第129話 Ray of Light(20)

(1) 

 

 遮光カーテンを閉ざした室内は薄暗く、昼間だというのに陰気くさく感じた。いくつもの衝立の影が壁や床に伸び、眠り姫の寝顔の上に重なる。

 眠り姫――、もとい、ベッドで気持ちよさそうに眠るアストリッドを、枕元の椅子に腰掛けて様子を眺める。


 イザークによる中央王都襲撃から二週間。

 アストリッドは仮眠室に運ばれたまま、未だ昏々と眠り続けていた。







 ――遡ること、数日前――




『……俺に、その役目を??』


 魔女達の治癒回復魔法で怪我だけでなく、元帥府内であれば歩き回れるまでに体力を取り戻した頃。救護室に訪れたフリーデリーケがウォルフィにある命令を下した。 


『えぇ、元帥閣下からの命令です。私も、貴方が最も適任だと思います』


 自らのものと隣り合わせにしたベッドの主、シュネーヴィトヘンを、ちら、と横目で盗み見る。

 先程打たれた鎮静剤のお蔭か、聞き耳を立てるどころか深く寝入っているようでホッと胸を撫で下ろすが、同時に気付く。


『……いつもの痛み止めと称してリザに鎮静剤を打ったのは』

『そういうことよ』

『…………』

『絶対安静の今、精神的な刺激を与える訳にはいかないもの。あぁ、ヤスミンさんには事前に話しておいたけど』

『……ヤスミンは何と??』

『正直なところ複雑ではあるけど、それしか方法がないのであれば……と、納得してくれたわ』

『……そうですか』


 両手で顔を覆い、深く長いため息を吐き出す。フリーデリーケもつられて少し困ったように嘆息し、何か言葉をかけようと――、して、結局、口を閉ざした。


『シュライバー元少尉。アストリッド殿への解呪を実行する際、必ず事前に私に報せて頂戴』

『…………』

『解呪が成功するにしろ、……そうでないにしろ、軍部の人間には結果を見届ける義務があるから。その役目は貴方が知らない者ではなく私や元帥の方がまだマシなのでは、と』

『……それも元帥の命令でしょうか』

『命令という程ではないけど……、そうね、命令に近いかしら。何にせよ、あとは貴方の決心がつくのを待つだけ』


 そう言い残すとフリーデリーケはウォルフィに背を向け、退室した。

 コツコツコツ――、廊下からは遠ざかる足音が聞こえるが、伏せた顔を上げられない。


 理由はどうあれ妻子への不義を働くも同然の行為。解呪の成功が確約されているならまだしも、そうでなければ。

 一方で、アストリッドが目覚めるかもしれない、僅かな可能性に賭けてみたい。


 相反する思考に身も心も真っ二つに引き裂かれそうだった。




『……試してみれば??』

『……起きていたのか』

『……同じ鎮静剤をほぼ毎日使用すれば、多少は耐性が付いてくるでしょ??』



 傷が疼くのに耐え、鼻に皺寄せたシュネーヴィトヘンがゆっくりと仰向けから横向きに姿勢を変え、ウォルフィに向き直った。聞かれていたか、と、内心焦るウォルフィを目線のみで見上げる。

 黒く大きな瞳に吸い込まれそうだが、その瞳には嫉妬や怒りの感情は全く見受けられない。


『前にも言ったけど、貴方はアストリッド様を愛しているわ。私や娘達に向ける愛情とは別種類、恋愛感情では全くないし友情ともまた違うものだけれど』

『リザ』

『そうね……、しいて言うなら、肉親への愛情、兄弟愛……が一番近いのかしら。あぁ、よく分からなくなってきた。だって型や定義にあてはめられる形の愛ではないんだもの!でも、これだけは絶対に言える。貴方にとってアストリッド様は必要不可欠な存在。勿論、その逆も。だから、やるだけやってみればいいんじゃない』


 何か言い返そうとした言葉の続きを待たず、シュネーヴィトヘンは再びゆっくりと寝返りを打った。今度は仰向けではなくウォルフィに背中を向ける姿勢ではあったが、別段怒っている訳ではなさそうだ。

 長い黒髪が波打つ背中には『四の五の言わず、解呪を実行しなさいよ』と書かれてあるように見えた。






 

 ガタン!



 椅子を引いて立ち上がる音が室内に反響する。

 しかし、立ち上がってからの行動になかなか移せない。天井からアストリッドの寝顔、床へと視線を往復させては無為に立ち尽くすばかり。

 往生際が悪いわね、と詰るシュネーヴィトヘンの声が聞こえてきそうで、軽く頭を何度か振ってみせる。

 以前、北部で瀕死の重傷を負った際は迷わなかったというのに。


 はぁ、と大きく息を吐き出し、天井を仰ぐ。

 右眼には宿っていた迷いは、やがて決意へと変化していく。



 ギシリ、身体の重みでベッドが軋む。

 マットに両手をついた時に胸の傷が痛み、眉間に皺が寄るも構わず華奢な身体に覆い被さった。


「もう、この国の誰も、あんたを忌み子だなんて蔑まない。皆が、あんたを待っている。……俺も、その内の一人だ」


 微かに微笑みすら湛えた寝顔に語りかける。

 返事の代わりに、すぅ、すぅと規則正しい寝息が返され、その寝息が生まれ出る唇へと自らのを重ねた。





「……やはり駄目だったか」


 唇に痺れが生じるまで待ってみたが、目を覚ます兆候は全くといっていい程に表れない。


 シュネーヴィトヘンだけでなくアストリッドへの罪悪感、期待通りにいかない徒労感、自らへの無力感が次々と去来し、ウォルフィを酷く打ちのめした。

 アストリッドから身を離し、変わらず眠り続ける姿を改めて確認する程に途方もない絶望が襲い掛かってくる。


「……くそっ」


 拳で壁を殴りつける、もしくは床を蹴り飛ばす気にすらなれない。

 己が役不足だというなら他に当たるしかない。


 一体、誰に?? 


 いっそのこと、胸ぐらを掴んで揺さぶってやれば起きるのではないか。眠り姫相手に物騒な考えが過ぎったがすぐさま思い直す。

 一人で考えていても埒が明かない。むしろ袋小路に入り込むだけだ。

 ひとまずは扉の外で待つリヒャルト達に『失敗』の報告をしなければ。

 胸中で荒れ狂う苦い思いをどうにか押し込め、扉の把手を握る。




「……ウォルフィのえっちー……」



 一縷の希望に縋りたい余りに聴こえた幻聴、かと思った。



「うわきもの―、リーゼロッテさんに殺されても、知りませんよー??」


 把手を握ったまま、扉の前で硬直するウォルフィの背中に、嫌と言うほど聞き馴染みのある声が届けられていく。


「ヤスミンさんにも嫌われちゃいますよー、自分は知りませんからねー??」


 思い切って振り返ってみる。


「っていうか、二回目ですよねぇー??寝込み襲うとか、最低……って」


 この後のことはもう、条件反射で身体が勝手に動きだしていた。







(2)



 ウォルフィが仮眠室に入ってから、一体、何分経過しただろうか。

 重厚な造りの扉はいつ開かれるのか。今か今かと待ち構え、扉が開いた瞬間を見逃すまいと目を凝らしているのだが。


「……パパ、遅いね」


 隣に立つヤスミンが気遣わしげにシュネーヴィトヘンの顔を覗き込んでくる。

 苛立ちは見せまいと平静を装っていたつもりだが、無意識に表れてしまったか。薄く微笑んで取り繕ってみたものの、ヤスミンの表情は変わらない。


「余りにも時間が長引くようなら救護室に戻りますか」

「いえ、結構よ」


 ヤスミンのみならずフリーデリーケにまで気遣われるとは。

 確かに胸の傷が疼いているが、この程度の時間ならばまだ立っていられる。


「元帥閣下や少佐、ヤスミン達と待ちたい、と私から言い出したのだから、どんなに時間がかかろうと待ち続けるわ」

「だからといって無理だけはしないでよぉー??リーゼロッテちゃんに何かあれば、ウォルくんが」

「うぎゃん!!!!」


 間の抜けた悲鳴がハイリガーの言葉を遮り、次いで、ドッスン!と何かが床に落ちる音、ドスドスドスとえらく大きな足音が扉の向こう側から響いてくる。何事かと一同が目を丸くする間に、乱暴に扉が開く。


 開いた扉から出てきたウォルフィの腕には、首根っこを掴まれたアストリッドの姿が。


「元帥閣下、ポテンテ少佐。……解呪は無事成功しました」

「ちょっと!ウォルフィ!!拳骨落としてベッドから投げ落としたあげく、猫の仔みたいに扱うなんて!!」

「黙れ、この大馬鹿が。目覚めていたならすぐに起きればいいものを」

「ちょっと寝たふりしてただけじゃないですかー!!」

「煩い、悪趣味にも程がある」


 ウォルフィの声はどこまでも平坦だが、いつにも増して凶悪な目つき、深く刻まれた眉間の皺、長い前髪に隠れた額には青筋が数本浮き上がっている。

 喚き散らすアストリッドを完全無視し、首根っこを掴んだままリヒャルト達の前まで引きずりだし、ぺいっと放り出す。

 廊下に敷かれた絨毯に顔面をべしゃっとぶつけたアストリッドは、「ううぅぅ……、リヒャルトさまぁ……」と、這い蹲りながら瞳を潤ませ助けを乞うた。しかし、見上げた先はリヒャルトではなくシュネーヴィトヘンとヤスミンであった。


「アストリッド様、お帰りなさい!」

「あは、ただいまですー」

「…………」

「あ、リーゼロッテさん、あれから怪我の調子はどうですかー??」

「お蔭様で、順調に回復しているわ」


 にこにこ微笑んで迎えてくれるヤスミンと対照的に、胸の前で腕を組むシュネーヴィトヘンは白けた顔で見下ろしてくる。とりあえずへらっと誤魔化すように笑ってみせるが、冷めた目付きは変わらない。

 あ――……、どうしようと、内心頭を抱えたくなってきたところで、シュネーヴィトヘンは突然ウォルフィのシャツの胸元を掴んで思い切り引っ張った。

 いきなりのことにウォルフィがよろめいた隙を逃さず、シュネーヴィトヘンは首に抱き付きキスを――、それも吸ったり噛んだりと熱烈なまでに唇を求めた。

 リヒャルトが盛大な咳払いをしたため、そう長くは続かなかったけれど。


「……リザ、元帥やヤスミンの前で」

「ウォルフは貴女の従僕ではあるけど男としては私の物だから」

「…………はい??…………」


 鷹揚に宣言するとシュネーヴィトヘンは、頭から噴煙が上がりそうなヤスミンの元へ戻っていく。

 咳払いと同じくらいの大きさで溜め息をつくリヒャルトの肩をフリーデリーケがポンポンと叩き、無言で慰めていた。

 今し方起きた一連の出来事を静観していたハイリガーは必死に笑いを噛み殺し、反対にウォルフィは仏頂面を下げていた。



 何なんだ、この笑っちゃうくらいの平和さは。


 自然と頬が、唇がだらしないくらい緩んでいく。


「あー、どうぞどうぞー。主が許可しますからー、煮るなり焼くなり、縛るなり鞭打つなり好きにしてやってくださいー」


 シュタンと勢い良く立ち上がり、ウォルフィの背中をシュネーヴィトヘンの方へぐいぐい押してやる。至極迷惑そうに振り返られたが、知ったことじゃあない。


「人を変態のように言うな」

「え、違うんですかー??じゃ、百歩譲ってスキモノー」

「今すぐ黙るか俺の的になれ」

「げ、ちょ、本当にホルスターに手掛けないでくださいよ?!」

「もうー、アンタ達ってば!復活早々もう喧嘩ぁ?!」


 ハイリガーの呆れ返った声に続き、約一名を除いてどっと笑い声が巻き起こる。

 つられて、アストリッドもへらりと笑ってみせた。

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