ブリキの金魚
中川 弘
第1話 黄昏れの時が一番だって
一日のうちで、どの時間の時が一番いいって、問われたことがあります。
夕方の、公園の、滑り台の登り口で、同じ学校の同じクラスの女の子からです。
わたしは、滑り台の階段をのぼることもできずに、手すりに片手をかけたまま、そして、自分たちよりもずっと小さい子たちが、私と手すりの間のわずかな隙間をくぐって階段をのぼっていくのを見ながら、私はなんでそんな質問をするんだと多少の憤りを感じながら、思案顔をしていたのです。
……そんなこと、考えたことない。
……なんで、そんなことを、この子は、私に問うてくるのかって、私より背丈が低い、その女の子を見下ろして、私は考えていたのです。
そこへ、いつもの遊び仲間が自転車に乗ってやってきます。
水雷艦長やろうぜって叫んでいます。
こうして、女の子と一緒にいることに不審の目を向けられたら、たまったもんじゃないと、私は、「そんなこと知らない。あっちへ行けよ」って言って、滑り台の階段を上り、女の子のいる方と反対の方へと滑り降り、やってきた遊び仲間と、当時、もっとも流行っていた「水雷艦長」という追いかけごっこを始めたのです。
ジャンケンをして、ふたチームに分かれます。
ひとつチームは、最低三人編成です。
ジャイアンツのマークのついた帽子をちゃんとかぶった子が戦艦。
ツバが後ろにくるようにかぶるのが、駆逐艦です。
水雷艦は、帽子を後ろのポケットに入れてかぶりません。
戦艦は駆逐艦を、駆逐艦は水雷艦を撃沈することができます。
追いかけてタッチすればいいのです。
戦艦が撃沈されれば、ゲームは終わります。
基地もそれぞれに設けました。
その日は、私のチームは、滑り台の真下です。相手チームは、公園の端にある大きな柳の木の下です。
そして、私は、戦艦です。
駆逐艦と水雷艦に伴われて、相手の戦艦が近づいてきます。
こちらの駆逐艦と水雷艦も出ていきます。
あとはかけっこの速さです。
隙をついて、戦艦の私が、相手の駆逐艦もしくは水雷艦を追いかけます。
そんな他愛もない遊びです。
ふと見ると、あの女の子がまだ滑り台の下にいるのです。
私たちがやんや言いながら、おいかけごっこをしているのを、そこにたたずんで見ているのです。
時折、私の背後に、敵の戦艦が近付くと声を出して教えてくれます。
しばらくすると、ずるいって声が掛かったのです。
そりゃそうです。
私たちのチームには、もう一隻軍艦がいるようなものですから、当然です。
だから、私、あっちへいけよって乱暴なことばで、その女の子のワンピースの一端をつかんで言ったのです。
とても、悲しそうな顔をして、女の子は滑り台から離れていきました。
いつだったか、学校からの帰り道、その子が私の帰り道にいたのです。
その日は、何かの事情があって、私、一人での下校であったのです。
ですから、この子は、すでに学校をひけて、ランドセルもなく、また、学校の方に戻ってきたことになり、そこで私に出会ったということになるのです。
お金いるって、その子、私に言うのです。
わたしは、なんだってとその言葉を聞き返しました。
飴玉とか、クラッカーではなく、たしかに、お金って言ったからです。
そして、その小さい手には、十円玉がたくさん握られていました。
それは、その時の私にとっては、とてつもなく大きな額のお金でした。
当然、その頃の私、同じ年の子供たちが持つような金額ではありませんでした。
きょうは、公園に紙芝居がくると言う日、五円をもらって、それで、水飴を買って、紙芝居を見るのです。
その五円が運悪くなければ、遠くからながめていればいいだけの話です。
それにしても、こんなにたくさんのお金、この子はなんでもっているのだろうって、私、幼心にも心配をしました。
あの滑り台での問いかけにしろ、このことにしろ、私には、ちょっと近寄りがたい怪しげな雰囲気をもつ女の子だったのです。
しばらくして、その子が家の事情で転校したことを知りました。
いや、その子は、ついこの間、転校してきたばかりなのに、もう、転校してどこかにいってしまったのです。
そんなことがあったって、近くの公園で行われている、地元の祭りの日の夕暮れ時に思い出したのです。
かつてのスポーツクラブのメンバーと、団扇を仰ぎながら、ビールを飲み、ピーナッツをつまみ、冗談をとばしあいながらの合間の出来事でした。
あの子、なにか、私に言いたかったのかしらって。
それとも、助けてほしかったのかしらって。
何十年も経って、そんなことを公園の片隅で、いいおじさんになって、私は憶いだしたのです。
随分前に録音された祭囃子が際限なく流される、蒸し暑い夕暮れ。
公園の雑木林の向こうをオレンジ色に染める夕景を見て、「僕は、朝の光景より、夕景の方が良い」そう言うのを、あたかもそこに、あの子がいて、私を見つめて、その答えを喜んでくれたことを想像したのです。
みな、あの日の若き日の面影を宿しながらも、それぞれが黄昏時の人生を送っている。
仕事つながりではなく、ひょんなことからチームのメンバーになって、たかだか数年プレーしただけなのに、こうして祭りの日に集まるのだから、すばらしいとそんなことを思って、そして、ふと、何十年も前の、普段、記憶にものぼらないことを思い起こすのです。
これも黄昏時の雰囲気がそうさせたものだと、そして、きっと、あの子、そこにいる近所のおばさんのように図々しくなって生きているに違いないって思ったのです。
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