4 喉下しの酒
——私は紙の群れから一旦距離を取ることにした。
「……っ」
正座には職業柄慣れているから特段気にはしていなかったのだけれど、それでも違和感を感じるほどには時間が経っていたらしい。じんわりと侵食するように違和感が足を巡り始める。
痛みが取れた頃、喉の渇きを無くすために厨に足を向けた。冷蔵庫には何か入っているはずだったし、コップもきちんと洗われているのが戸棚に並んでいるべきで、実際そうだった。適当に一つを手に取り、冷蔵庫にあったガラス瓶…スパスをコップに注いだ。そう、スパスだ。
深い緑色の瓶に入れられた液体の名はスパス。
レモネードを基本にしたリキュールだった。俺と、萩原と、佐々木、江里崎の4人で作った酒。西洋かぶれの佐々木が勤めていたバーから持ってきた酒に中々舌の肥えていた萩原が自分好みに改良して、俺が元々の酒の代用品になるものを探して(佐々木が持って来たものはひと瓶で相当な女を買える値段だった)、江里崎は直接味に関わったわけではないが保管場所として役立ってくれた。4人の中で唯一自分の部屋、それも絶対に立ち入られない部屋を持っていたからだった。
学生の時分で酒を飲むことはギリギリ許されていた。それでも非合法ではあったからそこはかとない背徳感を楽しむにはこれと煙草がもってこいだった。微妙な位置にいた我々にはとてもありがたかったのだ。
コップになみなみと注がれたそれを一気に呷る。別に度数は高くない。希釈に希釈を重ねて、ズルズルと飲めるようにしてあった。私たちはずっと話し続けることが多かったから…
今、私の足元にあの猫が擦り寄って来ているように、我々はこの家に寄り付いた。ふらっ、と立ち寄ることもあれば大学が終わってその日の講義の文句を言い合うために。いつかは地図を広げて旅行の計画を立てたりもした。その名残はさっきまでいた部屋の壁にある。幾つかのうちの一つは実行に移され、卒業旅行ということで京都に行った。バスと電車を乗り継いで保津峡に、戻って来る時には途中で降りて竹林へ。散々歩いて結局疲れ切って嵐山に宿を取りなおしたのを今でも覚えている。
こと
と、音を立てる。からの器は仄かについた水滴を机に落としてしんとする。
全くどうしたものか、この家はまさにそれだった。
ただある。
ただ、置かれて在る。
中身は誰に飲み干されたのか、全く無い。飲みきれなかった微かな量の水分がそこに残っているだけで、それもいずれ蒸発して消えて行くのだ。佇むとも、言えぬ、様である。
そう。
いっそもはや。
在るとも言えぬ、様でも在るのだ。
在ることすら忘れてしまっているように…
”しん”としている
「んなぁああ」
微妙な沈黙は猫が破る。
目端に襖を開ける姿が映った。ともに、流れ出る紙端の数々も。
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