある下町は、時折、B29の空襲を受けるようになっていました。

 すでに、隅田の川筋の街は相当なダメージを受けていました。荒川を越えて、さらに中川を超えた先にあった母の実家も、もはや時間の問題です。

 焼夷弾を落としても燃えるところがなければ、燃える家があるところに爆弾を落とすのは当然のことだからです。

 だから、おばあちゃんは、そのブリキの金魚を買ってきたのと言うのです。


 何かのおまじないかな、と私、思いました。


 案の定、当時の、東京に暮らす人々の間で、まだ焼かれていない家では、金魚が身代わりになってくれるなどと言うことがまことしやかに伝わっていたのです。

 しかし、戦争のさなか、埼玉は川口あたりで養殖されている金魚が手に入るわけもなく、人々は、陶器でできた金魚を手に入れては、空襲で家が焼かれないようにと願いをかけていたのです。

 おばあちゃんは、その陶器の金魚も手に入れることができずに、近所のあのおもちゃ製造工場に出かけて、そのブリキの金魚を手に入れてきたのです。


 炒った大豆をモンペのポケットに入れて、寝巻きに着替えることもなく、寝床に入って、サイレンがなれば、すぐに起きて、家のそばにあった中川の土手に逃げるのです。

 

  B29の銀色の機体が、低空で空を飛んで行くのを、綺麗だなぁて見ていたと言います。

 B29は、母の家の上を飛んで、西に向かい、東京の山手のあたりを空襲するのです。


 B29が探照灯に照らされて、ゆうゆうと飛んでいくのに、日本の飛行機は一機も飛んでこないって、文句を言い、たまに飛んでくれば、すぐに撃ち落とされてしまうって、これも文句を言い、ある時は、B29が撃墜されて、機体が大きく揺られて、落ちていく様を皆で拍手して見ていたと言うのです。


 そうそう、炒った大豆は、そういう時に、ポケットから取り出して、口に運び、丹念に噛んで、そして、飲み込んだと言います。

 母たちは、その頃、夕食など食べていなかったのです。

 朝と昼は、体を動かさなくていけないから、大根を刻んでそれをご飯と一緒に炊いて食べ、あるいは、芋を蒸して食べはしますが、夜は寝るだけ、食べてエネルギーを摂る必要はないとそう考えて、節約をしていたのです。

 だから、腹が減って、眠れなくなったら、それを一掴み口に入れて、よく噛んで、時に、水をたらふく飲んで、その水で噛み砕いた大豆を腹のなかで膨らませて、飢えをしのいでいたのだと言うのです。


 そのブリキの金魚のおかげもあったのでしょう。


 母の実家は、あの東京大空襲さえも生き延びたのです。

 中川の土手から、たくさんの水ぶくれになった死体が浮かんで流れているのを母は見たと言います。

 熱さで川に飛び込み、溺れ死んだのだと言います。


 焼け死んでは真っ黒焦げ、溺れ死ねば水ぶくれ、あぁ、戦争なんてもう嫌だと、母は私の書架の金魚をそこに戻しながら、吐き捨てるように言ったのです。


 三びきの手にした陶器の金魚を、私は、それをお湯になってしまっている水鉢に戻しました。


 ミサイルをぶっ放しては喜ぶ国もあれば、船をよこしたり飛行機を飛ばして威嚇する国もあるけれど、この豊かな国の、整然とあつらえられた街を破壊にくる国はあるまいとそう思ったのです。


 我が宅の水鉢は、空っぽのままでいいと、その方がいいと、そう思ったのです。

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