第102話 Burn the witch(11)
(1)
春宵の空に青白い満月がぽっかりと浮かんでいる。
降り注ぐ白銀の光は暗闇を淡く照らし、医療刑務所の玄関口に停車する護送車体の白をより際立たせた。
「さっさと歩け」
手錠をかけられ、ローブのフードを深くかぶるシュネーヴィトヘンの腕を警備兵が強引に掴むと、護送車の足掛けに爪先をかける。
その警備兵ともう一人、二人掛かりでシュネーヴィトヘンを力づくで護送車の中に押し込む。
「ちょっとちょっとぉー??罪人とはいえ産後の身で体調も不安定なんだから、もうちょっと丁重に扱いなさいよねぇ」
彼らの背中を冷ややかな怒りの目で眺めていたウォルフィの背後から、警備兵達を叱りつける野太い声。
振り返れば、仁王立ちの態勢で腕を組むハイリガーの姿があった。
「はっ……、申し訳ありません」
「分かればいーのよ、分かればぁー。ね、アスちゃん??」
自身の隣に立つアストリッドに同調を求めれば、えっ??と戸惑った顔をしたものの、「……で、です、ですぅー!」とへらっと笑いながら同調してみせた。
「じゃ、あとはウォルくんとゲッペルス少尉とで頼んだわよぉー」
「はっ!」
「御意」
隣同士に並ぶエドガー、ウォルフィの返事が合図とばかりにアストリッドとハイリガーは詠唱する。
暖かな風が舞い、四人を照らす月光が空気ごと揺らぐ。
月が輝く空高く飛翔した魔女達を見送るように、ウォルフィとエドガーは上空を仰ぐ。
走行中の護送車を内外から守るために、アストリッドとハイリガーは上空から周辺の様子を探り、不審な動きを発見次第敵の動きを封じる。
ウォルフィやエドガー達は、それでも万が一襲撃を受けてしまった際の護衛、と、魔女達と軍部とそれぞれ分かれての護送作戦なのだ。
「ゲッペルス少尉、従僕殿。発車準備が整いました」
「了解」
先に乗り込んだ兵士の呼びかけで二人は車内に乗り込む。
入口から見て左側に運転席、右側に縦二列それぞれ八つずつ二人掛けの座席、最奥には四人掛けの座席が設置されている。シュネーヴィトヘンは最奥の座席に座っていた。共に乗り込んだ警備兵達に両脇を固められながら。
その最奥の座席まで進み出たエドガーは、俯きがちな黒いフード頭と警備兵達を見下ろし、命じる。
「悪ぃけど、あんたら、席の場所変わってくれないか??」
二人は一瞬だけ不服そうにしたが、大人しく命令に従って席を立つ。
二人と入れ替わりでエドガーとウォルフィが両脇に座ると、シュネーヴィトヘンが纏っていた緊張感が僅かに緩んだ、ような気がした。席を立った二人が前方の座席に座ると共に護送車はゆっくりと発進した。
医療刑務所は各軍用施設の一つとして元帥府が建つ丘陵の麓に設けられおり、そこから市街地を通って北西に位置する魔女専用刑務所へ向かうか、郊外の山道をわざと周回して遠回りで刑務所へ向かうか。
産褥期を脱していないシュネーヴィトヘンの体調を考えれば、長時間の車での移動は厳しいだろう。しかし、市街地で万が一襲撃を受けた場合、民間人が犠牲となる可能が。どちらのルートが選ばれたかなど説明するまでもない。
荒れた埃道を走る車体の揺れは激しく、喋ろうと口を開けばうっかり舌を噛みかねない。人の手が入っていない、枝が伸び放題の木々の影で月の光が遮られ、闇は一段と濃くなっていく。
ヘッドライトの頼りない光のみを頼りに、通常よりいくらか速度を落として走行する中、終始黙っていたシュネーヴィトヘンが独り言を呟くように小さく漏らした。余りに細く頼りない声、けれどウォルフィの耳にはしっかり届いていた。
「娘達なら、ポテンテ少佐と救済の魔女の二人が屋敷で見ていてくれる。だから安心しろ」
シュネーヴィトヘン同様、彼女にしか届かない小声で応えれば、今度ははっきりとウォルフィを見返してきた。フードが顔全体を覆い隠しているので、表情までは分からなかったが。
「……そう、少佐とレオノーラがついていてくれるなら……」
声の調子は先程と何ら変わりはないもの、とりあえず安心はしてくれたようだ。
シュネーヴィトヘンはウォルフィへと僅かに傾けていた身体を再び前へと向き直した。二人のやり取りに気付きつつ、エドガーは知らぬ振りを決めている。
その時だった。
ガタンッと大きな音と共に車体に強い衝撃が走った。
車体は一際大きく揺れ、車内にいる者は運転手以外座席から床に転げ落ち――、エドガーとウォルフィ、ウォルフィに庇われたシュネーヴィトヘンは辛うじて転げ落ちなかったが――、身体をしたたかぶつけた。
「何だぁ?!何が起きたってんだ!?」
エドガーは即座に立ち上がるとホルスターから銃を抜き、大声で運転手に詰問した。ウォルフィは座ったまま左腕でシュネーヴィトヘンを庇いつつ、同じくホルスターから銃を引き抜く。
「も、申し訳ありません!ゲッペルス少尉!!あの……」
「はっきり言えよ!」
言い淀む運転手に苛立ち、エドガーは更に声を荒げる。
エドガーの剣幕に怯えながら、「じ、実は……」としどろもどろで話しだす。
「ね、猫が、急に飛び出してきたんです!黒い猫が!!」
「はあ?!ねこぉ?!」
思いも寄らぬ理由に、エドガーはつい間の抜けた声を発してしまった。
床の上では二人の兵士も呆然と運転手を注視し、ウォルフィとシュネーヴィトヘンも思わず互いに顔を見合わせる。
「あのなぁ……」
構えていた銃を下ろし、エドガーは運転手に対し掛ける言葉を逡巡し始める。
特別命令違反をした訳でもなし。
いらぬ殺生を避けるのは悪い事ではない。むしろ良い事ではある。
ただ、襲撃の警戒態勢下に置いて紛らわしい行動だったのも事実。
全く咎めない訳にもいかない。
異様に怯えている運転手をほんの少し気の毒に思いながらも、叱責するために口を開きかけ――、再び閉ざすことに。
床に転がっていた警備兵達がいつの間にか立ち上がっていて、三人に向けて銃口を向けていたのだ。
(2)
「半陰陽の魔女様、ゲッペルス少尉達は、先程医療刑務所を出立したそうです」
「そうか。了解した。……内容はどうあれ、次の連絡が入るまで一旦下がりたまえ」
「はっ!」
執務室から廊下へと消えていく部下を一瞥し、リヒャルトは気だるげに執務机に肘をつく。
ひとまず「計画」の第一段階は上手くいった、というところか。
(だが、まだ計画は開始されたばかり。油断は禁物だ)
計画を実行するアストリッド達、特にエドガーとウォルフィには危険極まりない任務――、だが、彼らは潔く首肯してくれた。
危険な任務を命じておきながら、自分はこうしてのうのうと安全な場所で護られている。
ふいに湧き上がる罪悪感。
払拭するべく軽く頭を振り払い、机上に置かれた茶器にちらりと目を向けるが、興味なさげに手元の書類へ視線を移す。
淹れてくれた者には悪いけれど、フリーデリーケ以外が淹れた茶の味には未だに舌が慣れないでいる。気を取り直すのも兼ねて、書類仕事に集中しようと万年筆を手に取った。
ここで、リヒャルトはふと遠くから嫌な違和感を感じ取った。
高い魔力を持つ者程、同胞の魔女・魔法使いの気だけでなく、只人の気を――、特に負の感情が込められた気は薄っすらと感じ取ることができる。
椅子に座したまま、リヒャルトは耳で、肌で気の元を探ろうと意識を集中させる。気の元は、決してそう近くない場所からだというのに、氷の刃で肌を刺すように漂ってくる。
(もしや――……)
リヒャルトが気の元を探り当てた次の瞬間、十数発分の銃声が轟き、背後の窓硝子が一瞬で粉々に砕け散った。
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