第103話 Burn the witch(12)

(1)

 

 西の方角から灰色の雲が流れだし、夜空全体を覆い隠す。

 あの雲は、まるで心中に抱く不安を体現しているよう。雲の切れ間から僅かに煌く青白い光はさしずめ希望の光か。

 カーテンの端を握る手に力が入り、厚手のラグラン織の遮光カーテンと裏側の薄地のレースカーテン、二枚共に深い皺が寄る。これも握りつぶされるような胸の痛みを体現しているよう。

 傘を広げた形で王都の上空を覆う灰色を、ヤスミンはカーテンの隙間から窓越しに眺めていた。


「大丈夫、大丈夫、だから」


 母は無事に刑務所へ送還されるだろうし、父達も夜が明ける頃には屋敷に帰ってくるに違いない――、が。ただ待つだけの身がこんなに辛く歯痒いとは。

 頭をぶるぶると何度も大きく振った後、シャっと音を立て勢いよくカーテンを閉める。


「まだ起きていたの」

「ひゃっ?!」


 急に後ろから声を掛けられ、思わず奇声を上げる。

 壊れた玩具のようにぎこちなく振り返れば、ルドルフを抱いたフリーデリーケが気づかわしげに見下ろしていた。


「その、何だか気持ちが落ち着かなくて……、寝付けないんです……」


 咎められた訳ではないのに、何故か言い訳を述べるかのような口振りになってしまう。でも本当のことでもある。

 フリーデリーケがヤスミンの言に反応するでもなく、黙って見下ろしているだけという状況が益々もって不安を煽ってくる。ルドルフは、くあぁぁ、と大きな欠伸を何度もしていた。


「えっと、真っ暗な居間に一人でいるの、何か怪しいですよね!やっぱり自室に戻ります!カシミラの夜泣きがいつ始まるか分かんないし!いくらレオノーラ様が泊まってくれてるとはいえ、カシミラの面倒は私が主体でしなきゃだし……」

「無理しなくてもいいのよ。眠れない時はいっそのこと起きていた方がいい時もあるわ。でも、一人だけだとどうしても不安に苛まれてしまう」

「…………」

 フリーデリーケはルドルフを床に下ろし、ローテーブルを挟み対に置かれた長椅子に腰掛け、ヤスミンに自身の隣のスペースを目線で差し示す。

「座って」

「はい……」

 促されるまま、隣に座る。

 そう言えば、かなり以前にもこうして彼女と並んで語り合ったことがあったような。

「……私も、何だか胸騒ぎがして眠れなくてね」

「え??」


 意外な言葉に思わず見返せば、切れ上がった群青の瞳が不安に揺れていた。

 ガスランプ一つ灯されていない、真っ暗な室内でもはっきりと見て取れた。

 未だ全ての記憶を取り戻しきれていないせいか、フリーデリーケは時折このような顔を見せる。ただし、今夜の彼女に限っては普段以上に怯えているように見える。


「だ、大丈夫ですよ!あの方なら、きっと!!」

「だといいけれど。……って、駄目ね、年下の女の子に気を遣わせるなんて」

「いいんです、いいんです!!同じ想いを抱えているから、その気持ちは痛いくらいよーく分かりますから!!」


『きっと記憶を失う前の私なら、こんな弱音を吐かなかったかも』なんて、絶対言わせない。今の彼女自身を否定するなんて余りに哀し過ぎる。


「そうだ、どうせ起きてるんだったら灯りを点けちゃいますね!」


 室内の暗く重い空気を払拭するべく、わざと朗らかに笑ってみせる。

 ガスランプに火を灯すため、ヤスミンは長椅子からささっと立ち上がった。  







(2)


 警備兵達がトリガーを引き切るよりも半瞬速く、ウォルフィとエドガーの自動拳銃から火が噴き上がる。二つの弾丸は対峙する警備兵達の銃身を掠め、天井や前方の座席にめり込んだ。

 自身に銃弾が直撃せずとも掠めた衝撃に耐えられず、拳銃は手から床へと滑り落ちて行く。すぐさま拾おうと身を屈めるもウォルフィ達が見逃すはずはなく。

 拳銃に伸ばしかけた手に当たるか当たらないか、擦れ擦れの線を狙い、二人は警備兵達に再び発砲した。直後、護送車が急発進する。


「うおぁあ?!」 

 激しい揺れでエドガーは前のめりに倒れそうになったが、何とか踏み止まった。

 ウォルフィも座席から転げ落ちそうになったシュネーヴィトヘンを、銃を握っていない方の手で咄嗟に支える。警備兵達の一人はよろめくもしゃがんみこんだ姿勢を保っていたが、もう一人は仰向けにひっくり返っていた。

「おい!急に動かすな!!」


 運転手に向かって怒鳴り散らすエドガーの顔色がさっと変わる。次いで、眼鏡の奥の瞳に険しさが増す。同じくウォルフィも右眼をすっと細め、唇を一段と強く引き結ぶ。

 こちらを振り向いた運転手の表情は恐怖で酷く引き攣っていた。ぶるぶると震えた両手で拳銃を構えながら。


「お前もかよ!!」


 絶望にも似た叫びを上げたエドガーの脛に強烈な痛みが生じ、ガクンと膝から崩れ落ちかける。いくらか下がった頭上を銃弾が擦り抜けていく。

 間を置かず隣から聞こえた銃声、悲鳴混じりの怒号を、どこか他人事のように聞きながら、膝が落ちなければ確実に即死していただろう――、全身から冷や汗がぶわっと湧き上がる。


「……馬鹿が。叫んでいる場合じゃないだろうが」


 この場にそぐわない、落ち着き払った声の主を振り返れば。

 両耳を塞いで蹲るシュネーヴィトヘンを間に挟む形で、長い脚がエドガーの脚に伸びていた。命拾いしたのは、その脚を包むエンジニアブーツの靴底で彼の脛を蹴飛ばしたお蔭のようだ。

 恩人はエドガーを蹴飛ばすとほぼ同時に警備兵達全員に発砲していた。眼前で倒れている二人の内、一人は右手の甲を、もう一人は左足首を赤く濡らしのたうち回っている。

 運転手は仲間の惨状を見て恐慌状態に陥り、座席の肘掛けに突っ伏してひぃひぃ呻いている。握っていた筈の拳銃は床に落ちていた。

 瞬時に二人の人間を護り、最小限の攻撃で敵を戦闘不能にさせる――、一切の無駄も隙もないウォルフィの完璧な動きに打ち沈みかけるが、今はそれどころではない。


「……ありがとうございます、シュライバー元少尉」

「別に礼を言われることじゃない。あんたは数少ない優秀な軍人だし、つまらない理由で失う訳にもいかない、それだけだ」

 ふん、と鼻を鳴らすとウォルフィは更に続けた。

 と言っても、聞き逃しそうになるくらいの小声であったが、確かに、こう口にした。

「…………あんたに死なれたら、娘が哀しむ…………」


 耳を疑ったが、シュネーヴィトヘンが小さく噴きだし、彼女をじろりと睨んだあたり、聞き間違いではないだろう。途端に消沈しかけていた気分が吹き飛ぶ。

 今の発言を聞き流した振りをし、気を取り直したエドガーは座席から離れ、床に伏す警備兵達の元へ近付いていく――、が。

 先程まで恐慌状態だった運転手がいつの間にか席を立ち、銃を構え直してこちらへ歩み寄ってきていた。


「往生際が悪ぃな」


 手を震わせ、弾道もぶれているが油断は禁物だ。

 エドガーは表情を引き締めて再び銃を構える――


 その屈強な身体の横を、一筋の細い閃光が迸っていく。

 閃光は一瞬にして運転手の全身に直撃した。


「ああぁぁぁぁっ!!!!!」


 バリバリと音を立てる白光の中、運転手は苦しみ身悶えた後、うつ伏せでぱたんと床に倒れ伏した。今度こそ、エドガーは悔しさを隠すことなく露わにし、盛大に溜め息を吐き出した。


「……あのー、俺にもちょっとくらい活躍させてくださいよ……」

「あらぁ、ごめんなさぁいねぇー、つい血が騒いじゃってぇー」


 ガックリと項垂れて振り返ったエドガーの視線の先――、シュネーヴィトヘンが座っていた座席には彼女ではなくハイリガーの姿があった。


「……って、ちょっとぉ、ウォルくんてば!なんで変化へんげ魔法解いたら即座にアタシから離れるのよ!」

「正体晒した以上、演技する必要はないからだ」

「もう!相変わらずつれないわねぇ、このいけずぅ!」

「勝手に言ってろ」


 ぷいと徐に顔を背けるウォルフィに、まだギャアギャアと喚き散らすハイリガーを尻目に、エドガーは黙々と警備兵達の拘束を行い始めた。


「な、何で、み、南の魔女、が……」


 倒れている順に、起き上がれないようのしかかりながら、あらかじめリヒャルトから渡されていた手錠を後ろ手に掛けていると、息も絶え絶えに問われる。

 手錠を掛ける手は止めず、「あぁ、それはだな」と答えてやる。


「変化魔法とやらで東の魔女殿と入れ替わったのさ」

「そ、そんな、ことは、わかる……!本物の東の魔女は、どこだ!!」

「んー??今頃、半陰陽の魔女殿と刑務所に到着しているんじゃね??」

「なっ……、あぁっ?!?!うっ……」

 

 大声を張り上げたせいで銃創が痛み、警備兵は声を殺して呻いた。

 手錠を掛け終わったエドガーは放り出すようにして彼から離れ、残りの警備兵の拘束に取り掛かる。


「もしかしたら内通者がいるかもしれない、と懸念した元帥閣下から俺と魔女様方、シュライバー元少尉だけに下された命令でさ。まぁ、悪く思うなよ。実際、あんたら裏切ったんだし」


 護送車に乗る直前――、医療刑務所内で、ハイリガーはシュネーヴィトヘンに、アストリッドはハイリガーに変化し、彼女達の魔法によってシュネーヴィトヘンはアストリッドに変化させられていた。

 アストリッドとハイリガーは上空で敵を視察していると思わせ、実際は護送車が出発すると共にとっくに瞬間移動魔法でシュネーヴィトヘンを刑務所へ送還していたのだ。

 護送車はあくまで裏切者を炙り出す為に走行させただけ。ウォルフィとエドガー、ハイリガーは謂わば囮役だった。


「さてと、拘束し終わったなら、元帥に色々と報告しなきゃねぇ」

 

 警備兵全員が拘束され、血で赤く汚れた床に転がされる様を見下ろしながら、三人は報告内容について話し合いだした。

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