第128話 Ray of Light(19)

(1)

 

 花の香りと土の匂いが鼻先を擽る。

 下敷きになった茎と柔らかく湿った土の感触で意識が呼び覚まされていく。

 燕尾服の上に色とりどりの花弁が散らばり、土汚れで折角の衣装が台無しだ。軽くはたき落とせば、絹手袋の白が黒く汚れる。


 あぁ、汚らしい。嫌だ、嫌だ。


 さっさと起き上がりたい、と頭では強く思っているのに。あちこちが軋んで痛む身体はすぐに動いてくれそうにない。

 四つの手足のどれかは骨が折れているか、そこまでいかなくともヒビくらい入っているかもしれない。


 そうだ、回復魔法を使えばいいじゃないか、そうすれば――




「――やっぱり、やめましょう」



 醒めた口調でひとりごち、ひどく緩慢な動きで時間をかけ、半身を起こす。うっ、と体内から込み上げてくるのを抑えつけようとするも間に合わず、白い手袋にぽとぽと、赤い染みの跡が。

 こんな状態で回復魔法など使ったら――、酷い眩暈、吐き気を堪えて上空を見上げる。

 順調に掃討されていく幻獣達の数を増やそうにも、今の自分では召喚させるだけの余裕が残されていない。


「……あはは、この僕を、ここまで追い詰めるとはなかなかやるじゃないですか」


 唇から顎に伝う血を拭いもせず、愉しそうに嘲笑う。


 半分は悪魔の血ゆえ生まれ持った魔力は無限の一方、他の魔力の持ち主にはない、アストリッドでさえ持ちえない蘇生能力――、の反動を、残り半分の人間の血が抑えられず、体内で魔力が暴発してしまうのだ。


 伴侶さえいれば、この魔力による心身の負担が減らせる。伴侶さえ、いれば――


 満身創痍の身に鞭を打ち、よろよろと起き上がる。

 この際、誰でもいい。

 魔女だろうが只人であろうが、男だろうが女だろうが――







「無様だな」




 少年にしては高く、少女にしては低い声が無感情に吐き捨てる。

 眼前にて虹色の大きな光がふわり、浮遊するかのように輝き出す――






「おかしいと思ったんですよ、すぐに反撃してこないな、と。まぁ、あえて油断させているのかも、と考えてもいましたけど」


 光から薄っすら浮かび上がる二つの影の内、小さい方の影から赤い光弾が四発、飛んできた。

 シュッと空を切り裂く音が鳴る。光弾はナイフに似た形状へと変化し、イザークの四肢を貫かんと迫りくる。


 火の玉を発生させ、光弾を飲み込むのか。もしくは風を巻き起こし、叩き落とすのか。


 何らかの抵抗、防御を持ってして攻撃の無効化を図ると思われた――、が――




「何の真似だ。自分達を揶揄っているつもりなんですか??」


 先端を尖らせ、赤く輝く光弾だったモノに両掌と両足を穿たれ、再び花壇の花々の上に倒れたイザークを二つの鳶色が冷たく見下ろす。


「まるで十字架に磔にされた聖人みたいですね」


 嘲るように吐き捨てるアストリッドの隣では、ウォルフィがイザークの心臓の位置に銃口を突き付けている。


「はははは、さっさと引き金を引けばいいじゃないですか!さぁ、撃ちたければどうぞご自由に!!さすがに自ら実の父まで手に掛けるのは気が引けるみたいですねぇ!!従僕さえいれば自分にとって都合の悪い、汚れ仕事を押し付けられますから!!」

「黙れ、それが俺の役割だ」 




 イザークの胸元に銃口が押し当てられ、深くめり込む。




 ズドォン!!




 花弁が宙に舞い上がった。

 針金のような身体が衝撃でのけぞり、びくんと大きく跳ねる。

 燕尾服の黒に赤黒い染みが拡がっていく。



 それでもイザークは愉しげに頬を、唇を緩ませている。




 心臓を撃ち抜いた筈なのに――、ウォルフィの隻眼に動揺が走り、頬や口元を気味悪げに引き攣らせた。 


「あはははは!国の為、国民の為と大義名分掲げてその実、本当は僕に復讐したいだけなのでしょう?!僕を憎むのはマリアを伴侶と言う名の受け皿としたせいで彼女が狂った、僕のせいだと信じているからなんですよねえ?!ですが、マリアが狂ったのは貴女のせいでもあるのですよ??貴女と言う、護るべき存在のせいで!!所詮僕たちは同類なんですよ!!」

「二人とも、そこから離れな!!」


 頭上から、少し嗄れた女の声が虹色の輝きと共に降り注ぐ。

 揃って花壇から飛びずされば、虹色とは別に橙色の輝きが――、イザークごと花壇を覆った。

 ジジジ……、と、蟲の声に似た電磁波の音が鳴り、イザークの身体ががくがくがく、がくがく、激しく痙攣し始める。


「怖気づいて攻撃の手を緩めるんじゃないよ」

 舞い降りた虹色から出現したヘドウィグがウォルフィを横目で睨む。

「まぁ、蘇生能力を発揮させるのに精一杯で、イザークも攻撃に転じられないようだけどね」

「どういうことだ」


 鼻を鳴らし、イザークを見ろと顎を突き上げて二人に差し示す。

 フゥー、フゥーと微かな息遣いが耳に届き、胸が上下する動きも確認できた。



「だったら」


 アストリッドの指先からチッと青白い火花が散る。

 美しい花々を下敷きに仰向けで倒れる、壊れた機械仕掛けの人形のような男へ、その指先を向けた。







(2)


 花壇が青白い炎――、地獄の炎に包まれる。

 青の業火はめらめら音を立て、イザークごと焼き滅ぼしていく。



「おそらく、これでもまだあれは死なないでしょう。ですが、蘇生能力すら使えなくなるまで何度も死の淵に立たせてやればいいだけです」

「…………」


 何の感情も映し出されていない醒めきった表情、瞳に、ウォルフィもヘドウィグも息を飲む。

 アストリッドは、立て続けに青白い炎を発生させては一心不乱に花壇へと飛ばし続けていく。


 黒く巨大な雷雲が結界外の上空を覆い、結界内にも薄闇が降りてくる。

 薄緑の輝きと薄闇が混ざり合う空間で、白煙を上らせ青白い炎が囂々と燃え盛る。雷鳴と稲妻は徐々に激しさを増していく。


 落雷の瞬間、一閃した白光に視界を奪われた。

 その一瞬の隙をつき、炭化によって半ば崩れかかった、けれど暗器のように尖った指先を突き出した触手が、青の炎から伸びてくる――




「アストリッド!!」



 目を開けた時には黒く鋭利な指先が眼前に迫っていた。


 しまった、遅れを取った、と、悔やむ間もなく触手は両目を潰しにかかり――


 潰されそうになるまさに直前、ウォルフィの体当たりを受け地面に転がっていた。



「……この馬鹿が、ぼさっとするな……!」


 ヒョウ柄フロックコートから覗く、白いTシャツの胸元は赤く染まり、黒い指先がぶすり、深く突き刺さっている。


「……ちょ、っ、と……」

「…………きゅ、う所は、外れている……!」

「そういう問題じゃないでしょうが!!」


 即座に飛び上がり、立ち上がる。

 見計らったかのようにウォルフィの背中から指先が素早く引き抜かれた。

 がはっ、と吐血し、前のめりに倒れてくるウォルフィを咄嗟に抱き止める。

 

「貴方を、死なせる訳にはいきません……!」

 

 支えている身体の重みで、足がふらつきそうなのを何とか踏み止まり、地面へずり落ちそうなのを片腕で必死に引き上げ。

 もう片方の手は真っ赤な胸元に宛がい、濃黄色の光に輝かせている。

 そんな彼らに対し、ひーひっひっひ!という引き笑いが青の炎からこだました。


 血走った鳶色の瞳が見開かれ、髪がふわりと逆立つ。

 引き笑いするイザークは陽炎のようにゆらめきながら立ち上がる。


 地響きを伴う一際激しい雷鳴が薄闇も結界の輝きも全て掻き消していく。

 ウォルフィを支えたまま、今度は視界を閉ざさずにじっと見据える――




「え、何ですか??」


 視界が完全に明ける寸前、耳元でウォルフィがぼそり、呟く。

 よく聞き取れず問い返せば、小さく舌打ちをされ――、いきなり強く突き飛ばされた。


「ちょ、うわ、ぎゃん!!」


 思わずよろめき、尻餅をついたアストリッドの悲鳴と銃声の音が重なり合った。


「何をしている!魔法銃ではイザークを……」

「あれを……、見て、みろ……」


 怪我の痛みを堪え、振り向き様にイザークの頭部を狙い撃ったからだろう。

 ぜぇぜぇと呼吸を荒げて地面に崩れ落ちたウォルフィが、アストリッドと駆け寄ってきたヘドウィグに向け、イザークを指で差し示す。

 

 白煙を漂わせ燃え滾る青の中からの笑い声――、が、消えている。


 笑う代わりに欠けた頭部を抑え込み、イザークは大量に吐血していた。





「……とうとう、内なる魔力の暴発を、抑制できなくなったか……」

「内なる魔力??」

「あぁ」


 地に膝をついて呻き、血を吐き続けるイザークを呆然と見つめながら。

 ヘドウィグはウォルフィの問いに答えてやる。


 強大過ぎる魔力に自ら滅ぼされないよう、『受け皿』という伴侶を必要とすること。

 伴侶の条件は強い魔力を持ち、優れた容姿を持つ魔女であること。

 受け皿としてイザークの魔力を流され魔力が増幅する一方、精神も少しずつ破綻していくこと。


 話を聞けば聞く程、シュネーヴィトヘンがイザークの手に落ちなかったことに心底安堵すると共に、怒りが沸々と湧き上がってくる。




「ああなってはもう、自滅の道は止められないだろう」


 地に突っ伏していた半身をのけぞらせ、口だけでなく鼻、目、耳からも血を流し、苦しみ抜く姿は地獄で罰せられる悪鬼のよう――、否、まさしく罰を受けているのだ。


 己の力に溺れた結果、己の力に潰されていく。





「……ある意味、イザークらしい末路だな」


 ぽってりとした美しい方の唇を歪め、ヘドウィグは皮肉気に笑った、その時だった。





『……ならば、最期に、とっておきの魔法を、皆さんに、お見せ、しましょう――』




 仰け反ったまま後ろへ倒れゆく中、焼かれて造形を失った顔が嗤った――、ように、見えた。







「……か、はっ……」

「アストリッド?!」


 何かに突かれたように、突然、アストリッドは胸を抑えつけ―――、かと思えば、その胸を激しく掻きむしり、もだえ苦しみだした。


 咄嗟にヘドウィグが、痛みも忘れて即座に立ち上がったウォルフィと共に華奢なその身を支える。

 しかし、アストリッドはうーうーと低く唸り、益々苦しがるばかりだ。



「貴、様……!イザーク!!」


 ヘドウィグが怒りに叫び、三つの同じ色の鋭い眼光が青の炎へと飛ばされる。




『…………しら、ゆきひめ、の、真似をして、み、た、、だけです、よ…………』



「死の呪詛か!!!!!」

「アストリッド、起きろ、目を覚ませ……!」


 あれ程苦しんでいたのが嘘のように、アストリッドはぱたり目を閉じ、穏やかな寝息を立てていた。


 必死に名を呼び掛けられ、身体を揺さぶられ、頬を思い切り張り飛ばされ――、それでも、二度と目を開くことはなかった。




 黒い雷雲は流れていき、太陽と澄んだ青空が戻ってくる。

 青の炎の勢いも徐々に弱まり、次第に細くなっていく。

 骨すらも灰と化したイザークの一部が、一陣の風に流されていった。



 風に舞い踊る灰塵から笑い声が聞こえる。狂った高笑いが。

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