3 回顧と展望



 楮に描かれた世界の作者に、およそ綿密、という言葉は似合わない。

 そしてそれは俺と荻原の関係にも言えたことである。

 ガァゼのような感じである。医療用の、端が縫われてない、解けてしまうあのガァゼ。しかし重ねれば厚くなり、血を含むことができる――。

 それは変幻自在の関係であった。

 それはあいつの性格であった。


 あるときは天才で

 あるときはしめやかに

 あるときは老婆のよう

 あるときは小鳥である


 しかし一番占めているのは物書きのあいつだ。特に詩歌が大部分を占めている。そのときのあいつはとんでいる。とぶ…そう、とんでいるのだ。どこにでも、どこかへ。そうして息の如く吐き出されるアレらは真白い紙を汚していく。水に浮かべたら、ぞぉ、と沈んでいくだろう。そういう重みを持っていた。それが心地いい。軽すぎる俺にはちょうどよかった。


 どうして生きているのだろう、と考えたことがあるだろうか。


 あいつの詩歌はほとんどそういう問いかけのものだった。雲を掴むようなあやふやな、どうしてか全てが、どうしても哀しい方向に向かってしまっていて。

 もしくは愛を問うている。

 尽きることのない愛が欲しいとも。

 万年筆から染みでる黒い線たちがあいつの想いを具現化していく、かわいそうなくらい切実な思いが溢れてとどまることを知らない。紙の海ができて、いくら氾濫しようとも誰にも伝わることがなく、結局所在無げに泣いている姿が容易に想像できた。


 あいつはどうしようもなく可哀想な人間だった。


 どうしたって伝えるすべを持たない。外に出したって屈折してしまい、元の形のまま目にすることは叶わない。

 よく言っていた。

「人と喋りすぎた」

 その言葉を口にした次の日は絶対に部屋から出てこない。一歩も。ぴたりと閉められた障子の向こうで…あいつは、何をしていたのだろうか。たった一枚の紙だけれども、絶界するには十分すぎた。


 あいつは可哀想な人間だ。

 だけれど事実、それが本当かすらわかっていないのだ。

 私とあいつは重さが違いすぎたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る