エピローグ

第130話 エピローグ(1)

 ――時は流れ、約二年の歳月が経過した――






「やぁだぁ!!いっちゃやぁだぁああ!!!!」


 幼子の甲高い泣き声が広い玄関ホールに大きく反響する。

 高い天井に吊るされたシャンデリアは、泣き声が引き起こす空気の振動でぷらぷら揺れ、白と黒のブロック柄の床も小さな足で地団駄する度に揺れる。開け放した玄関扉をそのままに、泣き叫んで外出を阻むカシミラにウォルフィはすっかり困惑していた。

 抱き上げて宥めるべきか、どうするか。

 小さな手がきつく握り締める軍服の裾は皺が寄り、垂れ落ちてくる涙や鼻水で汚れてしまっている。

 そんな彼の元へ、救世主たる人物――、彼と同じ薄茶の髪、青紫色の瞳を持つ、十代後半の少女が廊下から玄関へと慌てて駆けてきた。


「ダメよ、カシミラ!」

 ヤスミンはカシミラの後ろから両脇を掴み、ウォルフィから引き離すべく羽交い絞めにした。だが、カシミラも負けてはいない。

「うわぁあああん!!」

「あ、こら!暴れない!!」

「ばかー!おねいちゃん、ばかぁああー!!」

「あー、はいはい!バカで結構!おやんちゃ言うカシミラだっておバカですー!!」

「うわぁああああああああん!!!!」

「……二歳児と同レベルだな……」

「パパは黙ってて!」


 妹の渾身の抵抗をものともせず、呆れ返る父も無視して。ヤスミンは反り返って泣き叫ぶカシミラを強引に引き剥がす。

 すっかりご機嫌斜めなカシミラ、今度は床に張り付くように突っ伏し、更に激しく泣き出す。

 叱るでも慰めるでもなくヤスミンはカシミラを泣かせたまま床に放置、それよりも……とウォルフィに向き直った。


「あぁ、軍服に鼻水が!今綺麗にするから!」

 先程までカシミラが握り締めていた軍服の裾を指先で軽く撮み上げ、詠唱する。ヤスミンの手が薄桃色に光り輝くこと数秒、皺も汚れも消えて元通りに。

「悪いな、助かった」

「いいの、いいの!それよりも早く行きなよ!新設した児童養護施設の視察にギュルトナー元帥夫妻と行くんでしょ??」

「あぁ……」


 短く返し、次いで、床に這い蹲って泣きじゃくるカシミラにちらと視線を移す。見逃すことなく、ヤスミンはふぅと息をつく。

 ウォルフィの二の腕に手を伸ばし、皺が寄らない程度に掴んで身体の向きを反転させる。


「ほら、早く」

「おい、ヤスミン、そう押してくれるな」

「いってらっしゃい!気をつけてね!!」


 半ば追い出す形でウォルフィの背中を玄関ポーチへと押し出し、さっさと扉を閉める。嫌いだからやっている訳ではなく遅刻させる訳にはいかないから、ちょっとだけ邪険な態度をあえてしてみせただけだ。


「もう、パパ大好きなのはよーく分かるけど、お仕事出かける邪魔しちゃダメだからね!!起きなさい!!」


 まだ床に伏したままのカシミラに呆れ果て嘆息すると、今度は両脇腹に手を入れて抱き起こそうとする。

 カシミラもカシミラで、意地でも姉の言う事など聞いてやるものかとばかりに、「いーや!!いや!!」と叫んでは床にへばりついている。


「ちょ……、っと!いい加減にしなさい、もう!!……って。きゃあぁぁ!」

 やっとのことでカシミラを床から抱えあげると、ブチィッ!とゴスロリ服の胸元の釦が引き千切れ、弾け飛んでいく。床を転がっていく釦をヤスミンとよく似た白い手が拾い上げた。

「ちょっと、さっきから二人して何を騒いでいるのよ」

「だって、だって……」

「またシャツのボタンがはじけ飛んだの……。さ、カシミラもいつまでもぐずぐずとぐだるんじゃないの」


 胸元を抑えておろおろするヤスミン長女と、吃驚して大人しくなったカシミラ次女双方を嗜め、近づいてくる影――、彼女達の母シュネーヴィトヘン、否、リーゼロッテだった。


 リーゼロッテは二年前のイザーク討伐の際、命と引き換えに彼を討ち取ろうとした、瀕死の最中でありながら結界強化を施した功績で恩赦という形で保釈された。

 しかし、保釈を掲示された当初、リーゼロッテは頑として首を縦に振ろうとしなかった。

 あの程度の功績では贖罪にすらならない。ましてや、軍部の命に背き勝手に魔力封じを解除したのだ。

 罰せられるならまだしも、絶対に許されてはならない――、と。



『――だったら、もう永久に魔力を封じちゃえば良くないですか??魔法を使うだけが贖罪とも限りませんしー。それに、リーゼロッテさん自身どうあれ、魔女が魔力を封じられるのは最もたる屈辱です。ただし』

『ただし――??』

『外見だけは今の若い状態から年を経ていくようにしましょう。だって』

『だって??』

 鳶色の双眸が、ふにゃり、半月の形に変わる。

『お子さん、沢山欲しいでしょー??』


 へらへら笑いながら、いけしゃあしゃあと述べられた一言。

 拍子抜ける余り、意地になっていたのがとてつもなく馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 結局、最終的には魔力を永久に封じられた上で保釈され、ウォルフィや娘二人と共にアストリッド邸で暮らし始めた。

 各児童養護施設、自身が収監されていた魔女の刑務所等での慈善奉仕活動に勤しみながら。特に、児童養護施設での活動は積極的に取り組んだ。


 かつて殺めてしまった、夫と自分と同名の子供達への贖罪の意識から――




「はい」

「う、ありがとう……」

「ママ!!」

 釦をヤスミンに手渡すリーゼロッテに、飛びつかんばかりの勢いでカシミラが脚に抱き付いてきた。

「カシミラ、そんな風に飛びついてママが倒れでもしたら危ないでしょ」

「大丈夫、これくらい平気よ」

「へーき!」


 カシミラは母の言葉を真似すると、膨らみが目立ち始めた腹を怖々と撫でる。むー、と、ヤスミンはなぜか思案顔で母と妹を交互に見やった。


 黒髪黒目の美女と美少女、見れば見る程そっくり母子で、唯一似ていないのは色白かそうでないか、くらい。

 自分はと言えば、昔から髪と瞳の色、顔立ちは父そっくり、今も全く変わらず。

 生まれ持った魔力の影響で成長が遅く、更には成長する際はある日突然、身体に急激な変化が訪れるのだが、最近では身長まで父に似てしまい、現在一七〇㎝半ばまで伸びてしまった。

 ただでさえ鋭い目付きがコンプレックスなのに、身長まで……、父のことは好きだがこればっかりは恨めしかった。まぁ、どうあがいても変えられないことだから仕方ないけれど。

 釦を握りしめた手を開いた胸元に宛がい、詠唱する。色白と胸の大きさだけは母に似たのはいいが、釦がしょっちゅうはじけ飛ぶのは困りものである。


「それよりもヤスミン、貴女ももうそろそろ出かける時間じゃない??」

「あ、うそ、もうそんな時間!?」


 慌てて立ち上がろうとして、魔法で元通りにしたばかりの釦がまた弾けたら……、と思い直し、ゆっくり立ち上がる。


 今日はヤスミンにとって、待ちに待った大事な日なのだ。

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