2 緞帳
大學生であった。
しかし私が萩原伊沙楽の名を初めて耳にしたのは
姿を見かけたかもしれない。或いはその後ろに立ったことがあるやもしれない。
だが彼を彼だと認識して姿を見たのは大學生になってからだった。
中等学校の、二年になる時、学級分けの表を見た。母方の祖父が萩原という名だったからか、それとももっと別の理由、例えば伊沙楽という名の響きや変にこねくり回したような漢字、兎も角その名によく惹かれたのを覚えている。そのあとになって萩原伊沙楽の名を聞くことは卒業式の日まで終ぞなかった。
だからかもしれない。
大學生になって初めてその音を聞いた際に、ふと、身体が浮くような感覚を覚えたのは。
件の大學生に慣れた頃。
当時の下宿先の先生の家から学校は少し歩く距離にあり、下駄を減らすには充分だった。先生は荒っぽい気性の割に親切にしてくれる人だったから、玄関にある私の下駄を見兼ねて新しいものにそっと変えてくれていたりした。履いていいのですか、とたんびに聞く必要なかった。先生の奥さん——元々は戦争未亡人であった——が朝飯の時に言ってくれるのだ。
そういう事だから、私の下駄事情は大体いい塩梅にある。遠慮はまだあったけれども、知らぬうちにそうなっているのだから仕方あるまい。しかし奥さんも鼻緒の寿命まではわからなんだ。
からんと走っているうちよろけてしまい、変えたばかりなのに、と足元を見れば物の見事に鼻緒がぷっつりとしている。不幸中の幸いとでも言おうか、市中を流れる川を眺めるためのベンチが近くにあった。柳の下のベンチはハイカラにも鉄製で、細かい西洋細工が施されていた。
どうしようか
紐も布切れも何も無い。
けれども、目の前には、1枚の端切れがあった。縮緬だ。
『使えよ。君、運が良かったなぁ、ちょうど使おうと思って持ってきていたんだ』
荻原の声を聞いたのは、それが初めてとなった。
荻原の手には縮緬の端切れがひとつ。その反対側の手には鞄と下駄が一組。片方は鼻緒が切れていた。
荻原はこういう人間だった。
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